戦地にて5
冬の国の王都で編成していたオーク軍はついに出陣した。
彼らは寒さに耐えることはできるが、雪まみれになりたいわけではない。
降雪の前に決着をつけようとしたのだ。
前軍に闇凍土から召集されたラグン部族五百名、中核となるゴレモリア部族二千名、ダークエルフの親衛隊として新たに生まれたネ氏族のオークが五十。
総計二千五百五十と一人の軍勢である。
最初に闇凍土を出たときは六千ほどの大軍だった。
それが予想外の反抗とダークウォッチャーという異常によって三分の一まで減らされてしまったのは痛手だった。
だが、数は減りこそすれ、その質は高まっている。
ゴレモリアは精強、そして新たなネ氏族はダークエルフが直々に創造したオークの群れだ。
全滅したバズダバラ部族の全軍をあわせてもなお、ネ氏族五十のほうが強い。
冬の国から氷の国へ向かう街道を、オークの軍勢が進んでいく。
先陣をつとめるラグン部族は族長がまだ若いゆえに、最初の南下には加われなかった。
しかし、戦力の補充を求めたダークエルフに族長が志願。
今回の出陣に加わることになった。
置いていかれた、という念を部族が強く持っていた。
それは恥であり、それをそそがんと部族全体の士気は高い。
気が逸るのか、先陣はわずかに進軍が早かった。
そのわずかな隙。
先陣と本隊の隙間。
人間はまずはそこにつけこむことにした。
古典的で、かつ効果的な罠。
落とし穴。
アウラがやったような簡素なものではなく、人員を大量に投入して掘られた穴はオークが頭まで埋まるほど深い。
それが、街道を横切るように掘られていた。
早足で進むオークの先頭は、急に足元の感覚が無くなったことに気付いた。
そして浮遊感、衝撃と痛み、くらやみ。
オークは混乱した。
なんだ、これは?
何が起こった?
そのオークの不幸は、彼が軍団の先頭だったこと。
行軍がある程度続き、歩くことに慣れ、足元への注意がおろそかになっていたことだった。
そのオークの後ろもまた同じように足元への注意が散漫していた。
その結果、次に歩いていたオークが穴に落ちた。
先に落ちていたオークの上へ。
軽い者でも百キロを超えるオークの体重。
武装もしているため、なおさら重い。
押し潰された最初のオークは混乱の中、圧死した。
次から次へ、進軍するオークは落ちていく。
落ちたオークは次に落ちたオークに押し潰される。
くぐもった悲鳴に、ラグン部族の族長が気付いた時には三十体ほどのオークが穴に落ちていた。
「止まれ、部族全員止まれ!」
ラグンの族長ゾ・テドンは大声をあげ、進軍を止めた。
肉と血の海と化した落とし穴は、ゾ・テドンの目の前にまで来ていた。
「おのれ、人間。姑息な」
憤激にゾ・テドンは武器を振り回す。
「正々堂々と戦うこともできないのかッ!」
まわりの、部族の戦士らは族長を止めようとはしなかった。
これはゾ・テドンの失敗だからだ。
若い族長を歓迎しているものは少ない。
力こそ正義であるオークのしきたりに従えば、ゾ・テドンの次のラグンの族長が選ばれるのも、近いだろう。
失敗を重ねる族長には誰もついていかない。
強さと勝利を重ねるものにこそついていくのだ。
そして、それは戦士階級である自分たちが成し遂げる。
と、ゾ・テドンの周囲は考えている。
失点を取り替えそうと、ゾ・テドンは進軍を再開した。
落とし穴を避けようとすると時間がかかる。
すでに一度止めていることで、遅れているのだ。
これ以上の遅れは避けたい。
「ならばこれを道にすればよい」
と、ゾ・テドンは落とし穴で事切れたラグンの兵の亡骸を踏みつけた。
そのまま、それを足場にして穴の向こうへ渡る。
