五話 森の探索
ドールが巨人族退治に向かって十日後。
「はあ、退屈だ。どうして庭に出てはいけない。俺はどこで剣の修行をすればいいんだ」
「こんなときくらい剣の修行はしなくてもいいんです。イルブラッドは座学でもしてなさい」
俺はジェルマンの部屋にいる。あとはジェルマンとイルブラッド、そしてトリケリーがいるが、みんなどこか機嫌が悪い。
他人事のようだが、かくいう俺も機嫌は悪い。
天気が良いようで、窓から差し込む日差しが眩しいほどだか、今はそれが憎たらしい。何故今晴れるのか、いっそ雨なら諦めもつくというのに。
「ところで、本の虫ジェルマン。君のお父さんはいつ頃帰って来る? いい加減部屋に閉じ込められているのは辛い」
「誰が本の虫だって? ……悪いけど僕にも父上がいつ帰って来るのかなんてわからないよ。そんなに部屋から出たいなら、君のお父さんに相談してみれば?」
「俺に死んでこいと?」
「君のお父さんだろ?」
「だがこの世で一番恐ろしいんだ」
「じゃあその案はなしでいこう」
「当然だね」
ここ何日か、俺達はずっと外に出たいと切に願っている。あの引きこもりのジェルマンですら、最近は窓の外を見ることが増えているので、普通の俺にはもっと辛い。
ドールさんがミサップ城を空けてすぐのこと。俺達はジェルマンの部屋に監禁された。
犯人は俺の父、フィヤース。
虐待かと言われるとそういうわけでもない。何でもスチューピッドの一件がある前から、ドールさんとフール将軍は犬猿の仲らしく、ドールさんの弱みであるジェルマンは、いつ誘拐さらてもおかしくないとのこと。
父さんはそういった大人の事情を隠すような真似はしないので、包み隠さずに教えてくれた。
しかし、いくら仲が悪いと言っても、誘拐までするだろうか?
と、父さんに疑問をぶつけてみたが、
「俺の勘はよく当たる」
という謎の理屈で一蹴された。
なんだよ、勘って‼ それで納得できるわけないだろうが‼
――――そんなわけで今、俺達は無性に外が恋しい。
スチューピッドに危害を与えてしまい、これ以上フール将軍を刺激するべきではないということは理解できる。
しかし、庭にすら出てはいけないというのは過保護が過ぎるのではないか。
「まあ、仕方ないよ。パシフィカのお父さんは母を見張るので精一杯だろうからね」
「ジェルマンの母親って、確か人族だよな? 人族相手にあの父さんが苦労する姿が想像できないな」
吸血鬼の父親と人族の母親との間に生まれたのがジェルマンだ。これは俺がミサップ城に来てから数日後には聞いた話だったが、まさか人族側の親の方に問題があるのだろうか。俺はずっと吸血鬼の父親の方にばかり意識が向いていた。
「残念ながら母上に比べれば、まだ父上はまともだよ。……母上は奔放でね。昔、散歩に行くと言って一年間失踪したほどだ」
「…………」
失踪って。大丈夫なのか、その母親。明日にはミサップ城からいなくなっているんじゃないか。
それで俺は気づく。
なるほど。だから、父さんは苦労しているのか。そして、その結果として俺達はジェルマンの部屋に閉じ込められていると。
「なあ、ジェルマン君。全面的に君の母親のせいだよな」
「そうだね、本当にごめん」
ジェルマンが読んでいた本を閉じ、
「お詫びに森にいる魔族を紹介しよう」
と言った。
魔族を紹介? どういうことだろう。
ミサップ城の周りを囲む森。ジェルマンの言う森がそこを指すことはわかるが、俺達はこの部屋から出られない身である。ならば、森にはこういう魔族がいますと語ってくれるのだろうか。
なるほど、それなら本の虫である彼にとっては得意分野と言える。
だが。
「そんな生殺しはごめんだ。遠慮しておくよ。ジェルマンの話を聞けば、森を探検をしたくなるかもしれない」
だから、事前に断っておく。
「おい、パシフィカ。何か勘違いをしてないか」
肩に木剣を担ぎ、扉の前に立っているイルブラッド。そこにジェルマンが並ぶ。
