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山岳地侵入部隊迎撃戦録

作者: 八樹聡

十七大陸の辺縁、環の十一国。

その中でも辺縁部にある山の国。

資源もあり、比較的豊かな国。

隣国枝の国は険しい山に囲まれた辺縁国。

その国から、招かれざる使者が、国境の谷を歩いていた。


山の国と枝の国の国境付近。

大河の引いた後のような、急峻な谷が続いている。

谷の上部、開けた土地に点在するテント。

テントの中にはいくつかの姿。

その姿の周りで、物々しい機械を操作する姿がふたつ。

テントへ出入りする姿がふたつ。

大きく広げられた地図の前で動かない姿がひとつ。

「大尉、敵の動向報告よろしいでしょうか」

大尉と呼ばれた男。

無骨な顔立ちからは、歴戦を感じさせる。

山岳帽を深く被り、地図を眺めながら口元に目を運んでいる。

その口元には、しわくちゃになったタバコを遊ばせている。

火はついていない。

「それからの状況は掴めているのか」

入ってきた報告員の報告内容を、聞かずして把握している口ぶり。

「大切なのは、今じゃない。

 それからの情報を手に入れることが大切だ」

口元のタバコを遊ばせたまま報告員に伝える。

「この後の動きの予測を立てて、次の報告はプラン提案で頼む」

目線が口元から地図へと移る。

報告員は略式の敬礼をすると、テントから出ていく。


谷の高低差は大きい。

谷の下部は往来路として機能している。

山の国と枝の国は積極的な国交は無い。

往来するのも、郵便使節などの必要最低限のもののみ。

その要因の大きなひとつとして、国境の谷地を抜けた先には、森が広がっている。

山の国の民は「魔除けの森」と称されている広大な森。

ほとんど手が入ることの無い森のため、目印となるものが少ない。

森に入った者は迷ってしまって、そこから出ることが出来ない。

昔は迷いの森と呼ばれていたものが、いつしか魔除けの森と変わっていった。

それほどにこの森は深い。

往来には「魔除け人」と呼ばれている森の住人の案内が無ければ安全に抜けることはできない。

森を抜けて谷間を通っても、上部から常に山の国に監視されている。

谷の上部は開けた土地になっていて、遠くまで見通すことができる。

その土地事情から、山の国の軍事的管轄下にあるため、一般人が立ち入ることはほとんどない。

また、上部から下へ降りるための道は細く、往来には適さない。

谷が急に終わる場所。

そこが枝の国との国境。

そこには谷地よりも更に深い谷と川が交差するように走っている。

これも、山の国と枝の国が積極的な国交を行えない要因のひとつとなっている。


枝の国から山の国へと国境を越えるために架けられた橋。

この橋を渡ることが、正規の入国ルートとなっている。

正規ルート以外からの入国は、非正規入国扱いと見なされ、逮捕あるいは迎撃の対象となる。

そうは言っても非正規の入国のために谷底へ落ちるリスクが大きいため非正規での入国はほとんど見られない。

枝の国は政治情勢は比較的安定しているため、国外への逃亡、亡命は考えられない。

山の国も情勢は安定している。

山の国の軍事部隊は精強で、周辺諸国からは常に畏敬の念を抱かれて警戒されている。

中央部隊は隣接国を超えて評判を得るほどに統率が取れて、練度もまた高い。

そんな高い統率を持つ軍隊の中でも、国境警備を担当する各方面には、選り優れた人員が配属されている。


中央から展開される組織単位である「部」の中のひとつ。

魔除けの森から枝の国までを主任務領域とする「三部方面」に属し、国境警備を担当する部隊。

谷地の開けた上部へ展開されているテントが、三部方面隊麾下、ヨコダ大尉指揮部隊。

部隊順から、第二隊、あるいはヨコダ隊と呼ばれる最前線警戒部隊。

報告員をテントから下げたヨコダ。

火のついていないしわくちゃのタバコを口元で遊ばせたまま、地図を眺めている。

被った山岳帽のつばを後ろ前にして、難しい顔をした。

「さて、どこまで進んでくれているんだろうか、」

ヨコダの目の前に広げられた地図には広く塗られた面が数か所と、それを裂くようにして走る筋が幾本。

広く塗られた場所には四角い模様が配されている。

地図上の模様が、部隊の展開位置を指している。

筋は谷地を表している。

そこから地図の手前に移ると、谷地とは違う色で塗りつぶされた広大な面が広がっている。

ここが魔除けの森となる。

魔除けの森は谷地とほぼ同じくらいの幅を持って、帯のように広がっている。

非正規ルートでの侵攻は、谷を抜けた後に同じほどの距離、魔除けの森を抜ける必要がある。

それも、山の国への侵攻を難しくしている。


魔除けの森付近の住人は、その森の深さの経験則から、攻められることは無いと信じ切っている。

当然、森を抜けるのは簡単なことではないが、歴史を見れば、枝の国にこの森を抜けられた経験は過去に実在している。

一般民には知らされることは無いが、この重大な軍事的失態は直ちに共有され、教訓として根付いている。

それ故に谷地の警備任務を重要視し、高い士気で警戒に当たっている。

ヨコダ隊もその歴史の中のひとつとして任務に当たっている。


不法な越境者の監視のため、基本的に観測手を多めに配している。

観測手は個人に望遠鏡が割当てられている。

伝令は山の国で取れる鉱石電信を用いた一種の無線電信技術によって、体制を築いている。

観測手からの連絡は鉱石電信によって中継手へもたらされ、幾人かの電信を経てヨコダの元へ集約される。

最終の指揮判断はヨコダの決定によって行われる。


前線に居続ける者は「帽子組」と呼ばれる。

その防止組の中でも、ヨコダの戦歴、実力から部下の信頼は非常に篤い。

常に困難とされる部隊を所望し、実績を立ててきた、完全な叩き上げ。

これだけ実力もあり、人望もあるにも関わらず、幾度となく中央への昇格を打診されるも、断り続けている。

本人曰く、中央に居ては見たいものが見えない、それに自分の目の届く範囲を越えてしまって恐くなる、ことを理由としている。

そういった、非常に高い実力を持ちながらも、最前線に留まる人材が多いのも、この国を攻めにくくしている特徴のひとつである。

その点での統率は多少乱れはあるものの、現場での統率に乱れはなく、むしろ高い士気を維持するのに役立っている。

ヨコダは、そういった階級外の強さが抜きん出ている存在の1人なのである。


「よし、そろそろ読み込みに入るか」

山岳帽を一度頭から外して、再び被り直す。

「読み込みを、どこまで深めて行くか。

 提案されたプランもまとめて検討を進めるか」

そう言いうと、しわくちゃになったタバコに、火が着いた。


野営テントの中に、一筋の煙が立ち上る。

「通信手は中央へ打電、恐らく侵攻する部隊ありの一報を」

 観測手は経過を注視しつつ通過を容認せよ。

 やっこさんの詳細把握をしっかりとな。

 装備と必死な表情具合まで判明したら、追って報告せよ」

最後のひと言は半ば冗談めいてにこやかに伝令した。

だが、和やかな声色と違って目元は鋭く地図を捉えている。

そして、この冗談を冗談として受け流さないのが、この隊の精強さの所以のひとつでもある。


数刻ほどして野営テントに伝令が入る。

先程出ていったのとは違う、風格のある伝令員。

「報告します。

 仮敵の人数は6人、軽度装備にて武装、重攻撃の意思は無しと見られます」

ヨコダの目線は地図から動かない。

「よし、やっこさんの表情はどうだ」

「はい、あまり必死さは感じられません。

 この手の任務に慣れた部隊と思われます」

ヨコダの目線が少しずつ動き始める。

幾本ある筋のひとつ、報告の間隔から、仮敵の進行速度を割り出す。

進行速度は一定、あまり急ぐことなく慎重に進んでいることを確認している。

「さて、どこまで入ってきてくれえるのか、慌てずいこうか」

ヨコダの目元に少し筋が入った。

口元も、先程のような冗談めいた笑みが浮かんでいる。

「中央伝令の密度を少し高めたい、頼まれてくれるか」

今、報告をした伝令にお願いを立てる、これもヨコダのやり方のひとつだ。

命令系統の基本形は持ちつつも、臨機応変に体制変更を行う。

当然、融通を行うことで欠ける部分が発生するため頻繁に行うことはない。

これを行うのは、部隊の中でも信頼を築いた間柄であったり、直接の戦闘に影響の無い範囲で行われる。

それをお願いという形で依頼することで、命令のような強制性を持たせずに、自主的な行動を可能としている。

これもヨコダ隊連携の強さの所以のひとつである。


侵入部隊は、変わらぬ進行速度を持ったまま、谷を移動している。

隊の表情にこわばりは見られない。

このような状況では高い緊張が侵入完了まで継続する。

それでも、身体に硬さは見られない。

適度な緊張を保ったまま、目配せのみで、ひと言も発することなく進み続ける。

谷から見える空は狭い。

薄い筋雲が谷と交差するように走っている。

部隊の誰一人空を見上げることはなく、真っ直ぐ前だけを見て進んでいる。

目線は常に四方を見回して、警戒を怠ることはない。

どこに山の国の索敵がいるのか、自分たちの侵入位置はどこなのか、思考を最大限に巡らせている。

そんな状況下では、風景を眺める余裕などは微塵もない。

ただ、風景、とりわけ筋雲の具合によって、自分たちの位置を把握に活用している。

