雪の国より3
魔法使い、だということは秘密にしておいてください、とネーベルは言った。
この世はしがらみが多いから、とも。
ストリも他の誰にも話すつもりはなかった。
誰も信じてはくれないだろうし、それに勝手に話したらもうネーベルから教えを受けることができなくなってしまうかもしれない、と思ったからだ。
ともあれ、ネーベルは正式にストリの家庭教師になり、毎日学院の講義後にボーグ邸で魔法理論とその先について教えてもらうことになった。
魔法理論の講義はストリにとってもはや苦手なものではなくなった。
ネーベルの授業はわかりやすく、学院で教えられていることがいかに低レベルのものだったのかをストリに理解させた。
魔法理論の教授もどんな質問も簡単に答えるストリを目の当たりにして、それ以上つつくのを止めた。
教授の本音を言えばもっともっとストリのようなタイプは弄りたいのだが、あの少年が急激に知識をつけてきたのをボーグ家が本気を出してきたのだと理解したのだ。
これ以上は大貴族のボーグ家の不評を買ってしまう、そうなれば教授職などあっという間に吹き飛んでしまう。
そのため、ストリへのちょっかいを諦めざるを得なかったのだ。
ただし、教授はそうでも生徒たちは違う。
ボーグ家と同格の貴族は五家もある。
その中にはボーグに反発している家もある。
その内の一家、ルシ家の若君であるドリアードはついこないだまでダメダメだったストリが急に出来るようになったことを不満に、そして不審に思った。
ドリアード・ルシはストリより二つほど年上だ。
ボーグ本家のグスタフの一つ下。
赤毛が目立つ長身の青年だ。
挑発的なその目付きは、教授たちには受けが悪い。
しかし、ルシ家の後継ぎという肩書きがそれを無視させる。
「ようボーグ」
「ドリアード……さん。なんですか?」
休み時間にストリの前に立ったドリアードは、その長身からストリを見下ろした。
これが威圧感を与えることを、彼はよく知っている。
「なあ、どんな裏技を使ったんだ? この魔法理論は本物の貴族しか理解しちゃいけないんだぜ?」
「それは……」
どう答えればいいのだ?
と、ストリは思う。
裏技なんて使っていない。
だが、家庭教師に習っていると言っても、この青年は納得しそうにない。
そもそも、ドリアードはストリから納得のいく答えを聞こうなどとは思っていない。
日頃からボーグ家に感じている不満を立場の弱いストリにぶつけているだけだ。
「それは……なんだよ? ボーグ!」
苛立ちをそのまま現したような大きな声。
「あなたには関係ありません」
思わず出た本音に、ストリはあわてて口を押さえた。
相手は大貴族ルシ家の後継者。
こちらはしがない分家だ。
身分に大きな開きがある。
こんな口の利き方をしてはいけないのだ。
「今、何て言ったんだ? 俺に! ルシの俺になんて言ったんだ、貴様!俺には関係ない、だと!?」
身分の低いものに失礼な言葉を言われた怒りが、ドリアードの拳を握らせた。
もう少し成長すれば、この青年も違う納め方を理解できるかもしれない。
しかし、今は怒りを暴力で解消するより他に手はなかった。
握った拳を力強く振る。
ストリの顔面にそれは吸い込まれるように当たり。
鈍い音をたてた。
思った以上の痛みにドリアードは自分の手を見た。
「な?」
そこにあったのは、全ての指が折れ曲がった自分の手だ。
痛みを感じながらも、信じられない顔でドリアードは手を見る。
ストリが防御したから、ではない。
無意識に彼が発動してしまった魔法が、ドリアードの拳を攻撃と認識し、結界として形成されてしまったのだ。
結果、石壁を思いきり殴ったのと同じようにドリアードの手が折れ曲がってしまったのだった。
ネーベルによるストリへの授業は、すでに魔法理論を通りすぎ実践段階へ至っていた。
魔法について習うレベルではなく、使うレベルに。
ストリもまた、魔法使いになっていたのだ。
とはいえ、まだ彼は魔法をコントロールするまでにはなっていない。
魔法の知識が不足しているからだ。
しかし、そんなことはドリアードには関係なかった。
魔法理論を選択しているだけあって、彼もまた貴族の子弟という程度には魔法について知っていた。
彼の手を折り曲げた力が、魔法によるものだとわかったのだ。
「魔法、使い……」
「だ、大丈夫ですか、ドリアードさん」
弱者からの憐れみ、を受けていることに気付いてドリアードは正気に戻った。
そして、右手の激痛。
「こいつは、魔法を悪用した! そして大貴族の俺に危害を加えた! 捕まえろ! こいつは悪の魔法使いだ!」
ルシ派の学生がストリを取り押さえた。
床に押し付けられ、ストリは息ができなくなる。
そして、ストリはドリアード・ルシ暴行容疑で投獄された。
文化の国、知識の国などと言っても、牢獄は普通にある。
鉄格子が外と中をはっきりとわけてしまう。
その隙間から見える世界は、今のストリには果てしなく遠く思えた。
投獄されてからすでに三日がたっている。
日中に取り調べがある以外はずっとこの牢の中にいる。
食事をもってくる者以外誰も来ない。
ストリがいるのは、政治犯が収用される区画だった。
反体制の人間や反乱を企てた者が入れられる牢だ。
ルシ家の後継者を傷つけるというのは、それほどの罪になるのだ。
ストリはそこまで考えがいたらなかった。
傷つけたつもりもない。
それに先に殴りかかってきたのはドリアードだ。
自分はただ守っただけ。
しかし、捕まったのは自分。
こうして牢の中にいるのは自分だけだ。
思考はぐるぐると頭の中でめぐり、とりとめなく揺れ動く。
あのときああすればよかった。
こんなことを言えばよかった。
あるいは言わなければよかった。
そんな強迫観念にも思える思考はやがて、ストリに幻聴のように囁きだす。
お前は失敗したのだ。
間違ったのだ。
思い上がり、分別を無くしたのだ、と。
だが。
それらの言葉を切り裂くように暗い牢内に声が響いた。
「魔法使いは常に冷静でなければなりませんよ」
それは幻聴ではない。
確かに実体のあるものが発した声であり、ストリの良く知る者の声だった。
「先生……」
ストリの知る唯一の魔法使いにして、魔法の師である青年ネーベルが牢の中に立っていた。
「湿気がひどいですね。それに臭う。腐敗臭はやはり、南の世界の耐え難いものの一つですね」
「どうやってここに?」
「施錠された空間に侵入する魔法はいくつか種類があります。簡単なものでは扉や壁を破壊する魔法、難易度が高いものでは空間転移などがありますね。今回僕が使ったのは“解錠”の魔法です」
「解錠?」
「魔力を鍵穴に注入し、鍵のパターンを構築し、物理的に鍵を開ける魔法です。消費魔力が少なく、隠密性も高い。けして派手ではないけれど効果の大きい魔法の一つです」
常と変わらず、講義のような口調のネーベルにストリは苦笑いした。
「先生は変わらないですね」
「焦燥し、狼狽していては魔法は使えませんからね。精神的な安定こそ、魔法使いに問われる資質ですよ」
「ところで、先生は何をしにここへ?」
面会にしては穏当ではない解錠魔法を使っているし、脱獄にしてはゆったりとしている。
どうもネーベルの目的が掴めない。
「知ってますか、ストリ。この国の建国神話の裏に隠された負の物語を」
「え?」
急に何を言い出すのだろうと、ストリはネーベルを見た。
「今から、この国は変わりますよ」
闇の王国へとね、とネーベルは呟いた。




