火曜日
昨夜のヤケ酒のせいで平松は日中調子が悪く、仕事を開始したのは夕方頃であった。
趣味というだけでなく、この車を今時珍しいと思う客を狙ってわざわざ旧車を使っているという所もあるので、情緒もクソもない酔っ払いが増え始める夕方から始めてもあまり客足は望めそうにないが、病気でも無いのに何もしないまま一日を終えるというのはどうも落ち着かなかったのでこうして少し町を周る事にしたのである。
ただ、一日のほとんどを寝て過ごしたとはいえ、昨夜はことごとく健康に悪そうな事をしていたので、大事をとって早めに切り上げるつもりであった。
今のところ客はまだ一人も乗せていない。
(これ以上この周辺で粘ってもしょうがねぇな、すぐに帰れるようにもう少し家に近い所へと行くとするか)
そう考えて自宅周辺へと向かっていると、東京駅付近で老婆が手を挙げているのが見えた。
平松は車を路肩に停車させ、後部座席の扉を開ける。
すると、
「珍しい車に乗っていらっしゃるんですね。つい乗りたくなって停めてしまいましたよ」
と言いながら老婆が入ってきた。一目で大金持ちだと分かる身なり立ち振る舞いであり、雰囲気がかなり若々しい。
あまりにも雰囲気が若々しいので平松は少し彼女に年齢を尋ねたくなったが、どうにも言葉が出てこなかった。
よく女性に年齢を聞く事は失礼にあたると言われているが、彼女の場合は聞かれる前に雰囲気で封殺してしまっているようである。
結局気になった事は何も聞かずに、
「貴女のような私の車を珍しいと思って下さる方に楽しんで頂くために、この商売をしているんですよ、本日はどちらへ?」
と尋ねた。
「×××ホテルまでお願いいたします」
「心得ました、早速参りましょう」
平松も釣られて妙な言葉遣いになってしまったが、後部座席の老婆は特に気にした様子はなく、ただただ微笑んでいる。
道中、老婆が積極的に話しかけてきていたので、平松はそれにひたすら応じていた。
平松から彼女に尋ねた事は特になかったが、彼女の話から、金沢から明日芝居を観るために東京に来ているという事を察する事は出来た。芝居の内容についても話していたが、平松はそういった物を嗜んだ事がなかったので
「そうなんですか」
とか、
「良いですね」
などといった生返事しかできなかったが、それでも非常に楽しそうに話している老婆の様子がバックミラー越しに確認できる。
平松はあまりサービス精神が旺盛な人間では無いが、ここまで満足そうにされたら老婆に何かしてやりたいという気持ちになり、
「乗り心地は悪く無いですか?」
とか、
「一応、制限速度通りに走っていますがスピードが速いというようなことはありませんか?」
というような彼女を気遣うような発言が自然と増えていった。
平松が気遣う発言をする度に老婆は、
「大丈夫ですよ、お気遣い有難う御座います」
というような返しをしていたが、
「何か要望はありませんか?」
と尋ねた際、
「そうですね…そういうことでしたら運賃は高くなっても構わないので少しの間、古くからある建物を案内してくださいますか?」
と答えた。
(しまった…こっちが色々と聞いた事で逆に気を使わせてしまったかもしれん)
そう思ったが嫌という訳にはいかない。
仕方ないので、
「こちらから提案した事なので追加料金は不要ですよ」
と言ったが、
「そういう訳にはいきませんよ、労働の対価としてというよりも、楽しい時間を提供して頂いたお礼として受け取ってくださいませんか?」
と引こうとしない。
何度か同じような問答を続けたが、結果は変わらなかったため、平松が折れて周囲にある昔の建物の案内をし始めた。
ただ、時間も時間であり、運賃の事も気になったので近くにあるものをいくつかピックアップして、そこを最短距離で周るようにした。
周り終わって老婆が宿泊するという一流ホテルに到着し、運賃を払った後、
「凄く楽しかったです。有難う御座いました」
と彼女は平松に握手を求めてきた。
その様子を見てどうやら案内を求めて来たのは自分を気遣ったためでは無いという事を確信した平松は、
「こちらこそ、貴女のような素晴らしい方を乗せたので今日はぐっすり眠れそうですよ」
と握手に応じた。
この日はこれ以上人は乗せまいと考えた平松は客を拾わない様に道を選びながら帰り、家へと戻ると帰路の途中で少し奮発して購入したパック寿司を食べ、早めに眠った。