雪の国より2
「君がストリか」
大貴族ボーグ家の当主、ベーロア・ボーグは鋭い目付きをしていた。
その眼力が強くて、それ以外の特徴が覚えられない。
「はい」
「魔法理論につまづいているそうだな?」
「……はい」
「よい。責めているわけではない。貴族がそれを独占しているのが悪いのだ」
「……」
「とはいえ、ボーグ家に連なる者が学院の学者ごときに舐められるのも不愉快だ」
ベーロアは片眉を上げた。
「よって君には魔法理論及びその知識を学習してもらう」
「学習……ですか?」
「君は毎日、学院の授業後に我が屋敷に来て……いや、なんならここに住むがいい。どうせ、学院の寮にいるのだろう。遠慮するな部屋は余っている」
なぜか本家に住むことになってしまった。
「優秀な家庭教師がいる。それに指導を受けて知識を得るのだ」
ということになってしまった。
ストリが出ていくと、ベーロアの前にグスタフが現れた。
「なぜなのです、父上」
「なにがだ?」
「奴はボーグに連なるのは確かです。ですが、あまりにも遠い」
「血筋的には確かにそうだな」
「ですから」
「私は一人でも優秀な人材を欲しているのだ。それが一族ならなお良い」
「……権力にとりつかれましたか……」
「親にそういう物言いは感心せんな。心配せずとも権力欲とは無縁よ」
「ならば、なぜです?」
「近く、南の国では大戦が巻き起こる。その時に、我が雪の国はどうするか。たとえどう決断したとしても、力は必要だ」
グスタフも噂に聞いていた。
南の覇王ベルトライズと南方諸国の連合の衝突は必至。
雪の国は遥か昔の建国の時から連合国側であるが、ベルトライズの勢い次第ではそちらにつくことはありえる。
その中でボーグ家は雪の国の中心として動くべく、ベーロアは力を蓄えているのだ。
と、グスタフは理解した。
「しかし、ベルトライズのことすらも他の大貴族は知りませんでしょうに」
「で、あろうな。だから早くに動いておくのだ」
「……とりあえずわかりました。しかし、そのためになにも知らぬ少年をボーグの戒めに取り込むなど」
「……許せ。これもボーグの、雪の国のためだ」
「彼は何も知りませんでした。ボーグと、他の大貴族が犯した罪のことを、その呪いを」
「で、あろうな……しかし」
「しかし、それでも、ですか」
ベーロアは考えを翻すつもりはないようだった。
ストリはボーグ家に取り込む。
それが決定事項だ。
家庭教師です、と自己紹介をしてきたのは優しげな面持ちの青年だった。
二十代半ば、長い髪を後ろで縛り、眼鏡をかけている。
すでにストリはボーグ本家の一室に移住していた。
学院寮にあった荷物は全て運び込まれており、ここに住む準備はできていた。
部屋の広さは学院寮の四倍ほど、つまりストリにとって広すぎるほど広い。
大きな寝台が置かれ、窓からは優しげな陽の光が差し込んでくる。
比較的南方に近い雪の国でも、真冬は凍えるほどの寒さとなる。
この部屋はそんな寒さの時でも、暖かく過ごせるように設計されている。
広い部屋に設えられたテーブルはストリですら一発でわかる高級な木材が使用されている。
同じ素材でできた椅子にストリは腰かけていた。
どうも座りが悪いのは高級な調度品が合わないからに違いない、とストリは確信していた。
テーブルの向こう側に座る家庭教師の青年は、高級調度品に特に気兼ねすることなく、自然体だ。
「ストリです」
どうせ、ストリの個人情報などほとんど知られているだろうから、名前しか言わない。
「僕はネーベル。十字路地方の魔法の国の出身です。どうぞ、よろしく」
このあたりは北限と呼ばれており、ここから南にあるいわゆる南方諸国は、世界的には北路地方と呼ばれている。
