冬の国にて6
冬の国の王都近くの、冬枯れの森の奥に幽鬼のような人影が立っていた。
アウラとヨ・ベーナの狩りから一週間近くたっている。
森の入り口から奥へと続く、二つの足跡。
一つは小さく、そして急いで走っている。
もう一つは大きく、ゆっくりと歩いている。
オークのヨ氏族、狩人たちよりも鋭い目で、彼はここで起こったことを推察していく。
「若い女がオークと遭遇、そして女は逃げ、オークは追う」
枯れ葉の敷き詰められた森を、音もなくゲイルは進んでいく。
「木の枝に罠、しかし稚拙……いや、わざと見つかるようにしたか」
ゲイルは膝をつき、足元の枯れ葉をどける。
そこには腐敗したオークが横たわる穴があった。
その脳天には矢じりの跡。
「木の枝の罠に注視させ、足元の落とし穴に落とし、脳天を貫く……ただの女ではない。ウォッチャーか?」
その問いは誰にも届かず、木枯らしに消える。
ありえない、と首を横にふる。
ゲイル以外のウォッチャーは死んだ。
役目を離れたウォーカーたちはいるが、純粋なウォッチャーはもうどこにもいないのだ。
それは守護炎をその魂に宿しているゲイルが一番よく知っている。
ゲイルはゆっくりと立ち上がった。
「この向こうは、雪の国、か」
逃げた女がどうなったのか。
雪の国へ行ったのか、という程度の予測しかできない。
スライド公爵のことなど、ゲイルが知るよしもない。
もし、ダークウォッチャーの足の速さで公爵領に向かえば、アウラと遭遇したかもしれない。
しかし、二人はまだ出会う運命ではないようだった。
ゲイルは迷う。
冬の国の王都にいるオークを追うか。
それとも、雪の国の方から感じるダークエルフの気配を追うか。
オークは必ず殲滅しなければならない。
だが。
「それは俺の手でなくとも構わない」
聞けば、オークは王都を落としたものの、逆に都に閉じ込められ人間の軍が包囲を続けているとのこと。
であれば、無理に都に潜入するよりも状況に任せるのが確実とゲイルは判断した。
冬の国の軍が曲がりなりにも生き延びたのは、氷の国でオーク三千を倒したゲイルのおかげなのだが、誰も気づいていなかったのはここだけの話だ。
ゲイルは雪の国へと歩みを進めた。
オークと、そしてダークエルフこそ不倶戴天の敵。
少数でいる今こそ、仕留める好機であろう。
あの黄金色の目のダークエルフを、まずは倒すことにゲイルは決めたのだった。
闇の種族の到来によって、冬の国は大きな被害を受けた。
王都は陥落。
都内にいた数万人のほとんどはオークの食糧となった。
ウィンタリア七将は全員が討死。
軍もほとんど軍隊の体を為さないほどの損害を受けた。
王族にも多大な被害が出ている。
国王コールディン・ウィンタリアは王都奪還を望みながらも、疲労困憊からくる病に倒れ帰らぬ人となった。
王弟ロッキールはじめ、その子、孫にいたるまで王弟一族の男子は決戦の際に戦死している。
王孫ドーヌもまた戦死者の一人だ。
王都を守護していた王子たちも、乗り込んできたオークと戦い、討死したと思われる。
ただ一人、王太子フリーズは生き残り、残存している戦力をまとめ、王都奪還を狙っている。
王都の周囲の被害も甚大だった。
付近にあった十五の村落から、根こそぎ村人が連れ去られ、王都の堀に叩き落とされたのだ。
老人や女子供は避難していたが、逆に壮年の男性たちが多く亡くなってしまい、来年の農業が壊滅的になることは避けられない。
避難民は概ね氷の国へと逃れたが、まだ予断を許さない。
王都の機能は停止し、国王は死んだ。
おそらく国家としての冬の国は滅亡した。
北限三国の頭目たる冬の国の滅亡を南方諸国が知るのはまだ先になる。
そして、その間に北方がボロボロになることも。
そもそも、南方諸国は現在激しい抗争の真っ最中であった。
急速に勢力を拡大しつつある人間の覇王ラススタインが興した第三の王の中の王国ベルトライズが泉の国、木漏れ日の国、潮騒の国を併合し、南方最大の国家となっていた。