軽装備では自分たちの持ち物以外で使えるものは、何でも使うことが絶対となる。

谷の侵入度合いも、雲の位置や、谷の形状など、見えるものは全て使う。

奥に見える魔除けの森まではまだまだ遠い。

ここで迎撃されてしまっては任務失敗となるため、それだけは避けたい。

魔除けの森まで入れば、撹乱できる可能性が高まるため、一層この谷に緊張感を高めて臨んでいる。

森の姿は、まだまだ見えない。


侵入部隊の後方遠く、観測手の望遠鏡。

一本筒の視界には部隊の1人がくっきりと映っている。

移動に合わせて望遠鏡を微細に動かす。

「進行方向、魔除けの森は変わらず、対象は後列左、引き続き観測」

それを聞いた伝達手が手元の鉱石通信機に打電する。


谷の上、広い土地に点在する野営テントのひとつ。

伝達手から打電された文面を受けて、中継手のテントに打電が入る。

テントの中にも、中央と同じ物々しい機械が置かれている。

そこに集められた情報を打電機に入力する。

入力された打電は、そこから離れた開けた土地、魔除けの森に寄った場所にあるテント。

テントにはヨコダのテントにあるものと同じ物々しい機械が並んでいる。

そこに集められた侵入部隊の情報を集約して、横にあるヨコダのテントに伝令として入っていく。


ヨコダのテントにある通信機械は、観測対象以外の情報が集められている。

気象情報、魔除けの森内に展開している観測部隊からの入電、中央との有線通信網。

基本的には気象情報のような刻々と変わる状況のみが入ってくるため、二人のうち一人を交代要員として機能させている。

交代要員とは言われつつも、ヨコダの解析した"ひとりごと"を各員へ送信する。

「やっこさん、日が落ちる頃合いには森に入れるか。

 それならそれでいいが、中央からの戻り次第だが、どう出るか。

 夜の森の観測は少し厳しいが、向こうの方が厳しさは上か。

 ただ、夜目の中じゃ手負いに近い暴れ方をするだろうから、慎重に進めねばな」

ヨコダの読み込みと読んでいる、分析、洞察力は山の国で随一。

深い読み込みからの指示は、相手の動きの全てがヨコダの手の中で動いていると評されるほど、適切に相手の動きを読み切っている。

中央と呼ばれる山の国の参謀部でも、ヨコダの指揮力は伝わっていて、常に中央へ呼ばれてる。

だが、当人は自分の目が届かなくなることを理由に中央へ行くことを拒絶し、前線に留まり続けている。

実のところは不明だが、あまり参謀部との政治的駆け引きをするのを嫌っているという噂もある。

一度中央での会議へ出席したところ、参謀部の軍議に退屈をして放り出したという噂もある。

いろいろと噂は立っているだろうが、それほどに中央はつまらない場所だ、というのは本人の弁であるので中央を好んでいないのは間違いがない。

それ故にヨコダは中央からははみ出し者のような扱いを受けているため、中央の戻りも時折鈍い。

その鈍さで致命傷を受ける、とヨコダは口やかましく通信を続けている。

致命傷になっていないのは、ヨコダ隊がそれを必死に防いでいるというのは、国民、とくに魔除けの森近辺や国境付近の住人には当たり前の認識となっている。

だからこそ、ヨコダ隊は地域住民から、強い尊敬を集めている。

隊員も、この評価を元に入隊するため、敬意も厚く、士気は非常に高い。

それが今回の侵入部隊の観測を、非常につぶさに、遅滞なく実行がされていることの大きな理由となる。


山の国、主要都市内の中央司令部。

豪華な造りの建物、重厚な扉を叩く伝令。

開いた先にはヨコダの所属する三部方面統括カマイシの姿。

士官服の肩の階級章は帯と色が多く、階級の高さをわからせている。

襟元にも、階級を模した徽章。


この国では、中央へ入ることを指して制服組と呼ばれている。

中でも、上級士へ昇格すると、士官服の襟元に徽章が入るため"襟付き"と軍内部で呼ばれるようになる。

"襟付き"とは、つまるところ出世コースの中でも勝ち組に入る。

それ以外の制服組は"襟なし"と呼ばれ、出世コースから外れた者を指している。

カマイシは"襟付き"の中でも下級に位置している。

それでもカマイシは叩き上げで襟付きとなったため、表情はいかつく、皺とも傷とも取れる歴戦の相貌を湛えている。


伝令はカマイシの元に歩くと手にした電文を手渡す。

「報告します。

 枝の国より非正規の入国者あり、とのことです」

概要を簡潔に伝えられ、詳細を電文で受け取る。

「今回はいつものとは違いそうだな」

電文に目を流しおわると紙をたたんだ。

手元から視線がゆっくりとあがっていく。

直立する伝令の顔まであがったところで、口を開いた。

「三部方面へ伝令。

 非正規の入国を侵攻近似行動と認定、深度追跡を続行。

 極力接敵を避けて退去されたし。

 繰り返しの後、伝達」

「繰り返します。

 非正規の入国を侵攻近似行動と認定、深度追跡を続行。

 極力接敵を避けて退去されたし。

 伝達します」

敬礼を交わして伝令は足早に部屋を出る。

「さて、ヨコダなら問題はない。

 後はこの伝令にどれだけの収穫があるか、だろう」

カマイシは椅子に背を預ける。


伝令はカマイシからの伝言を総合統括部へと持ち込む。

「非正規の入国を侵攻近似行動と認定、深度追跡を続行。

 極力接敵を避けて退去されたし」

総合統括部内での情報の持ち回りが始まる。

その間に伝令は三部方面へ優先伝達を終えている。

三部以外への情報伝達と共有によって、意思統一を図るための必要とされる行動。

ヨコダ当人は"自分で転びに行ってる"と揶揄しているこの情報伝達が、非常に時間を要する。

現場からの情報が入ってから、返答が出力されるまで二時刻はゆうに掛かってしまう。

その間にも枝の国の部隊は侵入を深めていく。

ヨコダはそれをいつも歯がゆく感じている。

そのために、委細までを把握した上で中央へ報告を入れている。

詳細の具合で、緊急度を判断するのが、カマイシの役割となる。

今回は通常の斥候よりは高い喫緊度であると判断し、持ち回りを急がせた。

カマイシもまた、高い洞察力によって、適切に判断を下すことのできる人材である。


この二人、以前に同じ部隊を経験していたこともあり、連携は非常に高い。

ヨコダは前線へ、カマイシは後方へと進む道を分けたが、同じ国防のビジョンを持っているため、行動には無駄がない。

だからこそ前線第一のヨコダのいらつきも理解でき、後方の根回しをするカマイシの根気も互いに理解している。

この二人が居る場所であれば、まず間違いなく突破は出来ないだろう、それが内部でのもっぱらの評である。


「持ち回りが終わって、命令に変わるまでは動けない

 だからこそ、今のうちに出来る限りの準備は済ませないとな

 夜戦準備だけはしっかりとしておけ」

ヨコダの"ひとりごと"に、徐々に強みが出てきている。

実行時間が近いことを感じ取った伝令は各員へ伝達する。


日が、森の側へと傾いていく。

直上にあった太陽が少しずつ傾き、影を長くしていく。

その中を、枝の国の侵入部隊は、進んでいく。

こそこそと隠れるでもなく、かと言って堂々ともしない。

見た目は疲れた隊商のようにして、谷をひたすらに進み続けている。

言葉を交わすことはない。

会話を禁止されているということではない。

必要以上の会話が情報漏洩を引き起こしてしまう懸念から、互いに暗黙としている。

必要に応じて目配せが行われて、陣形を適宜変形させていく。

それを足掛け2日以上続けている。


谷の直線距離は成人した大人が歩いて日の出から日の入り前まで掛かる程度。

正規の入国であれば、谷を抜けた先、森の手前で一泊した後、日が出てから魔除けの森に入る。

魔除けの森も朝に入って、日暮れ前まで掛かるほどに深く、入り組んでいる。

地図上まっすぐに切り開いて道を作ることは、山の国の技術力では労せずに可能なことだ。

これを行わないのは軍事的、地域的側面から敢えての手段となっている。

このこともあって、枝の国へは簡単には往来が行われない。

枝の国も、観光や交易といった資源に明るいわけではない。

もっとも、枝の国では山の国とは別に隣接している土の国と言った地続きの国との交易が盛んなため、あまり山の国を重要視していないことも遠因であるのだが。

山の国で手に入るものの大概は、土の国でも入手が可能である。

それでも面倒な手続きをして山の国へ向かうのは、奇特な旅行者か、一攫千金を夢見た博打商人くらいのものだ。

そういった背景からも、枝の国との国境地帯である三部方面は常に最低限の緊迫を抱えて任務に着いている。


谷の5分の3から5分の4ほどの位置まで進んだ侵攻部隊。

隊を率いる任務長は、焦りを感じ始めていた。

谷の距離は事前の情報通り、どこまでも長く続いていることを知っているため、旅人のような退屈には陥らない。

変わらない風景に発狂するほどの短気でもない。

彼が焦っていた理由、それは


あまりにも、全く、何もなさすぎる。


ことに尽きる。

自分たちが侵入部隊である自認は、ある。

それでいて、観測されているであろう警戒は、枝の国の国内時点から持っている。

それはつまり、相手方の観測手を見つけては、その観測状況をつぶさに確認し、情報として持ち帰ることが重要な任務だからである。山の国の持つ観測能力を推し量ることが、今回の主任務であり、魔除けの森までの侵入については、余剰任務に入る。

