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太平の勇者  作者: 赤の虜
序章 はじまりの惨劇
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六話 誘拐

 スキタリス帝国の従属貴族。魔族のドールが治めるミサップ城周辺の森の中では今、小さな影が飛び回っていた。

 影達は一つの影を包囲するように放射状に広がっている。

 包囲されているのは、人族の少年パシフィカ。

 そして、彼を包囲していっているのはドールの息子、ジェルマンに指揮された魔族たちとミサップ城の居候であるイルブラッド。彼に関しては人族ではあるけれど、長年ミサップ城での居候生活をしてきたので、人族よりも魔族との親交があるという奇妙な状態にある。また、彼は個人的にパシフィカに敗北を重ねてきたこともあり、積極的に協力してくれている。

 そして、外出のとき、日頃ならばジェルマンの側を片時も離れようとしないあのトリケリーまでも今回はパシフィカを追い詰めることに喜んで参加してくれた。

 彼のメイドであるトリケリーの変化に、ジェルマンは相好を崩す。


「トリケリーは真面目だからね。付き合うとかそういうことはまだ早いにしても、僕らとそう変わらない年頃の少女であることに違いはないのだから、偶には思いっきり遊ばないとね」


 彼が今いるのは、パシフィカを囲み、徐々に円を小さく縮小させていく包囲網の外。もしジェルマンが包囲に加われば、きっとパシフィカは彼を捕まえて人質として逃げ延びる策に出るだろう。

 ジェルマンはそう予測した。

 ハーフとはいえ、ジェルマンもまた吸血鬼という強力な、しかも太陽を克服した希少な吸血鬼であるドールの血を受け継いでいる。しかし、彼の日課は残念ながら読書。パシフィカが言うには本の虫らしい。

 流石のジェルマンも、そんな自分が戦闘を得意としていないことくらい理解していた。たとえ力で勝っていても、技でパシフィカに捕まってしまうかもしれない。

 日頃からトリケリーへのアプローチに全神経を注いでいる色ボケとはいえ、彼の戦闘能力の高さは魔族の五歳児よりもはるかに上だろう。

 何でもあのフィヤースという父親が物凄く強いらしいからね。

 ジェルマンはそう胸の内で呟く。

 何せジェルマンの尊敬する父、ドールと対等に接する商人という時点でおかしいし、あの鋭い目つきは商人のそれではない。

 彼らが出会った当時ではまだドールがミサップ城の主だったかは不明だが、それでもただの商人が魔族とコネクションを持つなんて、この世界の常識にはない。

 本の虫だけあって、常識の知識だけは豊富なジェルマン。

 だからこそ、パシフィカに近づく気はない。

 徐々に小さくなり、ジェルマンの視界から消えそうな包囲網。


「よし、あと少しであの小憎たらしい色ボケに仕返しできるな」


 何をしてやろうかと考えるジェルマン。

 その背後の茂みがカサカサと揺れる。

 ジェルマンは警戒する。


「まさか、あの包囲網を抜け出した?」


 パシフィカの能力を過小評価しすぎたのか。

 しかし、ジェルマンの警戒はパシフィカのことに関してはまったくと言っていいほど、不要だった。パシフィカは依然として包囲網から抜け出していない。茂みにいるはずがないのだ。

 けれど、別の意味ではその警戒はよく勘づいたと称賛されるべきものだった。

 茂みから現れたのは、森の中を移動することには適していない、甲冑を身につける者達。見るからに人型のシルエットだが、甲冑によってその顔は判別できない。

 しかし、ジェルマンは彼らを知っている。

 いや、正確に言うなら、見当がついているというべきか。ミサップ城に甲冑で来る人型の者達など、魔族にはいない。

 そんな格好で来るのは魔族を警戒し、いつ襲ってくるかわからないと怯える者達だけ。

 つまり、ミサップ城を治める従属貴族を見張るフール将軍の率いる千の常備軍しかいない。

 その兵士達が十数人。


「兵士の方々、ここは木々が生い茂る森の中。迷子にでもなったのですか?」


 と尋ねつつも、ジェルマンはそんなはずはないだろうと思っている。

 フール将軍の常備軍は常に怯えて千の兵で大挙してきては、ミサップ城からありったけの食糧を奪っていくのだ。それほどの臆病者がこんな魔族に返り討ちに遭うかもしれない場所に少数の兵を送ってくるか。

 これは相手を探る問い。


「あ……ああ、その通りだ! よかったよ、君は魔族の子どもだろう? 私達をミサップ城まで案内してくれないか?」


 返事をしたのは一人だけ甲冑を身につけておらず、魔族にとっては煩わしいだけの髭を端正に伸ばした男。

 これは……確実にフール将軍の部下ではないだろうな。

 ジェルマンは確信した。

 なぜなら、フール将軍の部下ならば、絶対に魔族に道案内など求めないから。ミサップ城に訪問する度にフール将軍は兵を集めては言い聞かせているのだ。

 魔族に道を聞くくらいなら迷え。それでも聞いたなら斬首する。

 どうしてそこまでするのか、それくらい聞いたらいいじゃないかとフール将軍嫌いのジェルマンでさえ思っているのだが、フール将軍の魔族嫌いは常人の想像を絶している。


「なんだ……余所者か」


 ジェルマンは氷のような眼差しで男に問いかける。

 近くではパシフィカ包囲網という子どもの遊びが繰り広げられている。仮にここで彼が悪事を働きに来ていたとすれば、最悪誰かに害が及ぶことも考えられる。

 あっさりと子どもに演技を見破られてしまった男は表情を消し、


「ちっ、お前のようなガキに構っている暇はない」


 と顔を歪めて言う。

 何かに急いでいる? 狙いは誰だ? そもそもこの男は帝国貴族なのか? 王国の人族ということもあるかもしれない。でも、王国の人族がミサップ城に忍び込むなんてありえない。ミサップ城は魔界とは近しい位置にあるとはいえ、王国との国境にはゴストレイト将軍が備えているはず。

