冬の国にて1
冬の国で第十三位の王位継承権を持つ姫君アウラ・ウインタリアは人生最大の危機に直面していた。
現王の王弟の三男の娘、という一応王族という家柄に生まれた彼女は王候貴族というものにどうしても慣れることができなかった。
第十三位王位継承権という資格も、彼女にとっては重いだけだった。
宮廷の暮らしより、国の北に広がるヨルド平原を走り回るほうが好きだった。
貴族の子女の手習いより、鹿や兎を狩ることの方が好きだった。
アウラと同じように王弟の三男に生まれた父も彼女のそんな行動を咎めはしなかった。
貴族の子女は、普通は有力な家臣や他国の王候貴族に嫁ぐ。
いわゆる政略結婚というやつだが、この北限三国に関してはそれはあてはまらない。
もともと建国理念として北からの、闇の種族からの防衛が定められている以上、よしみを通じるまでもなく、三国は協力関係にある。
さらに言えば南方諸国はできるだけ、北限三国とかかわり合いになりたくないというのが本音だ。
南方諸国にとって北限は壁である。
そんなところに縁を繋いでも諸国の主導権争いにはなんら影響はなく、政略結婚の駒を一つ無駄にするだけだ、というのが共通認識だ。
となれば国内の有力者に嫁ぐか、とはならない。
冬の国は武門の国だ。
古の戦神ガンドリオも主ではないものの信仰されているほどだ。
ゆえに国民皆兵である。
ウインタリア七将と呼ばれる七人の将軍のもと、全国民が有事の際は兵として戦うのだ。
この七人に余計な力を持たせないように王族との婚姻は認められていない。
まあそもそも、現王が退位し、王太子が新たに即位すればアウラの持つ王位継承権は無くなってしまう。
というのも、冬の国においては現王の兄弟及びその子と孫までしか王位継承権を与えられないのだ。
王位継承権の無い者は、王族から臣籍へと降る。
良くて家臣、おそらくアウラくらいだと平民になるのであろう。
ほぼ確定である。
だから、父親や二人の伯父ものんびりと過ごしている。
現王の嫡子である王太子くらいである。
いつも忙しそうにしているのは。
そして、今日もアウラはヨルド平原に来ていた。
びょうびょうと吹く風は冷たい。
体の熱を根こそぎ奪っていくようだ。
ヨルドの北へ行ってはならないよ、という祖母の言葉を唐突にアウラは思い出した。
平民出身の祖母は、もともと旅人だったのだという。
三十年以上前に、傷を負って平原に倒れていたところをアウラにとって祖父にあたる王弟ロッキールに拾われ、なんやかんやあって妃になったという。
そのころはすでに王太子も生まれていたので、おそらく王位を継ぐことのない王弟ロッキールが平民の妃をめとってもさほど問題は無かった。
その祖母であるシナツは経歴こそ不明だったが、あれやこれやあってすぐに王族の信頼を獲得したのだという。
これが普通の国ならば貴族の横槍が入ったり、法的に問題があったりと行き倒れが王弟妃になることなどできなかったと思われるが、そこはおおらかな冬の国である。
アウラの剣と弓の腕はシナツによって鍛えられた。
経歴不明の人物ながら、達人級の腕前をもつシナツのことをアウラは尊敬している。
残念ながら祖母は三年前に亡くなったが、彼女が伝えてくれた技は今でもアウラの中に残っている。
その祖母が強くたしなめたヨルド平原の北には何があるのだろう、とアウラは一度ならず考えたことがある。
おとぎ話では、そこは昼も夜も凍りついた大地で、そこかしこに闇の種族がうごめいているのだという。
そしていつの日か、再び結集しこの豊かな大地を取り戻さんと到来する。
冬の国をはじめとした北限三国はその襲来から世界を守る為に存在する、だかなんだか。
でも。
アウラにとって北の地に感じるイメージは、暖かく燃えるかがり火だった。
目を閉じれば、見たこともない風景が脳裏に浮かぶ。
かがり火に人々が集い、笑いあい、暖まっている。
かがり火を囲むように建物がたてられ、人々はそこに住まい、暮らしている。
人々はみな、不思議な紋様のついた服を着ている。
それは祖母シナツが一度見せてくれた故郷の服に似ている。
だから、これはシナツの故郷の様子なのだろう。
自分の感じるイメージと祖母が見せてくれた服が、頭の中で混ざってこのような光景を作り出したのかもしれない。
あるいは、本当にこんな光景があるのかも、とアウラは思う。
どちらでもよいのだ。
この光景は確かに頭の中にあって、アウラはそれを見るのが好きだった。
それでよいのだ。
過去へと戻る心を今へと引き戻し、アウラは弓を引く。
集中し、狙いを定め、放つ。
矢が放たれて、獲物が小さな悲鳴をあげて倒れるのを見て、ようやく集中が解ける。
この何者にも入り込めない集中の瞬間がアウラは好きだった。
生と死が入り交じる刹那。
アウラはそこを愛していた。
「弓を司るキース神に感謝を」
と神に感謝を捧げて獲物に近付く。
かなり大きな鹿だ。
立派な角が生えている。
肉も食べられるし、毛皮も使える。
それになにより、鹿角は鹿茸とも呼ばれる薬の材料だ。
商人のもとに持っていけば、それなりの金額になる。
将来平民が確定しているアウラにとって自由に使えるお金があることは大事なことだ。
それを狩りで補おうというのはどうなんだろう、と従兄弟たちにはよく言われる。
男達はいいのだ。
男子の王族が臣籍になる場合は一代限りだが爵位を得ることができる。
それで国から家禄をもらって生活できるから、生きていける。
しかし、女子のアウラはどうだ?
女性が貴族の家を興すのは、今の時代不可能だ。
平民女性が王弟の妻になるより難しいだろう。
だったら手に職をつけて、食い扶持を稼ぎ、貯金をするというのが正しい道ではないか。
射止めた鹿はとりあえず腑分けをする。
もちろん、ちゃんとした解体は専用の施設ですることにしている。
こんな大自然の中で血の匂いをぷんぷんさせていたら、狼がよってきて大変なことになる。
大振りのダガーで切り分け、油紙で包み、革の背嚢に入れる。
重い。
確かに、こんな血まみれになって歩き回るのは十代の女子としてどうかとは思う。
しかし、仕方ないのだ。
文句なら、こんな風に仕込んだシナツのお祖母さまに言ってほしい。
街に戻り、背嚢に詰めた鹿肉を完全に解体し、肉と皮と角を市場で売り捌き、血で汚れた体を公衆浴場で洗って一息ついて、アウラが王城に帰宅したのはすでに陽が暮れてからだった。
父親は仕方ないなあ、という顔をして何も言わなかった。
祖父である王弟ロッキールは豪快に笑い、アウラの頭をがしがしとなでた。
そして、あまり遅くならないようにしろよ、とだけ言った。
結局のところ、この王族唯一の姫君であるアウラのことをみんな甘やかしているのだった。
深夜。
唐突にアウラは気付いた。
火が消えた。
そんな、夢を見た。
狩りの疲れも癒えぬまま、寝台からアウラは飛び起きた。
はあはあ、と荒く息を吐く。
心臓がバクバクと鼓動を打つ。
部屋の窓を開け、北を見る。
そこは漆黒の闇。
星明りも見えない。
だが、アウラにはわかった。
何かがゆっくりと南下してきたことを。
祖母の故郷が失われたことを。
闇の種族が到来したことを。
なぜなら、目をつむってももう暖かいかがり火の幻影は見えなくなっていたからだ。