最終目標は、山の国の偵察能力を補足して、帰投することにある。

任務長の焦りは、相手の観察力が、全く察せていないことにある。

自分の目の届く範囲を超えては、情報の獲得は不可能だ。

任務長は部下に目配せをして見える範囲の情報を集約するように伝える。

早足ほどの速度での移動を続けながら、情報を交換するも、目立った被観察の報告はない。

任務長に焦りと動揺が少しずつ生まれだす。


自分たちは本当に観測されているんだろうか。

その根本疑問が最初に立ち上る。

つまり、三部方面とは山の国側のプロパガンダであり、本体は別に控えているのではないだろうか。

長い戦線経験から、まず最初にそれを疑う。

観測手が遠いことや、自分たちの持っている能力外で観測されているといった疑問については、既に想定に収まっているため、疑問にすらならない。

任務長は内心の焦りを抑えようとしつつも、歩みを止めることはない。

疑問は疑問として残し、目配せで遠方からの観測よりも近距離からの迎撃を警戒させるように警戒対象を切り替えた。

傍目には疲れた渡り鳥が先頭を譲るようにして、編隊の位置が変わる。

侵入部隊は、魔除けの森を目指すことを止めること無く進み続ける。


侵入部隊の遥か後方では、ヨコダ隊の望遠鏡が侵入部隊の委細を観測し、記録し続けていた。

ヨコダ隊のテントの影が、少しずつ谷の側へ伸びていく。


「号令は夕刻の頃合いか、あるいは日の沈みの頃だな」

本部テント、地図から目を動かすこと無くひとり言を呟く。

伝令は部隊に伝達をしようと踵を返す。

「今のはちょっと待ってくれ、号令準備だけは正式命令を以っての伝達としたい。

 逐一の伝達はとても助かるから、今しばらく待ってくれるとありがたい」

ヨコダは自分が何かを止める際には、必ず止めた行動に感謝を示している。

伝令は意味を汲み取り、再び中央との通信機の前に座りなおす。


ヨコダ隊はこの意味の汲み取りや洞察に育成の重きが置かれている。

前線観測という基本任務の性質も大きく関係しているが、何より隊員のヨコダへの憧れが、育成方針をそうさせている。

つまるところ、志願の理由に帰結するのだが、ヨコダになりたいという思いが隊員ひとりひとりに非常に強く根付いている。

それが教育方針の文化として根付いている。

ヨコダ自身もそれを読み込んでいるが、特別な教育プログラムを組むことはない。

基礎教育訓練過程の後、部隊配属による訓練が主な教育となる。

他の隊とは少し違うのが、二人一組による8週間の教導期間というもの。

他ではひとつの部隊として3人以上がまとまって訓練を行っている。

ヨコダ隊の部隊の性質上、大人数で行動することはほとんどないため、基礎教育過程でそのほとんどを終了する。

これが終了すると、新規配属と既配属とを組み合わせて、8週間の共同生活を行う。

ここでは既配属が教導員となって、新規配属を指導する。

教導によって、新規配属は現場での状況を知り、前線員としての能力を高める。

既配属は後進指導を行うことで、自らの能力の段階、位置などを再確認する。

期間終了時には、新規配属のみで試験が行われ、通過者のみがヨコダ隊への配属を許される。

脱落者は別の隊へ転属になるか、再試験の申請を行うことができる。

再試験は連続1回のみで、失敗すると他の隊での18週間訓練の後再試験が可能となる。

この仕組は、かつてヨコダ隊に所属していた隊員の発案を元にして組み立てられたもの。

ヨコダ自身は後進の育成に腐心しながらも、自らは育成が得意ではないことを自覚している。

それ故に育成に強みを持つ隊員は重宝されている。

そのような状況下でも、ヨコダへのあこがれの心からか、暴走に近い傲慢はほとんど見られない。

これもまた、士気の高さが為せることなのだろう。


そういった訓練を経て配置されている人材は、たとえ新人であっても、歴戦の猛者に限りなく近い。

負傷や死亡を経験してはいないが、ヨコダや先人の隊員からの教育で、損耗のマイナスは大きく知っている。

自分の奢りや焦りが、どれだけの損害を生じさせるのか。

そうなりそうになったら、怖がらずにひとり言でも良いから外に出すこと。

これを徹底的に叩き込んでいる。

ひとり言を聞いたら、聞いた自分と、当人以外の誰かに伝達すること。

ヨコダ自身の経験則は、部隊の伝達系統が神経のような速度と表現されるまでに徹底している。

この文化に馴染めない者もいたが、隊の根幹のひとつとあっては、試験の通過までは至らない。


ヨコダがこの神経のような伝達を大切にしているのも、自身の経験からだ。


前々回の統一戦線期。

後の三部方面隊長となるヨコダは、谷の国との最前線。

ヨコダの所属する隊では、ヨコダの指揮下に3人の隊員がいた。

隊の任務は前線偵察及び接敵の際の露払い。

索敵網を広げると、武装に偏りが生まれてしまう。

この状況への回答として、中継基地に増援を待機させ、偵察隊は機動力を高めるという作戦だった。

ヨコダの隊は索敵を継続していた。

当時も、現在とほぼ同じ通信能力は持っていた。

だが、ヨコダは通信を信頼せず、部隊内での連携を強く持つことで対応できると考えていた。

奢りではなく、中継基地への増援要請が通る前に、自分たちはやられる、その判断からだ。

ヨコダ班の連携は比較的高く、目視の距離であれば何不自由なく意思の疎通が可能だった。


その夜も、ヨコダの設定した巡回ルートで夜明けまで警戒を行うことになっていた。

ヨコダともう一人が組になって巡回をする。

別のルートを、残りの二人が組になって巡回する。

ヨコダと組になるのは、前線馴れした班員。

別ルートは、新人と教育を兼ねた班員。

練度を考慮して、ヨコダは比較的安全と計算した、やや茂みのあるルートを設定した。


班員の一人が、得体の知れない不安を感じて、ひとり言を呟いた。

「茂みでなにか、光っている。

 なにもないといいが」

不安をひとり言のように口にする部下。

それを聞いた別の班員が不安を払拭するように語りかける。

「何もない。

 なにもないさ。

 とにかく、この夜を明かそう」

そう言い聞かせて、互いに安心を得ることに成功した。

ヨコダも、少し離れた場所からその様子をはっきりと知覚していた。

目配せで心配無いことを合図した。

向こうもそれを感じ取ったのか、夜の闇へと消えて行った。

念のため見渡しても、何もない。

何かが光っている形跡も見られない。

そう、何もない。

不安は、懸念程度のものだろう。

ヨコダは彼らの背を見送った。


班員との定期通信は、夜が深くなるに連れて頻度を落としていった。

深夜時間から夜明け前までは、班の行動に任せた。

不安を持っていた2人も、適宜通信して落ち着かせた。

通信機を切ってしばらくした頃だろうか。

索敵している視界には何もない。

そう。

何もない。


あまりにも、何もない。


その瞬間、不安の感覚は一切なく、一気に恐怖が立ち上った。

緩みそうになる警戒を最低限残して、班員の元へ急ぐ。