そのさらに、南にベルトライズ王国があり、もっと南にかつて世界最大の国家と呼ばれたベルスローン帝国があった十字路地方がある。
もちろん、ストリは(おおざっぱな)世界地図を見たことはあるものの、知識としてそれぞれの地方のことを知っているわけではない。
ただ単に遠いところから来たのだなあ、と思うだけである。
「よろしくお願いします」
「さて」
と、ネーベルは分厚い本を一冊取り出した。
「これは?」
「これは北限三国の王候貴族の家に伝わる魔法の知識の源、いわば各貴族の知識の原点ともいえる魔導書“アグリスの書”です」
「暁の十二神の一柱、眠りを司るアグリス、ですか?」
「そう。彼女の子孫らがこのあたりに移住した時に、現地の有力者に渡したと言われるものですね」
「それってめちゃくちゃ貴重なものなんじゃ?」
「貴重でしょうねえ、国によっては門外不出の秘伝の書とでも言われてもおかしくありません」
「いいんですか? 俺にそれを見せて」
「いいんですよ。実を言えばこの本は僕の故郷では子供でも買える、初心者向けの本と同じ内容なんですから」
そんなものを、この国の貴族はありがたがって、学院でももったいぶって教えているのかと、ストリはびっくりしたと同時に呆れてしまった。
「初心者向け、ですか」
「ええ、なにせ、魔法の行使技術はすでに失われて久しい。実践が無ければ発展もまたありえないですからね」
そのため、魔法というものは初心者レベルで発展が止まっているのだ、とネーベルは言った。
「それを俺が覚えて、意味があるのでしょうか?」
「意味はあります。知識は力であり、選択肢となります。何かが起こった時に選べる手段は多い方がいいと僕は思いますよ」
と言ってネーベルは微笑んだ。
「わかりました。それじゃあ、先生。よろしくお願いします」
「ええ。よろしくお願いします」
こうして、その日からネーベルの授業が始まった。
分厚いテキストである“アグリスの書”を開き、魔法についてネーベルは語る。
「まずは魔法とはなんでしょう」
「わかりません」
素直にわからない、と言った方がことが早く進む。
良いにしろ悪いにしろ。
学院の教授もそうだった。
「魔法とは、魔力を代償にその瞬間にあらざる現象を顕現するもの、です」
「魔力を代償にその瞬間にあらざる現象を顕現するもの……?」
ストリの疑問にネーベルは答える。
「魔力とは生き物の魂に含まれる原初の存在の欠片。人も、全ての生き物も必ずそれは持っているのです」
思わず、ストリは己の手のひらを見つめた。
そんな力があるとは信じられない。
「それがあることで、魔法を使えるのですか?」
「ある、から、使える、のではないのです。ある、ことを知り、それを魔法として組み上げる知識を得てはじめて魔法となるのです」
「ということは、魔法を使うには魔力、魔法の知識が必要ということですね?」
「そうです」
「そして、その知識が失われてしまったために、魔法そのものが失われた」
「表現としては、魔法そのものは忘れられてしまった、という方が正しいね。魔法自体は今も、ある、のだから」
ネーベルは右の手を広げた。
ストリの目の前で、何かがその手のひらに集まるような気配がする。
「何を……して」
「もう少し集束すれば君にも見えるよ」
やがてぼんやりとネーベルの手が輝き始める。
それは青白い光だ。
「これは」
ネーベルの手に青白く輝く球体が浮かぶ。
ふわふわ、と恐るべき力を秘めているのを隠すようにはかなげに漂う。
「そう。これが、魔力。人類が忘れてしまった魔法の源だ」
青白い光にネーベルが照らされる。
「先生は、もしかして」
「そう。僕は失われた知識の保全者、幽世を覗くもの、いわゆる“魔法使い”だ」
うっすらと微笑むネーベルの、その瞳がなぜか黄金色に瞬いたように、ストリは思った。




