冬の国にて5
しかし、城外の冬の国軍もただ手をこまねいていたわけではない。
非情な決断をもって軍事行動を続けた。
それは、王都内へオーク軍を封じ込める作戦である。
跳ね橋の開閉機構を自ら破壊し、跳ね橋前に陣地を構築。
全軍をもって王都へオークを閉じ込めた。
だが、それはつまり王都内に残った国民を生け贄にするということである。
二千近くのオークがどれだけ食べるかわからない。
だが、食糧はやがて底をつく。
となれば、オークは人を食らうだろう。
「だが、奴らを解き放つわけにはいかぬ」
自身の失策によって王都は陥落した。
そのことをコールディンは自覚している。
そして、オークの強さもきっちりと理解した。
これをそのまま野に放ってはならない。
これがそのまま南方諸国へ到達すれば人間という種は敗北する。
どうして、闇の種族がネ・モルーサへ封じられたか、ウォッチャーという一族が生み出されたか、北限三国が置かれたか、人間は再び思い出さねばならぬ。
そこにいるのは英邁なる国王ではなく、非情な統治者コールディンだった。
ここに人間とオーク、城の中と外という攻守は逆転した。
ネ・ルガンにとって不意の事態が起こったのはこの時である。
傘下にあったはずのバズダバラ族を中心とした三千のオーク軍が別行動を開始したのだ。
もし仮にバズダバラ軍が人間を挟撃すれば、冬の国は完全に殲滅することができた。
しかし、本来同格である族長間で上下関係が発生していることに不満を持ったバズダバラの族長グ・ボダンは三千を率いて、氷の国方面へ侵攻を開始したのだった。
ダークエルフにならば従うが、ゴレモリアのネ・ルガンに従う理由は無い、とグ・ボダンは考えたのだ。
こうして、オーク軍の本隊はここに足止めされ、膠着状態に陥ることになる。
決戦を前に、アウラは王都を脱出した。
抜け出る道はいくつかある。
井戸、隠し扉、トンネル、アウラが使ったのはそのうちの一つだ。
この道を前から知っていたら、狩りでの出入りも楽になったろうに、とアウラは思った。
こんな時でなければ笑えるのだが、脱出に専念するので一杯だった。
「まずは、スライド公爵のところへ向かう、と」
手にした地図の印と地形を比べ、行く道を決める。
目的地は、スライド公爵領。
冬の国の東端にある小さな平地だ。
スライド公爵は王位継承権第8位、国王コールディンの弟である。
アウラの祖父ロッキールの弟でもある。
前王の末子で、年も若い。
フリーズの二つ下だとアウラは記憶している。
継承権も低いことから、早めに独立し、荒れ地を開墾し領土とした。
隣国の雪の国や南方諸国とも、交流があるらしい。
らしい、というのはこの公爵があまり王都に来ず、王族との付き合いも薄いゆえだ。
アウラも一度か二度しか会ってないと思う。
冬の国の王族はみな銀に近い金髪なのだが、スライド公爵はわざわざ南方風に濃いめの金に染めていたことは覚えている。
いけすかない、というわけでもないがなんとなく合わないかな、とは思ったことは覚えている。
それでも、外にいる唯一の王族であり、親戚である。
他に頼るあてもない。
そのため、アウラは走るのだ。
東へ。
ゴレモリア部族のオーク、ヨ・ベーナは不審な足跡を見つけた。
ヨは“狩り”を意味する古語だが、ヨ氏族はその通り狩りを得意としている。
ガ、だのグといった戦闘専門と違って、ヨ氏族は低く見られる傾向がある。
それでも、狩りというのは極北に近いネ・モルーサでは重要な仕事だ。
ヨ氏族が絶えることなく続いているのも当然である。
今回の遠征では、ゴレモリア部族のヨ氏族は半分以上従軍している。
未知の地である人間の国を進むために、地形察知能力に長けたヨ氏族は重要視されている。
そのヨ氏族の一体であるヨ・ベーナは若いながらも狩人として優秀であった。
堀に突き落とす人間の集落を探すためにヨ氏族は包囲を外れて、周囲を捜索していたのだ。
そのヨ・ベーナは、妙なところから出てきた足跡を見つけた。
ウサギやネズミといった軽い生き物のような足跡だ。
問題は出てきた場所だ。
廃棄された小屋。
朽ち果てたような、誰も使っていない小屋。
しかし、手入れされているような感覚もある。
「人間の臭い」
不意に感じたのは、それだった。
若い、雌の生き物だ。
次に思ったのはどちらにするか、だ。
巣穴を進むか、出ていったものを探すか。
ヨ・ベーナは即決した。
巣穴は次でもいい。
逃げた奴は、今しか追えない。
狩人としての本能は追うことを決めた。
アウラもまた狩人に近い感覚を持っている。
その感覚が、追跡者がいることを知らせてきた。
最初に思ったのは早すぎる、ということだ。
なるべく包囲から外れたところから脱出したつもりだったが、甘かったか。
アウラもまさか乾いた地面についた足跡を、人間の目から見てもわからないほど微かなそれを発見されるとは思ってなかったのだ。
冬枯れの森を素早く、そして痕跡を残さぬように駆ける。
相手はあえて、追っていることを知らせているようだ。
待ち伏せるタイプの狩りではなく、恐怖で追い詰める狩り。
狩られるというのは、こういうことなのだ、とアウラは思い知った。
余裕のあるうちに、装備の点検をする。
弓と矢、ダガー。
背嚢には食糧と少しの薬。
オークと戦うには不十分な持ち物だった。
これが例えばおばあ様だったら、木々の隙間を縫って獲物の急所を撃ち抜くような射撃をするのだろうが、アウラにそこまでの技術と度胸がない。
正面から戦うのはナシだ。
では、どうする?