自分の読み取りでは、あったとしても自分の側に攻撃が晒されると考えていた。

それは配置箇所が多少開けている以上、人影が動けば目につきやすいと思っていたから。

通信機の応答が無いまま、巡回ルートを頼りに進み続ける。

茂みのあるこのエリアなら、攻撃される心配は無いだろう。

ヨコダの読み込みは、不安を横に置いて成立していた。


それが、全くの裏目に出た。


静かにうつ伏せになる、ふたつの身体。

一人の首元には、短い矢が1本、しっかりと刺さっている。

もう一人は胸に2本。


ヨコダは通信機を手に取り、中継基地へ伝達する。

「接敵の形跡あり

 なお、当班より損耗2

 繰り返す、当班より損耗2」

涙は流れなかった。

それよりも、自分の失策の原因を探るのに、必死になった。

そのせいで、無防備な状態で立ち尽くしていた。

ヨコダに気付いた班員が、ヨコダに声を掛けて、何とか意識を戻すことが出来た。

改めて中継基地へ連絡を行う。

「敵は中継基地へ向けて進軍の可能性アリ

 当方面への索敵強化を求む」

ヨコダと残りの班員は極限の緊張状態を維持したまま、朝を迎えた。

太陽に照らされた二名の遺体を引き摺りながら中継基地へ後送する。


その間、他のことなど考えずにひたすらに計算を行っていた。

あらゆる状況や想定をこなした上での、ルート設計。

それが全て瓦解した。

それによって発生した損耗。


不安。

その除去。

光。

夜。

矢。

距離。

土地。

地形。


あらゆる要素を検討した結果として、ヨコダはひとつの結論を導き出した。

それが"ひとり言"である。

不安や、気になることを"ひとり言"として表に出す。

それで周囲が不安になるようであれば、それは良くない方向へ導かれる。

それで周囲が不安になならないのであれば、それは良い方向へ導かれる。


損耗2という数値は戦線期間での数、しかも前線指揮者としては少ない部類にあった。

隊員を家族に近い集団と考えているヨコダにとって、損耗は1でも大きいと感じている。

だからこそ、今回の2という数値は、重さに余りあるものだった。

前線配置期間を終えて、中継基地へ交代した後、ヨコダのひとり言は猛烈に増えたという。

それから、ヨコダの習慣は今に続いている。


「さて、そろそろひとり言も終わる頃だといいんだが」

相応に歳を経た、老練のヨコダの目に鋭さが生まれる。


日の傾きが一層強くなる。

ヨコダの予測している中央から伝令の頃が近いことを察知してか、テントの中に慌ただしさが漂いはじめる。

対応の準備は常にできており、後は号令によって作戦の遂行を行うのみ。

部隊内に緩みが消えていく。

ひとつひとつの動作が、より確実性を求めた動きへ変わる。

動作の終端で一瞬の呼吸を置き、確実に終えたことを確認する。

伝令ひとつでも、完了の合図を付けるなど、緊張が生まれ始める。


総合統括部を駆け回るカマイシは、持ち回りを終えようとしていた。

中央は、辺縁部の状況をまるで知ろうとしないとよく呟いている。

中央の中でも、襟付きと呼ばれている一団は、主に権力闘争に明け暮れていると、もっぱらの噂である。

それでいながら、情報を上げることと、判断を下すことには口煩い。

カマイシの裁量で行える今回の防衛行動ですら口を出さずにはいられない存在。

だからと言って邪険にすれば後に決裁が下りない。

ただでさえヨコダのような変わり者を抱えている以上、これ以上目の敵にされてしまっては、カマイシの立つ瀬もなくなる。

独断専行が、軍という組織においては取ってはならない行動のひとつであることを、ヨコダ自身が承知している。

それをヨコダはよくよく知っているからこそ、中央からの伝令をひたすらに待ち続けている。


日もだいぶ傾いた頃になって、ようやく持ち回りが終わった。

カマイシは急ぐ素振りを見せず部屋に待たせた伝令を呼んだ。

「三部方面隊は侵入部隊との接触を許可。

 必要に応じた戦力使用を許可。

 森区画を抜けぬよう対処せよ、方法の如何については現場にて判断せよ」

伝令は踵を返すと辺部向けの通信機のスイッチを操作した。


焦りは焦りを生むことを経験則としているヨコダは、地図を眺めてひたすら待ち続けていた。

すると、中央からの通信を待機している伝令がヨコダへ振り向いた。

「中央より伝令。

 三部方面隊は侵入部隊との接触を許可。

 必要に応じた戦力使用を許可。

 森区画を抜けぬよう対処せよ、方法の如何については現場にて判断せよ」


ヨコダが山岳帽を外して立ち上がる。

「送信網、開け。

 総員に伝達準備」

伝令は伝えられる全ての隊員に向けて送信機のスイッチを操作する。


立ち上がったヨコダが帽を深く被り直す。

「総員に通達。

 不明侵入部隊への対応命令が発令した。

 これより接敵および撃退に向けての作戦行動を開始する。

 作戦概要は追って文面にて伝達。

 可能な限り相手に見られることを避けて行動せよ。

 また、損耗に繋がる行動は極力避けるよう行動せよ。

 相手は手負いと同等か、それ以上に攻撃的と目される。

 危険と判断した場合は深追いはせず、他隊と連携して打開を目指すよう行動せよ。

 通達は以上、各員配置につけ」

ヨコダの号令が伝達される。

追って各隊へ向けて個別の指令が文書通信で伝達される。

観測手は望遠鏡をしまって、森の方向へと終結する。


森を見下ろせる崖。

谷を挟むようにして2部隊と3部隊が集結する。

各隊が伝令を読み合わせる。

ほどなくブリーフィングを終えると、各隊が崖を降りて森の中へ消えていった。


相手も森に消えている。

長い影が、薄れつつある。


陽光の名残で、まだ空は明るい。

太陽の沈みきった反対側には、少し陰った月が白く輝いている。


隊商の格好をした侵入部隊は、もう少しで谷を抜ける地点まで進んでいた。

吹きさらしの谷を歩き続けているにも関わらず、目配せだけで会話はない。

黙々と歩き続ける。

すれ違う人もなく、谷には彼らだけ。


そもそも山の国から枝の国へは、迷いの森を抜ける必要がある以上あまり移動は行われない。

魔除けの森を抜けるためには、枝の国の森周辺の手引き人の助けを借りる必要がある。

手引き人は森を抜けた谷に住んではおらず、山の国から枝の国へは手引き人を手配する必要がある。

そのためには三部方面隊に事前連絡を通し、谷の入り口で待機してもらう。

これが不明な侵入者を防ぐ防護手段ともなっている。

だからこそ、今回のように手引き連絡を入れずに森に近付く存在は、不審な存在として目に付いてしまう。


そのリスクを冒しても今回の侵入を行うのは、潜入ルートの確保を目指していることに他ならない。

山の国が枝の国への潜入ルートを持ったことが、周辺へ知れ渡れば、山の国への侵攻を躊躇することになる。

その潜入部隊を所持していることが、国の防衛に繋がると判断されたからだ。

それには発見、撃滅のリスク、あるいは不法な侵入というリスクも小さくはない。

だが、それが出来ると出来ないとでは、大きく違う。

