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太平の勇者  作者: 赤の虜
序章 はじまりの惨劇
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三話 スチューピッド現る

 スキタリス帝国のミサップ城。帝国の従属貴族となった魔族の城。帝国の支配下にはあるけれど、いつ反乱を起こすかわからない危険因子。

 ここに来る前の俺の常識。

 しかし、今は違う。

 ミサップ城は楽園だ。


「おーい、おっとりジェルマン。トリケリーはいるかい? なんなら呼んできてくれ」


「相変わらずトリケリーにご執心だね、色ボケパシフィカ。この時間帯ならトリケリーは屋敷の清掃か、庭に出て、洗濯でもしているんじゃかいかな」


「そうか、なら探しに行こうか」


 ここはジェルマンの私室。当初は本の多さに年配の御仁の部屋と思ってしまったが、今では納得している自分がいる。

 この城の主、吸血鬼のドールさんの一人息子であるこのジェルマンは、重度の本の虫だ。

 暇があれば、本を読んでいる。ドールさんはなんでも俺がこのジェルマンを外の世界に連れ出してあげることを望んでいると、何日か前に父さんから聞いたが無理だ。

 この男、部屋から一向に出ようとしないのだ。そして、彼の友人であるイルブラッドは外にばかり出て、剣の修行に励んでいる様子。なぜこうも対照的な二人の仲がいいのか、俺にはさっぱりわからない。

 まあ、ドールさんには悪いが俺はイビルゴブリンのトリケリーと距離を縮めることにしか、興味がないので、ジェルマンを外に引っ張り出すのも、そのついででしかない。


「袖を引くのはやめてくれ。本に集中できない」


 ジェルマンはこの調子。それを言うなら、お前こそ読書をやめてくれ。俺が愛しのトリケリーと過ごす時間は限られているのだ。お前に時間を費やすことが時間の浪費である。


「いいから行くぞ。引きこもりのジェルマン」


「その呼び方はやめてくれないか。なんだか無性に腹が立つ」


 文句ばかりのジェルマンだったが、なんとか庭まで連れ出すことに成功した。

 今日で、ミサップ城に滞在して、一月。俺もここの生活に慣れてきた。

 今では魔族を見ても、平然としていられるし、ここは従属貴族とはいえ、貴族であるからか、食事に困ることもない。しかも、メイドもいる。むしろ、行商人をしていたときよりも良い暮らしができているのではないかと思うことさえある。

 だが、それでも不満はある。その一つが庭で延々と素振りをする奴だ。


「ようやく来たな、色ボケパシフィカ! 今日こそ俺が勝つ!」


 ミサップ城の居候。人族のイルブラッドだ。

 初日にトリケリーの名を教えてもらった俺は上機嫌になり過ぎて、彼に無様な敗北をプレゼントしてしまった。そのツケをこの一月、ずっと受け続けている。

 顔を合わせる度に、やれ決闘だ、やれ今度は俺が勝つと言って、木剣を振りかぶってくる戦闘狂がこいつだ。

 そして、今日もまた木剣を手に、俺に飛び掛かってきた。


「はい、毎回お疲れ様」


 少し力の籠めた回し蹴りを腹にくらわせる。トリケリーに会えない苛立ちをぶつけてやった。

 イルブラッドは腹を押さえて転がり回る。学ばない男だ。強くなりたいなら俺ではなく、俺の父であるフィヤースに挑めと言っているのに。

 この男、俺が薦めても、一向に父さんには挑もうとしないのだ。


「もう俺じゃなくて父さんに修行をつけてもらいなよ」


「お前の父親はドールさんの客だ。居候の俺に時間をかけさせるわけにはいかない」


 噓つけ。この前、庭で父さんと会ったとき、恐怖で震えていたじゃないか。絶対にビビっているだけだろうが。


「あっそ。とりあえず、三十戦三十勝だ。いい加減諦めてくれ」


 正直に言って、鬱陶しい。最初は勇ましい五歳児だなーと、自分が同年代であることを棚に上げて思い、稽古をつける気持ちで付き合っていたのだが、これほどしつこいと嫌気も差す。