「!?」
死者を足蹴にする行為は、他種族のものならともかく同じオークにするのは大変な侮辱行為だ。
行軍遂行を目的とするあまり、ゾ・テドンは配下の反感を買ったことに気付いていなかった。
しこりを残したまま進軍を再開したラグン部族は、次なる罠の地点に到達する。
さきほどの落とし穴に警戒して、道を確かめながら進んでいくオーク軍に今度は上から脅威がやってきた。
冬の国から氷の国への街道は山中を切り開いたものだ。
だからこそ、ストリはここに罠を仕掛けることを思い付いた。
絶好のポイントがあった。
峡谷の間を道が通る場所だ。
たとえばここを進軍中の軍団に上から岩を落とすとすれば、それは逃れられない必殺の罠となる。
かくして、ラグン族のオークの上に次々に大岩が転がってきた。
屈強なオークでさえも、高さと重さによって凄まじい威力になった大岩によって潰されていく。
人間が用意した岩を全て落とし終わった時、オークは四十体ほどが犠牲になっていた。
さらに、落とされた大岩によって、狭い峡谷の街道は塞がれてしまった。
怒りを通り越して激怒の状態になったゾ・テドンは後方部隊へ事情を説明し、岩の撤去作業にさらに時間を取られる事になる。
このままでは、闇凍土から出てきて、ただ無能をさらしただけになる。
武名と栄誉を求めてきたはずなのに、だ。
恥辱、焦燥、憤激が彼の思考を狭めていく。
行軍できるようにまで撤去がすんだのは、三日ほどたってからだ。
後方の本陣からは、焦ることはない、お前の失態ではない、と伝言が来ていたが、それがさらにゾ・テドンの怒りを増幅させた。
年若だから仕方ない、と言われているような気になるのだ。
これは、実際にネ・ルガンあたりの大将が直接声をかければ解消できたかもしれない。
しかし、本陣は人間の追い詰められた抵抗としか見ていなかったために、ことを軽く考えていたのだった。
これが作戦行動であること。
そして、前線指揮官のゾ・テドンの心情を汲み取れなかったことが、人間へ反撃を許してしまう事になった。
事前にストリが提示したのは、三つの罠。
その最後の罠が仕掛けられた地に、ラグン部族が侵入した。
最初に異変に気付いたのは、先頭にいたオークだった。
落とし穴の一件以来、先頭を歩くオークは最大限の警戒を持って進んでいた。
五感を活用し、何かがあるか、起きないか探りながら歩く。
今回は、鼻が異変をとらえた。
そのオークが感じたのはツンとした刺激臭だ。
油か?
と、そのオークは臭いを記憶に照合する。
しかし、オークが明かりを灯すのに使うのは獣脂だ。
油のような、しかしもっと臭う。
それが何かわからないが、嫌な予感がする。
後方へ異変を伝えようと振り返ったオークは全身をおおう熱と痛みを感じた。
燃える水、あるいは臭水と呼ばれるその液体は、火と水の特性を持っていた。
火をつければ燃え、水のようにドロリと流れるそれを、人間は武器に使った。
地面に染み込ませたそれに、オークが通過する時に着火するだけだ。
地面から吹き出した炎は、ラグン部族のオークたちを焼いた。
炎の前には鉄の鎧も、大きな剣も鉄棒も無力だ。
ただ逃げ惑うしかできない。
ゾ・テドンはわなわなと震えた。
焼けて死ぬならまだ良い。
煙に包まれて窒息して死ぬのはごめんだ。
それはどうやら、とても苦しく救いのないもののようだからだ。
焼ける同胞たちを押し退けて、ゾ・テドンは安全な場所を探した。
死にたくない。
いかな強靭なオークであろうと、死ぬのだ。
しかし、名誉もなければ、満足もない死というのは絶対に嫌だ。
部族の族長が逃げ出したラグン部族は炎と煙によって、百四体が死亡した。