それだけのリターンがあると踏んでの、今回の行動となる。


谷が終わる。

否が応にも警戒意識は高まる。


迷いの森。

任を受けたときからの一番の懸念事項。

山の国には存在しない、森という空間。

木々がひたすらに生い茂り、光が届きにくい。

加えて同じような光景が続き、不用意な侵入者を迷いのうちに飲み込んでしまうと言われている。

手引きなく抜けることは容易ではない。

情報を聞けば聞くほど不安な要素が浮かび上がる。

山の国としては、今後いつ訪れるとも限らない本格的な侵攻作戦において、この森の案内路を作成すること。

それが今回の侵入の本懐である。

通商として案内を付けることは簡単だが、その手引き無しに通過ができるのか、ある種の威力偵察に近い。

これが成功することで、枝の国に対する大きな優位を得られることになる。

迷いの森を独自に抜けるられることで、山の国が潜在的脅威として迷いの森を活用することができる。


任務長はこの森を抜けることを任務としているが、最大の危険を谷を抜けることと置いていた。

隊商の形を取ってはいるものの、三部方面隊の目をどの程度誤魔化せるのか。

森に入ってしまえば、方向を見失わなければ抜けられる可能性はある。

それに枝の国の迎撃部隊も、あの迷いの森に入って、簡単に物事を進められるほどとは踏んではいない。

手引きを潰してしまえば、相手の攪乱くらいはできるだろう。

そう見立てている。

だからこそ、谷を抜け切るこの瞬間に最大の緊張と警戒をもって臨んでいる。

迎撃されるとしたら、ここだ。

そう踏んで全員に目配せをする。

最大限の緊張を持つこと、何か察知したらすぐに引き返せるよう準備をすること。

警戒と緊張を維持したまま、森の入り口へと進んでいく。

近付くと、遠くから見ていたよりも森の木々が高く、広いことを知った。


高い警戒を維持していたせいか、隊は無事森に入ることができた。

背負っている荷物は、ほとんどが空箱で重さはほとんどない。

森に入ってしばらくはその姿のまま進んでいく。

木々の隙間から夜が訪れていることを感じ取った。

微量ながら明るさがあったついさっきまでと、急激に森が変化した。

これが迷いの森の本当の姿か。

月明りの木漏れ光が、影を落としている。

前後左右を見渡すと同じような光景。

足元には花の一本もない。

まっすぐに立ち上った木が不規則に並んでいる。

空は木々に覆われている。

隙間から月の姿は見えるものの、星は見えない。

星が読めなければ方位の判別は非常に厳しい。

とにかく月の位置だけを強く印象に残した。

これで進むしかない。

覚悟を決めて、荷物をたたんだ


森の上。

月の輝きが、一層白さを増していく。

夜の時間が、始まる。


空に星が光りはじめる。

森の中では星の姿はまったく見えない。

絡んだように茂る森の木々の隙間から数瞬だけ月の姿が見える。

夜の森は月明かりすら届かない。

光の届かない森の中では視界がほとんど意味をなさない。

周囲は同じような暗闇が続いている。

足元の枝葉ひとつひとつに注意を払えば、全く同じ状況はないだろう。

だが概況として見回せばただただ月明かりの影が広がっている森でしかない。

地面に道は無い。

歩けば歩いただけ、自分の位置が分からなくなっていく。

道と呼べる道は存在していない。

森には獣道のような細い筋がいくらか存在している程度。

昼間にはその筋を頼りに方向を見極めるしか、自分の位置を探る手立てが存在しない。

迷いの森が夜になると人を飲み込んでしまう、その言い伝えの所以のひとつである。

それ故に夜に森に入ることは危険であることにほかならない。


それだけの危険を冒す今回の侵入行動。

山の国としては、過去の統一戦線の記録から再び戦線の開始が近いことを感じていた。

前回は枝の国との戦端をこの森手前で抑えきられてしまった経験がある。

その反省として、森の内側への侵攻を可能とすることで、優位に立てるだろうという算段。

山の国自体は大きな敗戦を喫していないものの、今回は戦勝国側として立ちたいという欲もまたあった。


その任を与えられた任務長。

最大目標の森の突破に、ほんの少し不安を持ち始めていた。

任務長には先程から感じている違和感があった。

知覚としては直進している。

だが真っ直ぐに進んでいる感じがしていない。

どこかがズレている。

それが何なのかは判明していない。

この場に留まることに異常なほどの危機感を感じている。

隙間から差し込む僅かな明かりだけを頼りに移動するしかない。

任務長の視線が一瞬揺らぐ。

緊張が恐怖に切り替わる。

だが、この状況を維持していなければ、相手に発見される可能性も高まる。

任務長の視線は前方を見据えながらも、周囲の状況を何か掴もうと目まぐるしく動いている。

焦りはない、そう自分に言い聞かせながら森を前に進んでいく。

それでも前に進んでいる気がしない。

その考えに行き着いた任務長は、ひとつ判断を下す。

この暗さでは目配せは届かない。

それならば、と一度だけ手信号に切り替える。

この暗闇では相手側も相応に見えないだろうという読みからの判断。

事実、森を知っている枝の国の側も、それほど夜目が通ることはない。

一層高まる緊張の中、手信号を使う。

随員たちは手信号の内容を理解して森に入る前までの隊商のような密集から散開する。

随員の5人が任務長からほぼ等距離に五角形の配置に付く。

ここからは戦闘待機状態であることを周囲に警告する。


枝の国側、森の中に入った迎撃隊が再び望遠鏡を取り出す。

一定の遠距離から、動向をつぶさに観察している。

枝の国側は観測隊2人組が3隊、3人組が1隊の合計4部隊。

ヨコダの指揮で2人組2隊を左右先陣に、3人組はその後方、さらに後方に2人組が1隊を布陣している。


相手が戦闘陣形を取ったことを確認した。

谷での観測から、山の国側が通信機器を所持していないことを確認すると、通信網を開く。

「侵入隊との距離は谷半分ほど。

 現状を維持して追跡を継続、以上」

周囲の部隊に状況が伝達される。

迎撃隊側も、反撃を受ける可能性がある以上緊張は高まっていく。


谷の上。

テントの中で地図を見つめるヨコダの目線が細まる。

「そろそろ、接敵の頃合い、か」


本格的な夜の時間。

辺縁の空に残っていた明るさも消えてしまった。

月はまだ直上ではないにしろ、少しずつ昇りつつある。

森を照らす月の光は淡い。


侵入部隊の陣形は変わらず五角形を維持している。

侵入部隊を見失わないギリギリの位置を保ったまま、迎撃隊も後を置い続けている。

その状況を手に取るように知りながら、各迎撃隊は森を進んでいく。

通信を持っている、つまるところ互いの現在位置を離れていても認識できる利は計り知れない。

とはいえ通信の音が聞こえてしまわないよう細心の注意を払って使用する。

この音、声が相手に聞こえて閉まっては、位置がばれてしまう上に、不必要な衝突を発生させる懸念がある。