「ふん、強くなる俺を恐れたか!」


「あー、うん。そう、君が強くなるのが恐ろしいー。だから、もうおしまい」


「えっ、いや、ちょっと待て!」


「ようし。面倒事が一つ解決した。これで心置きなくトリケリーを探しに行ける」


「いや、俺はそういうつもりで言ったんじゃなくて……」


 イルブラッド本人から言質をとって、逃げようとする俺と、もう戦ってもらえないのではないかと慌てるイルブラッド。

 俺達を見て、ジェルマンが口を押さえて、笑いを堪えている。

 あいつ……読書をやめたと思ったら、他人の不幸を笑っていやがる。


「じゃあ改めて、三人でトリケリーを探しに行こうか!」


 この一月。俺は毎日が楽しい。いつも周りにはジェルマンやイルブラッド、そして、愛しのトリケリーがいて、互いにふざけ合い、ときに口論して、喧嘩は日常茶飯事だが、それがまた毎日のいいスパイスになる。

 今が、今の生活こそ、俺にとっての幸福だ。


「あとはトリケリーと結ばれれば……」


「まだ言ってるのか、この色ボケは」


「距離をとられている実感がないんだろーね、きっと。だって、彼女が逃げてもすぐにパシフィカが距離を詰めるから」


 ジェルマンとイルブラッドが何か言っているがどうでもいい。

 大事なことは……。


「待っていてくれ! 俺の心のオアシス、トリケリー! すぐに会いに行く!」


「聞いてねえ」


「イルブラッド、信じられるかい? この子、僕らと同じ五歳児なんだよ」


「信じたくねえ」


「僕もだ」


 トリケリー、すぐに行くから待っててくれ!


 ***


 トリケリーは突如、寒気がした。

 彼女はミサップ城の庭で洗濯をしていた。冷たい水で濡れる手が冷える。それでも、トリケリーは鼻歌を歌いながら、楽しそうに衣類の汚れをごしごしと落としていく。

 寒気はきっと冷たい水で洗濯をしていたからにちがないと彼女は思う。

 彼女は元々、ゴブリンの集落でも忌み子として扱われてきた。彼女の肌の色は灰色であるから、同じゴブリンとは思われなかったのだ。そして、口を開いたと思ったら、変異種ゆえに人間や他の魔族たちのような流暢な言葉を話す。

 それが集落のゴブリン達に距離を与え、ついには捨てられてしまった。

 ちょうどそのときだった。

 衰弱しきっていた彼女に手を差し伸べたのが、ジェルマンの父親、ドールだ。以降、彼女はドールに仕え、その息子であるジェルマンには生涯に渡って仕えることをドールと己に誓っている。

 だからこそ。雑用とはいえ、彼らの生活のために働けることが彼女にとっては嬉しいことなのだ。

 それに最近のジェルマンは生き生きとしている。トリケリーやイルブラッドとは違う、パシフィカという同年代の少年と仲良くなったことで、口には出さないが、外に出る機会が増えている。

 それもトリケリーが上機嫌な理由の一つ。


「セイがデるワね」


 背後から拙い言葉がする。

 トリケリーと同じメイド、リザードマンのクルーディアだ。彼女は最近パシフィカの様子が不思議だとトリケリーによく教えてくれる。トリケリーからすれば、パシフィカという少年は終始おかしな言動ばかりなのだが、クルーディアには違って見えるようだ。

 なんでも最初はクルーディアに見惚れていた様子なのに、その日を境にして、逃げるようにしているらしい。それが不思議で仕方ないと、好きならもっと積極的に向かって来るべきだ、私の種族だとそうするという疑問が彼女と顔を合わす度に話題となる。

 しかし、今回は別件のようだった。


「どうかしましたか?」


「いヤなジョうほうヨ。まゾクぎらイのフーるショウグんとそのムスコがみさっぷジョウにキテしマッタわ」


「えっ! フール将軍が来たの!」


 トリケリーは溜め息を吐く。

 フール将軍とは帝国から派遣されている人族の名である。従属貴族になったとはいえ、いつ帝国に牙をむくかわからない者達は常にその動向を見張る帝国貴族の軍がいる。

 軍は全部で三つある。元王国貴族たちを見張るゴストレイト将軍、元商業連合の商人たちを見張るアンビション査察官、そして、魔族を見張るフール将軍である。

 しかし、迷惑なことに彼らは千の常備兵を引き連れ、その食糧を従属貴族たちに負担させている。フール将軍の来訪も大方それが理由だろうとトリケリーは思う。

 危険な者達を見張りつつ、食糧を蓄えて反乱を起こさないように食糧を差し出させる。まさに従属貴族には目の上のたん瘤のようなものだった。


「ふーるショうぐンはドールサマがたいオウしてクレていルから、あナタはジェルマンサまタチをヘヤからデないヨウにシてモラえる?」


「わかりました! すぐに向かいます! あっ、クルーディアさん。洗濯の続きをお願いします!」


「わカッテイルわ」


 フール将軍とドールは、魔族と人族という関係とはまた別の理由で、仲が悪い。だからこそ、ドールの弱みとなってしまう子どもを無防備に放っておくことはメイドとしてできないのだ。