突然、どうしたのだろう。
「話だけ聞いてもつまらないだろう? だから、今から森に行って紹介するよ」
珍しいこともあるものだ。本の虫が蛹を経ていない状態で蝶になり、空を舞うくらいの衝撃だ。
「大丈夫なのか、ジェルマン」
つい俺は聞いてしまう。
「流石に何日も部屋の中にいるのは退屈だろう? 少しだけなら君のお父さんにもバレないさ」
サラサラの黒髪を靡かせ、格好良いことを言うジェルマンだが、俺の心配はそこではない。
「いや、読書はしなくていいのか? 君の生き甲斐だろう?」
そう、ミサップ城でのこれまでの生活で俺は学んだのだ。本の虫は本を読むことで栄養を蓄えている。加えてジェルマンは重度の本の虫。彼に必要な読書エネルギーは大量に存在するはずなのだ。
しかし、俺の心配に対するジェルマンの反応は拍子抜けするほど大したことはなかった。
「いや、本は好きだけど、別に生き甲斐というわけではないよ」
「そうだったのか……」
驚いた。
「本気でそう思っていたんだね。怒りづらい」
そうか。ならば、少しだけジェルマンの好意に甘えるとするか。
ただし、俺にはさっきから気になっていることがある。
「トリケリーはいいのかい? 嫌だったら言ってくれていいよ。こんな読書馬鹿と剣術馬鹿のことなんか」
トリケリーはこの十日間。メイドであることを除いても、口数が減っていた。
スチューピッドとの一件で落ち込んでいるのだ。
俺はトリケリーのせいだなんて微塵も考えてない(むしろ、トリケリーにぶつかったスチューピッドが悪だと思っている)が、こういうことは本人が一番気にするようで、元気がない。
「いえ、私に決定権はありません。そもそも私が原因で部屋に居続けなければならないのです。文句など言う資格はありません」
こんな感じで暗い雰囲気だ。
悲しい。俺のオアシスが苦しんでいる。
「うん、森に行けば気晴らしになるかもしれない! すぐに行こうか、馬鹿ども」
「なあ、ジェルマン」
「気持ちはわかるけど、抑えて。トリケリーを心配してくれているのは本当だから」
ジェルマンとイルブラッドから強烈な視線を感じるが、気にしない。今はトリケリーを励ますことだけ考えるのだ。
「いざ、魔族の森へ! ……なんてね」
トリケリーのためとは言っても、多少は森の魔族にも興味がないわけではない。
***
「どこへ行く気だ?」
ミサップ城の廊下に父さんの声がこだまする。
こっそりと庭に出ようとしたが駄目だったか。父さんと綺麗な大人の女性が一人。
腰まで届く艶やかな黒髪に、穏やかな雰囲気、目の下の泣きぼくろのある美人。
無論、浮気現場を見たというわけではない。
彼女はエリーゼ。ジェルマンの母親だ。息子が言うには吸血鬼の父親を凌ぐ問題行動をとり、うちの強面の父さんに苦労をかけているらしい人族だ。
声をかけられたのは俺とジェルマンの二人だけ。さきほど森の探索のため、父さんの監視を潜り抜けることが目標だ。
俺達は目的の達成のために分散して行動することになった。
「すみません、読書をしていたら気になることがあって。父の書斎から本を借りに行こうと思っていたんです。パシフィカはその付き添いに来てくれただけです。部屋ではイルブラッドも待ってます」
作戦通り、淀みなく嘘をつくジェルマン。
ちなみに、イルブラッドは窓から壁をつたって庭に降りており、トリケリーはお菓子を取りに行くに見せかけておき、堂々と庭に出た。
つまり、あとは俺とジェルマンが庭に出る。そして、合流すれば森の探索は叶うのだ。
父さんはジェルマンの言葉に、「そうか」と言って、何故か俺を凝視して、
「本当だろうな、パシフィカ?」
と確認する。
どういうことだ? 俺の反応をみれば真偽がわかるということだろうか。それは困る。俺はトリケリーの元気を取り戻すため、彼女を森に連れ出さなければならない。
「仮に嘘で何か企んでいたとしても、父さんと会った時点で俺は諦めるよ」