相手をどのようにして迎撃するか、そのタイミングを推し量っている。


谷の上、テントの中。

ヨコダの視線は森の中央付近へと移っている。

彼我の部隊を模した駒を動かしている。

「相手の手番にさせろ。

 こちらからの仕掛けは今じゃないな。

 わかってるだろうが、後手には回るなよ。

 攻撃をさせて、初めて先手が取れるんだからな」

ヨコダは視線と、駒を動かすこと無くひとり言を呟く。


そのひとり言を体現しているかのように、迎撃隊は侵入部隊に対して一定の距離を保ったまま攻撃を加える様子を見せない。

迎撃隊の受けた命令は2点。

1点目は侵入勢力による森の突破の阻止。

2点目は双方の損耗の回避。

損耗を回避できるのであれば、森の奥深くまで侵入されたとしても構わない。

ただし森の突破を許さないよう行動が求められている。

通常、ここまで侵入がなされた状態であれば、相手の撃滅を持って迎撃とする判断がなされる。

ヨコダはそれを極端に嫌う。

過去の経験から、威力偵察を相手にした場合、敵勢力からの反撃も相当なものが予測されうる。

それを見越して、あえて双方の損耗を回避できる戦略を立てているのがヨコダなのだ。

だからこそ見通しのある谷での迎撃を強く進言していた。

だが、それが無理だろうと予測出来た段階で、森内部での迎撃に戦略を切り替えた。

森を主戦場とし、かつ時間が夜となる場合、相手の警戒も必然的に高まる。

ただでさえ恐怖が支配するような場所に居ては、攻撃性が必要以上に上がりすぎる傾向を、ヨコダは見抜いていた。

事前にそこまでの読み込みがなされているからこそ、一定の距離を保って観測に徹し、迎撃の機会を伺わせている。

迎撃行動そのものの判断は実働隊に委ねられているが、無理をしないことを、ヨコダはよくよく理解している。


任務長は自身の心理状況までを読み切られていることを知る由もない。

ただ、夜の森に飲み込まれ掛けて現状を理解することに必死なのである。

そのため動物がどこかを通過したような木々の擦れる音ひとつにも異常なほどの警戒を向けていた。

交戦やむ無しを覚悟しているとはいえ、実際にどこから攻撃がなされるのかがはっきりとしないことほど、恐怖が掻き立てられる状況はない。

神経が嫌というほど興奮している、その自覚すらある。

脈は強く、自身を叩き起こすように打ち続けている。

視線は定まることがないが、全てにピントが合っているような状態。

この緊張は長くは続かないことを、本人も感じている。

それでも、この状況にならざるをえない。

各員に手信号を立てる。

移動速度を下げて、状況の把握に努めるよう指示をする。

ただし立ち止まることはない。

侵入部隊全員が、その本能的な危機感は一致していた。

夜の森で留まってしまったら、どこに行くのか全く分からなくなってしまう。

だからこそ動き続けなければならない。

既に方角を見失いつつある侵入部隊。


その姿と、下がる侵入速度を確認した先陣は、後続へ通信を送る。

ちょうど風が森を抜けて、木々のざわめきを利用して送信された通信は、迎撃隊に接敵が近いことを知らせた。



月が傾きを高めている。

この地域の空は夜も明るい。

谷から吹き抜ける乾燥した風が空にある余分な物を吹き飛ばしているためである。

そのため明かりが差す森の中は日中は比較的明るい。

ただ、夜になるとその明るさもまちまちになる。


侵入部隊の侵攻速度は一定のまま、真っ直ぐに進み続けている。

侵入部隊は変わらず五角形をした陣形のまま、進み続けている。

付かず離れずの位置を維持しながら、迎撃隊が追っている。

先陣2部隊が、常に五角形の後方を認識し続けている。


侵入部隊が前後感覚を失いつつあるのを察知した先陣が2列目へ伝達を送る。

接敵が近いこと、迎撃行動に移る用意をすること。

それに向けた部隊展開が望ましいこと。

2列目の隊はそれを了承し、部隊を展開の合図を出した。

まず、先陣の2部隊が大きく左右に展開する。

ちょうど五角形を飲み込むようにして、侵入部隊の左右に付けるように位置取りを変更する。

変更することで、相手に見つかる可能性は高まるが、それが部隊の狙いとなる。

それでも、ぎりぎりまで相手に気取られないことを目指して動く。

相手が焦燥していることは既に把握している。

ヨコダの読み込み通り、相手に攻撃をさせることで、初めてこの行動に意味が生まれる。

時を同じくして3列目に展開していた部隊も右側に大きく展開した。

そして右側に展開した隊の少し先に位置取りを変更する。

何か動きがあれば、一気に相手を飲み込める状態を作り出している。

迎撃に向けての動きが活発化する。


谷の上のテントでは地図を強く睨んだまま、ヨコダが呟く。

「ただ待っていても引き出せはしない。

 ただし、待ち方に工夫をしなければならない。

 動くことによって、引き出すきっかけを与えることはできる。

 それで相手の行動を引き出せるよう、訓練を積んでいるはずだ」

手元の駒は、相手を包囲した陣に配置されていた。


相変わらず侵入部隊は、周囲への警戒を強めている。

異常なほどの昂ぶりが迎撃隊の観測にもはっきりと捉えられた。

これからは動きひとつで攻撃が発生する。

互いに無言の牽制が続く。


侵入部隊は、音に対して過敏とも言える状態にある。

木々の擦れる音、自分たちが踏んだ枝の音にさえ反応してしまう。

なんとか冷静を装うことで、自らを冷静に保とうとしている。

内心との落差に、どこか気が狂いそうになっていることを自覚している

そうして高い緊張が続く。


いつでも飲み込める準備をしている迎撃隊にも、緊張は高まっている。

迎撃可能な状態まで、状況は進行している。

いつ始まってもおかしくない交戦に、各隊は覚悟を決め、観測を続ける。


月は傾きを高めたせいか、木漏れの月光によって少しだけ明るくなった。

そこで何かを感じたのか、侵入部隊の侵攻がにわかに遅くなる。

徐々に速度を下げると停止した。

数瞬の静寂。

刹那、右側展開の部隊に向けて、短弓から発射されたと思われる矢が放たれた。


交戦が開始された。


月明りの傾きが高まりつつある。

星が点々としている下。

月に照らされた森は妖しい光を湛えている。

昼間の森とは全く別の世界を形成していた。


五角形にした陣形を崩さないようにして侵入を継続している。

周囲への警戒を高めつつ、侵入は止めない。

だが、任務長以下、侵入部隊は全員が異常なほどに昂っていた。

これまで経験したことのない状況。

山の国にはここまでの深い森が存在していない。

演習をはるかに超える状況。

そこからくる恐怖。

加えて追跡が無いことによる勘繰り。

あらゆる物音が枝の国の部隊の行動では、という疑心。

落ち着きを取り戻そうと平静を装うが、全身の昂る神経は抑えきれない。

その昂りが、また昂りを生み出す循環に入ってしまっている。


森に入ってから失いつつある方向感覚によって、自らの進んでいる方向が正しいのか判断できない。