 駄目だ。考えても答えが出ない。


「父の城に何の御用かな?」


 ジェルマンは男達の目的を探る目的でそう聞いたのだが、これが不味かった。


「父だと? ……するとお前がドールの息子か?」


「それがどうかした?」


 ジェルマンは男達に危機感を持っていたけれど、城主の息子という自分の価値をしっかりと理解していなかった。というのも、ジェルマンは幼少からトリケリーに付きっきりで護衛されて育ってはいても、彼からすればトリケリーは少し年上の同世代の子どもという認識でしかない。

 そして、彼は本の虫。これまで窘められることなく、言われずとも自分から部屋で大人しくしているいい子だった。だからこそ、痛い目にあったことはなく、実は偉いのはドールだけでジェルマン自身は良い暮らしできるだけの子どもという認識のままであった。

 ――――それが最悪の形で表面化してしまった。

 男はニタッと気味の悪い笑みを浮かべる。


「ああ、これほど何かに感謝してことはない。これはきっと建国王カサール・サーヴァンの導きに違いない」


 ジェルマンはカサール・サーヴァンという名に聞き覚えがあった。

 カサール・サーヴァン。ロマンヌ王国の建国王。当時はまだ現在の王国の十分の一以下の領地から旗上げし、地元の同年代の友人と三人の英雄達を指揮してロマンヌ王国を建国した王の名。

 彼の名を口にした時点で、男が王国の人族であることと彼が貴族の出であることは確定する。王国の貴族達は未だにカサール・サーヴァンの栄光にしがみついているからだ。


「すぐに捕らえよ! 捕らえた者には褒美を約束する!」


 男の言葉によって、甲冑を身に纏う兵達がジェルマンに駆けてくる。彼らは武器を手にしていない。もし誤って殺してしまえば、褒美がなくなるからだ。

 だが、ジェルマンも吸血鬼と人族のハーフ。半分が人族とはいえ、もう半分は吸血鬼。

 その膂力は五歳児とはいえ、人族よりも上。

 だが、ジェルマンは動けなかった。これが何も知らずに吞気に遊んでいるパシフィカ達のような状況なら違ったかもしれない。

 しかし、これは遊びではない。殺しはしないが褒美に釣られて、醜い欲望のままに襲いかかる兵士達に、ジェルマンは恐怖した。

 彼の母親は人族である。随分と奔放なところはあるとはいえ、息子思いの優しい人族。そして、最近出会ったパシフィカという人族や居候のイルブラッド。

 フール将軍とスチューピッドという多少度の過ぎた魔族嫌いもいるとはいえ、人族もそれほど悪い者達ではないのではないか。

 そんな彼が抱いていた幻想が打ち砕かれる。

 ジェルマンは思う。

 なんだ……この人族達は。

 兵士の一人がジェルマンに向かって、飛びかかるが、ジェルマンは容易に回避し、兵士は地面に顔から飛び込む。

 だが、すぐに立ち上がって、首を左右に振り、ジェルマンを探す。

 どうしてそんなに必死になって僕を襲う? 傷ができただろう? 痛くないのか? どうして向かって来る? ……いやだ、来るな。僕に触れるな!


「避けるなよ、魔族!」


「お前を捕まえるだけで王国に戻れるかもしれないんだよ! ほら、こっちに来い!」


「なあ、別にいいだろう? 魔族なんていっぱいいるんだから」


 兵士が口々に私利私欲のために、ジェルマンに文句を言ってくる。

 好き勝手に、魔族のことなど露ほどの気にする様子もなく。まるで消耗品を使用するような気軽さで、ジェルマンに捕まれと怒りをぶつけてくる。

 ジェルマンは恐怖で頭を抱えて、蹲ってしまう。


「嫌だ、来るな。僕に近づくな!」


 しかし、足を止めてしまい、回避することもないならば、兵士達が躊躇などするはずがない。彼らは今、欲に駆られた獣だ。恐怖に怯える魔族の少年に、憐れみなどない。

 兵士達がジェルマンの押さえ込むようにして、捕らえる。


「放せ! 触れるな!」


 ジェルマンが吸血鬼の膂力で暴れるので兵士達の拘束が緩む。


「暴れるなよ、魔族が!」


 抵抗がなくなるまで殴り、蹴られたジェルマンは精神的にも、肉体的にもボロボロだった。

 男はその様子を満足ように見終えて、


「さあ、帝国に従属する魔族の息子を手見上げに、王国に凱旋しましょう!」


 満面の笑みで言い、兵士達も頷く。

 甲冑の擦れる音がするが、気にも留めずに兵士達と男は森の外へと走る。これから彼らに訪れる幸福を思って、彼らの足は今、羽のように軽くなっている。

 兵士達を止める者は誰一人としていない。

 フィヤースはエリーゼにかかりきり。

 パシフィカ、トリケリー、ジェルマンの三人と魔族の子ども達はパシフィカ包囲網に熱中して、近くで起きていたことに気づかない。

 そして、森に住む魔族達は日頃からドールから、人族が現れたら決して近づかないように言い含められており、ジェルマンが誘拐されたことに気がつかない。

 こうして、スキタリス帝国従属貴族ドールの一人息子であるジェルマンは、誰にも気づかれず、誘拐された。

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