「……それもそうか」
俺の返答に父さんは納得してくれた様子。
――――まあ、嘘は言っていない。トリケリーに会う前の、恋を知らない子どもの俺なら諦めていた。
しかし、今の俺は父さんが相手でも立ち向かうけどね! 愛は父を超えるのだ。
「あ! そうだわ! 花よ、花を取りに行かないと!」
父さんの追及から逃れると、エリーゼさんが突然そう叫んで廊下を走りだす。
「くそ! 少し目を離すとこれか! パシフィカ! 部屋で大人しくしてろよ!」
「わかってるよ、父さん。頑張ってね」
「言われなくともそうする」
そうして、父さんという脅威は去った。
しかし、本当に父さんが苦労しているとは………。
「ジェルマン、君の母親はすごいよ」
「嬉しくはないな」
こうして、俺達は庭にて合流し、森の探索に出ることに成功した。
***
ミサップ城を取り囲む森は木々や草が生い茂っていて、照りつける日差しさえ、ほとんどが遮られ、暗い。日中であるというのに涼しいものだ。
一月ほど前までは、その暗さこそが俺を怯えさせる理由であったことを思えば、世の中何が幸いするのかわからない。
この暗き森で暮らす魔族とはどんな者達なのだろうか。俺は森に住む魔族について尋ねていない。楽しみはとっておきたい性格だ。
一人気持ちが昂っている俺とは違い、ジェルマンとトリケリーの魔族コンビは落ち着いている。正確にはジェルマンは半吸血鬼であるので、彼はハーフということになるのだが、ミサップ城の城主の息子という立場があるからか、彼の足取りは軽い。これがここ一月もの間、本の虫であったなど信じられないくらいには。
また、俺同様に人族であるイルブラッドも緊張している様子はない。彼もまた長期にわたり居候している身であるからか、森の魔族に対しても動じないということなのかもしれない。もしかしたら知り合いであるかもしれないが、そういったことは一月しか滞在していない俺には知りようがないこと。まして楽しみを後にとっておく俺の性格からして、知ることは非常に困難だった。
淡々と前を歩くジェルマンに、いつ止まるのかと思い始めたとき、ちょうど彼は足を止めた。
「ここでいいかな?」
「よろしいかと」
「いいじゃないか? 誰かには聞こえるだろ」
「?」
なんだ、このはっきりと言葉にしなくても通じ合っている感じ。特にトリケリーとそういう会話をするとは羨まけしからん!
「ああ、パシフィカにはわからないか。まあ、見ていてくれればいいから」
ジェルマンが爽やかな笑みで言う。
……くそ。この坊ちゃん、日頃は本を間に挟んでの会話ばかりしていて気にしなかったが、普通に格好いいな。
俺に顔の良し悪しで嫉妬されているとは思っていないだろうジェルマンは(というか、こいつは自分が格好いいなんて思っていないタイプだろう)、両手を口の前で筒状にして、
「遊びに来たよー!」
と大声で言った。そして、その美声が辺りにこだまする。
何をしているのか、まさか部屋にずっといたせいで気が狂ってしまったのだろうか。
俺がそんな心配をする必要はなかった。
それよりも前に森中から草木が揺れる音が至る所で聞こえ、徐々に近づいてくる。
一つ二つではない。何十もの音が全方位から圧迫するように接近する。
日頃、父さんという怪物から訓練という名の恐怖体験を味あわされている俺にはそんな気配の接近がわかってしまう。
だからこそ、この接近する気配が魔族なのだろうなと何となく察することができてしまう。知りたくなかった。
ジェルマンやイルブラッドがしてやった、という顔をしているのが辛い。きっと俺が驚くことを期待してくれているのだろう。
ごめんな、驚愕しようにも全部の気配を把握しているんだ。
森の魔族に会おうというお楽しみイベントは己の気配察知能力の高さから台無しとなった。
はあ、それもこれも父さんのせいだ。
――――だが、茂みから姿を現した魔族に俺は驚いた。
ミノタウロス、コボルド、オーガ、フォレストウルフ。