今、自分たちが進んでいる方向が、果たして正しいものなのか。

何にせよ止まったところで得られるものは何もない。

それどころか方向感覚すら失うのでは、という懸念に苛まれる。

だからこそ、森に侵入した方角を維持して侵入を続けている。

演習の森とは比べものにならないほどの深さ、そして暗さ。

周囲は似たような状況が続いている。

目印を作ったとしても、少し進めばその目印が見えなくなるか役に立たなくなる。

それによって、少しずつ方向感覚が失われ始める。

見える月も、一定の運行をしているはずなのに、どこか動いているようにも感じられる。

侵入を続けている最中、右側に展開する隊員から合図がひとつあった。

何かの気配がある、と。

それが動物の類なのか、そうでないのかを確認する。

右側後方の隊員から、それは人であることを確認した、と返答があった。


ようやく相手の気配を感じられた。

安心すると同時に、ここが接敵の時と判断して、総員に確認する。

全員の合図が一致したところで、覚悟を決めて侵入の減速を始める。

右舷側の2人に対して、軽弓を引く指示を送った。

隊の行動が完全に停止した。

隊員、迎撃隊、双方の音が消える。

右舷の隊員のひとりが、月明りに違和感があった場所を見つけた。

いよいよそこに向けて軽弓を放つ。


交戦の開始を知覚した任務長。

しかし相手は何もしてこない。

右舷側の隊員からも攻撃が当たった感触が無いという。

とは言え攻撃を行った事実はある。

それならば迎撃行動をとるのが通常の行動のはずだろう。

それが無い。

任務長にさらなる混乱が加わった。


その間に、迎撃隊のうち最も右に展開していた部隊が侵入部隊の先頭を覆った。

攻撃を受けても沈黙を続けた理由が、そこにはあった。


たった一発。

侵入部隊側からの攻撃。

威力偵察とはいえ偵察側からの攻撃は、通常では考えなられない。

戦場というのは、そういった考えられないことが起こり得る場所であると、強く思い知らされる。

任務長自身、なぜ攻撃の指示を出したのか、耐え切れなかったのか。

判断への不信が自信の喪失へと繋がり、次の判断に鈍りを与えようとしている。

攻撃行動については、今更考えても仕方がない。

迎撃が無いこの機会を逃すまいと、移動を速めようとする。

そこで初めて、反撃を受けていないことの意図に気付く。


枝の国の部隊に、包囲されただろうという状況。


少なくとも三方向以上の進行が塞がれている。

それを察知した瞬間、任務長の混乱が一気に収束した。

あれだけ察知されていないと思っていたことが、全て思い込みであったこと。

自分たちの行動が全て把握されていたこと。

それらを全て踏まえた上で、反撃を行っていないこと。

そして今。

この、森の奥深くまで侵入してしまっているという状況であること。

それら全てを瞬間のうちに理解し、次の行動に向けて判断を続ける。


侵入部隊の振る舞いをどうするべきか。

完全な威力偵察へ切り替え、交戦した上で殲滅を狙うか。

あるいは交戦を避けた上で侵入を続けるか。

またはこの場からどうにかして撤退をするか。

刻々と状況は変化している。

それも自分たちに不利に働く状況が、瞬間に増えていく。

判断を避けて行動しないことが、最も愚策であることは理解している。

それゆえに、正常な判断ができるまでは移動を続ける、という決断を下し、その場から移動する。

方向感覚については、初弾を放つ直前までは残っていた。

だが、攻撃直後の瞬間の呆然から、感覚を失ってしまった。


方向感覚を失ってしまった以上、突破はほぼ不可能と考えられる。

それであれば、いっそ自滅覚悟で大きく暴れてやろうか。

自棄気味な考えが頭を過った。

だが、相手がこちらを殲滅をする気であれば、すでにそうしているだろう。

そうないのには、何か戦略があるに違いない。

そこまで考えが至るほど、判断力は回復していた。


迎撃隊もまた、冷静に相手を洞察し続けている。

移動の具合、速度、方向。

交戦によって、相手に気取られていることは確認した。

そこで携帯無線の使用を解禁し、通信により状況の共有を図っている。

中央で指揮官らしき人物が、周囲へと指示を送っている。

それを知っているからこそ、攻撃行動の予兆を感じ、防御することができた。

次の攻撃がいつになるのか。

この一点に集中している。

侵入部隊は冷静ではないことは、洞察によって確認されている。

だからこそ、冷静になった次の攻撃は明確に損害を狙ってくる。

そうなると損害の回避が非常に難しいものとなる。

それだけは避けなければならない。

だからこそ、こちらからは仕掛けない。

仕掛けない代わりに、侵入部隊を誘導する戦略を取っている。

相手がこれ以上の侵攻を諦めるよう、包囲した上で逃げ道を作る。

その誘導に乗ってくれれば、双方に損害なく作戦が完遂される。

迎撃隊班長の算段により、先頃の包囲は完成した。

後は侵入部隊がこちらの意図通りに動いてもらうだけ。

だが、攻撃の際の錯乱などを考慮していると、万全を期してもなお損害の危険は残っているし、排除はしきれないだろう。

その覚悟で、班長は観測を続けている。


気が付けば月は、直上を少し過ぎたあたりまで動いていた。

夜が、一層深まる。


敵部隊に包囲されている。

侵入部隊の任務長は、この事実から判断できることをいくつか考え出す。


森からの撤退を促す。

部隊の確保。

部隊の被殲滅。


この包囲網を見るに、撤退や確保を目指してはいない。

こちらの装備は一人10本の短矢、行商などが身を守る量より少し多い程度で、相手を撃破するほどはない。

だからと言って、みすみすやられるわけにもいかない。

そして何よりも、動きを止めないこと。

そこに注力している。

止まれば、やられる。

この判断は現状の侵入部隊としては、概ね正しい判断となった。

既に方向感覚は失われている。

とはいえ相手と接敵してしまっている以上、何ならかの対応は取らなければならない。

可能な限りの抵抗によって、相手に損耗を与えよう。

そう判断した侵入部隊任務長は攻撃の指示を判断した。


迎撃隊の包囲は作戦通りに配置された。

森の出口方向を塞ぎ、親友してきた後方についてはわざと空けて、退路を確保している。

確保や殲滅は選択肢として存在していない。

当初の目的が相手の撤退であることから、それに向けた行動を取るのみ。

一度袋で覆ってしまって、そこから逃げ道へと誘導。

そう作戦を判断した迎撃隊隊長が各隊へ伝達する。

包囲の連携強化、相手の足を止める行動を取るよう指示する。

こちらの装備は通常サイズの矢が30本が人数分。

事前の観測で相手の装備の状況はこちらの手中にある。

彼我の装備差はこちら側に大きく分がある。

この武力差を維持しつつ、相手を撤退させる。


包囲の強化が完了する。

移動をしながらの包囲強化は、図らずも逃げ道をも塞いでしまった。

この状況を見逃さなかったのが侵入部隊の任務長。