 トリケリーは庭を駆ける。パシフィカが来てから、ジェルマン達はよく庭に出るようになった。それ自体が嬉しいことなのだが、現状を思うと今日だけは部屋にこもってくれていればよかったと思うトリケリーだった。

 イビルゴブリンは敏捷性においてもゴブリンをはるかに上回る。賢さも力も、上である。つまり、完全にゴブリンの上位種と言っていい。

 彼女の足は速い。トリケリー自身もまだその速度域で疾走すると、視野が狭くなってしまうが、今はそれどころではない。

 早くジェルマン達を見つける必要がある。トリケリーが焦るのも無理はない。

 ――――しかし。それが不味かった。

 庭に植えられた一本の木。四季のあるこの大陸において、季節ごとのその姿を変える木。春には花見をするのがミサップ城の定番。

 その木の横を通り過ぎるとき。トリケリーの前に飛び出した影があった。

 影はトリケリーよりも身長が大きかったが、横幅はほっそりしている。

 両者は勢いよくぶつかる。


「ごめんなさい!」


 トリケリーは吹っ飛ばされ、痛みに顔を歪めながら地面に腰を打ちつれてしまった少年に謝罪する。

 少年は身長が高く、ほっそりとしており、髪型はキノコのように乱れなく切り揃えられている。

 トリケリーに怪我はない。イビルゴブリンとただの人族の身体能力には大きな差がある。たとえ正面衝突しようと彼女は平気だった。

 だが、痛みに顔を歪める少年は違う。彼はトリケリーを睨みつける。


「その灰色の肌……お前は魔族だな!」


「は……はい」


 トリケリーは返事をしながら、事態の大きさに気づいた。

 この少年、どう見ても人族である。それもトリケリーとは面識のない、イルブラッドのような居候ではない人族。

 ならばこの少年が誰なのかトリケリーにも想像がつく。


「父上の言う通りだった……。魔族というものは野蛮だな! フール将軍の息子であるこの僕、スチューピッドにこんな乱暴をしてただで済むと思うなよ!」


 フール将軍の息子。

 トリケリーは泣き出したい気持ちだった。

 何がジェルマン達を探す、だ。自分が面倒を起こしているではないか。


「すみません! どうか許してください! この通りです、お願いします!」


 トリケリーは懸命に頭を下げる。自分のせいで恩人であるドールに迷惑をかけるなど、絶対に看過できない。


「許してほしいか?」


 スチューピッドは笑う。


「はい!」


 トリケリーは顔を上げる。


「なら、その汚い顔を僕に向けるなあ!」


 トリケリーの顔をスチューピッドは殴った。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 痛みはさほどない。そこは魔族であり、なおかつ上位種であることが幸いした。ただ、ここで許してもらわなければドールの足を引っ張ることになる。その方が嫌だったトリケリーは反撃しない。


「この……薄汚いっ、魔族が! 人族であるっ、この僕にっ!」


 スチューピッドは倒れてしまったトリケリーを何度も踏みつける。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 いつ終わりが来るのか、トリケリーがそう思い始めたときだった。


「おい、キノコ頭。お前、俺のトリケリーに何してる?」


 一月前から聞き慣れた声がした。


「パシフィカ、トリケリーは君のじゃない。僕のメイドだ」


「どっちでもいいだろうがっ! とにかくあのキノコ、どうする? たぶん、フールの息子だぞ、あいつ」


「おいおい、イルブラッド君。少し考えればわかることだろう?」


「そうだよ、イルブラッド。既にこの状況だと選択肢は一つだ」


「わかってるよ。一応、確認しておきたかっただけだ。つまり……」


「「「あのキノコ刈り取ってやる!」」」


 トリケリーの我慢が無駄に終わった。


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