その数と種類が多いこともさることながら、登場した彼らがみな、まだ成長途中であることに驚いた。
成長途中。
つまり、現れたのは全てが俺達と同様に魔族の子どもだったのだ。子どものジェルマン達が紹介する相手なのだから、子どもであっても不思議ではないのだけれど、俺は無意識に大人の魔族達を紹介されるとばかり思っていた。
そういう意味で驚かされた。
「よかった……。パシフィカも驚いてくれたみたいだ」
「ああ、びっくりした。これだけの魔族の子どもとは会ったことはなかったし、見かけることはあっても、大人ばかりだったから」
「なんだよ、あの登場には驚かなかったのか……」
残念そうなイルブラッド。
「そう残念がる必要はないだろう。せっかくだし、これからみんなで遊ぼうじゃないか!」
俺を驚かせたことよほど嬉しかったのか、ジェルマンは笑顔でそう言った。五才児とはいえ、こいつは重度の本の虫。そんな彼が外で遊ぼうということは普通ではない。異常である。
だが、ここで俺は流されるだけではいけない。確かに魔族の子ども達の登場には驚いたけれど、俺にはもう一つ、やるべきことがある。
「トリケリー、君も一緒に遊ぼう。君は俺の太陽だ。君の笑顔がないと俺の人生は本の虫と剣好きの猪と戯れるだけになってしまう」
「パシフィカ……うん、わかった」
日頃は俺を避けていたトリケリーが(最近知った)、俺を敬遠していないことが彼女の元気がない証明だ。
だが、よかった。彼女が参加するなら、俺はどんな遊びでも楽しむ自信がある。
「腹が立つな。この色ボケめ」
「トリケリーを励ましつつ、僕らに喧嘩を売るやり方を覚えたみたいだね。……今日は追いかけっこでもしようか。もちろん、持てる力を全力で発揮して……ね」
こうして、俺への怒りを遊びにぶつけるジェルマンに率いる魔族の子ども達とイルブラッドが一方的に俺を追い詰めるという虐めのような遊びが始まってしまうことになった。
ちなみに、魔族の子ども達は俺達の言葉を理解していた。フォレストウルフだけは言葉を話すことはできなかったが、他の子ども達は片言だが話せたので、コミュニケーションの方も問題はない。
「遊びを始めるのはいいけど、最後に一つだけいいかな?」
今にも俺に襲いかかろうとするジェルマン一行だが、俺の言葉に動きを止めてくれる。
俺は自分の前に手を出す。
「ジェルマン、イルブラッド、トリケリーも重ねて」
不思議そうに三人は俺の手を上に、手を置いた。
「これからするのは父さんが大きな商談のとき、商隊のみんなを集めてすることだ。せっかく森の魔族に会えた、トリケリーも少し元気が出てきた。だから、今やりたい」
俺の言葉に否を言う者はいなかった。
ありがたい。イルブラッドが文句を言うかもしれないと思っていたのだが、意外と空気を読んでくれるようだ。
『俺達は切っても切れない、固い絆で結ばれている! この中の誰であろうと苦しくなったときはみんなを頼れ! たとえそれがどんな困難であろうと俺達はそいつを救う! 俺達は助け合う! 誰も欠けることなく、またこうして顔を合わせよう!』
「なかなかいいこと言うね」
「まあな、あの血も涙もないような父さんの人の子だったというわけさ」
「お前、よくそんなフィヤースさんに聞かれたらヤバイこと言えるな」
「ぷっ……パシフィカはいつもはあんなにフィヤースさんの悪口ばかりなのに慕っているんですね」
「…………」
好きな人が笑ってくれたのは嬉しいけれど、改めて俺が父さんを慕っていると言われてしまうと、認めがたいものがある。
「でも、いいのかい? 早く逃げないと僕らは追いかけっこを始めてしまうよ」
「まだ根にもっていたのか! このおっとりジェルマン!」
本当……こいつは本の虫でいる方がいいかもしれないな。外に出すと面倒なことしかないぞ。
こうして、俺が後々も悪夢として見ることになるーーーー追いかけっこが始まった。