とアウラは自問自答する。
この枯れ森じゃ、いずれ見つかる。
逃げ切るのは難しい。
そういう時は罠だよ罠。
思い出したのは祖母の言葉だった。
幼いころに連れ出されてた狩りで、祖母シナツは容赦なくアウラに狩りをやらせた。
もちろん、子供の体格ではほとんどの獲物が体格差が大きい。
そんな獣に追いたてられた時どうするか。
その状況でシナツはそう言ったのだ。
一番効くのは、上を見せて下だよ。
とも言っていたのをアウラは思い出した。
追い立てるヨ・ベーナは枯れ森に入る。
ネ・モルーサでも良くある光景だ。
わざと音をたてて、足跡と臭いを追う。
獲物に恐怖を与え、疲労させたところを追い詰める。
それが狩りだ。
これで人間の集落を見つければなおよし。
そうでなくても、若い雌の人間だ。
腹を満たせる。
狩人特権で、族長の次の二番目に肉を切り取れる。
上手い肉が食える。
狩りと飢えによる興奮で、ヨ・ベーナの集中力はわずかに落ちていた。
ヨ・ベーナは木々の奥に人影を見つけた。
落ち葉に覆われた森の中心、大木の根本に人間。
薄暗いが臭いは人間のものだ。
だが、その手前の木に細い糸が結びつけられているのを発見する。
拙い罠。
とヨ・ベーナの口元に笑みが浮かぶ。
己の身をさらして、こちらが突っ込んできたところを罠に絡めとり、逆に打つというつもりだろう。
甘い甘い。
そんなものがヨ氏族の狩人に通じるものかよ、とヨ・ベーナは大鉈を振った。
オークは普通、鉄棒やら大剣といった巨大な質量武器を扱うがヨ氏族は弓と大鉈を使う。
狩りの時にでかい武器は邪魔になるからだ。
その大鉈で罠ごと枝を切り落とし、獲物に駆け寄る。
傷のつくのは仕方ない。
逃げられないよう大鉈で仕留める!
ヨ・ベーナは大鉈を振り下ろす。
その時、そのオークは足元が急に消え失せたような感覚になった。
落とし穴!
と理解したのは落ちたあと。
そんなに深いものではない。
せいぜい足を取られるくらいだ。
だが、それが大きな隙になる。
「わざわざ人形まで造ったのに気付かないなんてな」
人間の声。
ヨ・ベーナの頭上から聞こえる。
弓を構えた半裸の若い雌。
上着を脱いで枝や土で造った人形に着せて、ヨ・ベーナを欺いたのだ。
そのうえで見つかりやすいような簡単な罠を設置し、そこに気を取られたところで、落とし穴。
三重の罠を短時間に作り上げ、必殺の状況を生み出した相手にヨ・ベーナは尊敬の念を抱いた。
力、ではないが確かに相手は強かった。
強い相手に無条件に感嘆し、尊敬するオークの本能だった。
「俺の負けだ。射て狩人」
ズン、と脳天に衝撃を受けて、ヨ・ベーナは死んだ。
荒く息を吐きながら、アウラは座り込んだ。
追跡者は死んだ。
なぜか、最後にこちらを古語で狩人などと呼んだが、とりあえずは安全を確保した。
ギリギリのところだった。
糸の罠を設置して、穴を掘って、上着を着せた人形を用意する。
見破られる可能性もあった。
たまたま上手くいっただけだ。
でも。
「勝ちは勝ち、だよね」
これ以上、時間を取られるわけにはいかない。
さらなる追撃がないことを期待して、アウラはその場を離れた。