南方諸国は、ベルトライズに対抗する国、協力する国と真っ二つに割れてしまっている。
氷の国へ協力を申し出た光の国、風の国、水の国は実のところ、光の国と風の国が対抗派、水の国が協力派である。
両派とも出せるギリギリの兵員がそれであり、それぞれ早く北の諸問題を解決し、南方の争いに加わってほしいと思っている。
対抗派は北が味方すれば、分厚い戦力となると期待しているし、ベルトライズ側は北とベルトライズで挟撃できると期待している。
このように南方は南方で問題を抱えている。
北の闇の種族の到来など些事と思っている。
光の国からの派遣部隊、二百五十名は同盟国である風の国の部隊二百名とともに北と南を隔てるゴロゾン渓谷へ差し掛かっていた。
その少しあとから、ベルトライズ側の水の国の部隊三百名が追従してくる。
陸路を行く以上、このゴロゾン渓谷は避けては通れない難所だ。
「まさか、ここで仕掛けては来ないでしょうね」
不安そうにあたりをキョロキョロと見回すのは光の国の部隊で副隊長を任せられているフライシュ少尉だ。
「こちらの方が数は多いんだ。そんな無茶はしないだろう」
答えるのはシャイナー中尉。
どちらも若い。
二十代前半だ。
出立前に挨拶した風の国の部隊も同じような士官が率いていた。
ベルトライズとの戦争に出すのは、経験が少ない若手士官を中心に抜擢したようだ。
光の国にしろ、風の国にしろ、氷の国からの救援要請を軽く見ていた。
なにせ、相手はオークである。
おとぎ話の悪役が攻め込んできたなど冗談にしか思えない。
ある高官は、オークに言い換えた蛮族の侵攻ではないか、と言っていた。
そちらの方がまだ納得できるのは確かだ。
その予測から派遣部隊が編成された。
つまり、若手士官の指揮による予備部隊の投入だ。
士官には部隊指揮の経験を積ませ、兵員は偵察が主任務と伝達する。
本気ではない、戦意も士気も低い部隊が北へ向かっているのだ。
「でも、向こうはベルトライズの・・・・・・」
フライシュは気弱そうに続ける。
「俺達と奴らは、与する勢力は別だが目的は同じだ。どちらも北限三国の協力は欲しい。オークだかなんだかを追い払って恩を売れればそれでいい。そのためにはこんなところで兵力を減らすわけにはいかんだろ」
「それは、たしかにそうですけど」
シャイナーの言葉に頭では理解したフライシュだが、まだ不安は消えていないようだ。
前方を歩く光と風の国の部隊をゆっくりと追いながら、水の国の部隊長は厳しい顔で行く先を睨んでいる。
「隊長、隊長。こんなところで気張っても疲れるだけですよ。もっと緩んでいきましょうよ」
どうみても十代後半にしか見えない若者が三十半ばの隊長にそう声をかける。
「向こうは奇襲を警戒しているやもしれませぬ。追い詰められ思考が狭まった人間は何をするかわからぬもの。私はそれを警戒しているだけです」
「大丈夫だって、そんなことにはならないよ」
「絶対はこの世にありませぬ」
「そりゃあ絶対はないけどさ。僕はベルトライズ七星剣の一人だよ?あの程度の小勢、一人で蹴散らせるよ」
「それは重々承知しています」
「なら、もっと緩んで緩んで」
「しかし、それが私の役目ですから」
「もう硬いなあ」
水の国は他二国とはまったく違う質の兵員を送り込んでいた。
指揮するのは、武人かつ堅物で知られるミナス大尉。
そして、同盟国のベルトライズの独立部隊“七星剣”の一人も随伴している。
士卒も精鋭揃いであり、水の国の主力とは言わないまでも二番手あたりの実力を持つ部隊なのは間違いない。
将兵ともに、光と風の二国の部隊では相手にならない。
それでもミナスは警戒を怠らない。
今、北で何が起こっているのかわからないまま、三つの国の、それぞれの思惑を持った部隊が進軍を続けていたのだった。