攻撃の指示があったことを察知した迎撃隊は攻撃に備えるよう伝達する。

直後に侵入部隊からの攻撃。

二発の矢が迎撃隊目がけて飛来した。

一本は迎撃隊をかすめ、もう一本は見当はずれの方向へ飛んで行った。

迎撃隊隊長も冷静に判断を行い、逃げ道を再度作るように指示をする。

攻撃直後とあって、いきなり陣形を変更するのは厳しいと判断する。

とにかく損耗を避けることを優先して、現状を維持する。


包囲の陣形を維持したまま、方向感覚を失った侵入部隊は移動を続ける。

日中から昼夜通しての移動を続けている。

さらに高い緊張が維持されている中で、休む瞬間が無い。

侵入部隊の判断が鈍る瞬間を迎撃隊は待った。


月が、直上から沈む方向へと傾き始めていた。


侵入から留まることなく緊張を続けている侵入部隊。

高まり続けている緊張は、瞬間で狂気に変化する。

それは自分が狂うか、あるいは狂気的な片鱗を見せるところにある。

現在の状況は侵入部隊である自分たちは包囲されている。

相手の領内に入っている以上、包囲された上で攻撃があることは想像に難くない。

それがいつなのか。

いつ攻撃をされるのか。

そこにのみ強い関心が向けられている。


窮鼠の状態となった今、極限を超えた集中に入る。

任務長から、攻撃の合図が下りた。

三回目の攻撃。

先ほどと同じように2発の矢が迎撃隊目がけて放たれる。

1発は木々を掠めていく音がした。

もう1発は、音のないまま闇に消えていった。


直後、迎撃隊右側配置の隊員が一瞬だけ動きが止まる。

恐らく命中してしまったのだろう。

だが侵入部隊は移動を止めることがないため、追い続けなればならない。

命中したであろう隊員は一歩動きが遅れたものの、追いついてきた。

被弾した隊員は相手に命中を気取らせないよう声を押し殺していた。

暗闇で判別はつかないが短矢のおかげでダメージは小さいようだ。

被弾した隊員は問題ないことをもう1人へ伝達すると、反撃の意思はないことを表明した。

ヨコダ隊の精強さのひとつに、この任務順守の徹底がある。

感情的な反撃を行うことなく、黙々と任務を遂行する。

辺境警備の部隊では、攻撃に対する反撃は通常の判断と見做される。

それを敢えて確認し、不実行を確認する。

腹に据えたものを横に置いて、遂行のみを意識する。

それがヨコダ隊たるゆえんのひとつである。


迎撃隊隊長は、この命中を契機として部隊に陣形の再構成を伝達した。

包囲を厳しくしたことによって、相手を昂らせてしまい、攻撃をさせてしまった。

対策として逃げ道を用意し、そこに向けて誘導する。

追い詰められた人間は簡単に誘導に乗る。

それも自分が生死の線上にいるのならばなおさらだ。

迎撃隊隊長の判断は正しい。

そしてその判断の礎を作り上げたのがヨコダの徹底的な読み込みによるものだ。


進行方向に向けて展開した迎撃隊が開く。

開いた方向に、まるで道が出来たかのように見えた侵入部隊任務長。

しかしながら、そこに罠があることを推察する。

つまり、この先には何らかの攻撃装置が待っている。

そこに進めば、我々を殲滅することができる。

それであれば全滅覚悟で威力偵察を行うまでか。

極限の緊張状態ではそこまでの判断、そして狂気に飲み込まれていた。

それでも任務長は足を止めること無く、進み続ける。

すでに方向感覚はない。

後方には枝の国の部隊がいる。

狂気の中、いくつもの判断が逡巡する。

詰まるところ、この誘導に乗るべきか、全滅覚悟で吶喊するべきか。

森を深く進めば進むほど判断は遅れ、危険が増す。

それならばと、誘導に乗る判断を下した。

部隊間の隙間を縫うようにして走り抜ける。

とにかくこのまま朝を迎えないよう、時間を意識しはじめる。

空を見ることができない以上、時間がわからない。

朝を迎えてしまえば、今接敵している部隊に援軍が到着する。

そうなればすべてが水泡となる。

そうならないよう、朝になる前に森からは出なければならない。

任務長の狂気に焦りが加わる。

何もない空間に向けて攻撃の指示を下した。

攻撃をした直後に、何も気配を感じないことを悟り、冷静さを取り戻す。

そこでようやく一度足を止めた。

周囲に敵の気配はない。

視線も感じない。

方向を確認する。

木の隙間から見える月の位置を確認する。

現在の状況、兵装を確認。

ようやく自分たちの現状が把握できた。

そこでようやく判断が付く。

朝が近いことを。


夜に星空を浮かべていた側から、星の瞬きが弱まっているのを、任務長は感じていた。


ようやく足を止めた侵入部隊。

任務長が状況を顧みる。

部隊の置かれた状況、武装。

相手の配置、攻撃。

今は周囲に枝の国の部隊の気配はない。

だが、必ずどこかにはいる。

落ち着きを取り戻しつつあるものの、緊張は高いまま。


迎撃隊は無理な追跡を止めている。

付かず離れずの位置を保ちながらも、攻撃によって相手を誘導することを狙っていた。

攻撃を受けた隊員の状況を確認する。

左の上腕に矢が刺さっていた。

無理に矢を抜けばそこから菌が入る可能性がある。

仮に毒矢であった場合、空気中の菌が混ざってしまい悪化する可能性もあった。

その判断から矢は刺したまま行動していたことになる。

走る度に矢が振動し、傷口に響いて、鈍痛が走っていたが、現場の緊張感で忘れていたのだろう、指摘されてようやく気付いた。

随伴の隊員共に矢を抜いて、応急手当を行う。

最低限の消毒と包帯程度の簡素なもので手当を終える。

短矢だったこともあり、軽傷で済んでいる。


処置を終えたところで、改めて侵入部隊を追い込む陣形を整えた。

森の奥深くまで進んだ侵入部隊をどのようにして森の入口まで追い込めるか。

そのためにも現在位置の把握は非常に重要なものとなる。

相手に気取らえるリスクを冒して木に登るか、あるいは別の方法で現在位置を探るか。

おおまかな位置は把握しているものの、詳細を把握すればより確実に追い込める。


相手の詳細を把握し、手前の詳細をも把握し切る、それが出来て初めて作戦が成功する。


ヨコダはあらゆる作戦行動、加えて訓練に先立ってこの言葉を徹底していた。

この判断の迷いは、その言葉が生きている証拠でもある。

ここでヨコダはリスクについては言及していない。

リスクは常に有り得るもので、それをどう扱っていくか、そこを肝要にせよ。

ヨコダの言葉を受けた者たちは、そう解釈をしている。

迎撃隊隊長もまた、その解釈によりリスクと対峙している。

少なくとも先程までは接敵している以上、存在は認識されている。

存在の認識がある以上、相手に見つかるというリスクはもう存在しない。

現在の位置取りが相手に察知されることによって、相手がどう動いてくるか、リスクはそこにある。

そもそも攻撃されることは想定内ではあったものの、必死さからくる強い殺意までを含めることは難しかった。

そのために負傷者を出してしまった。

これ以上の接触は負傷以上の損害を出しかねない。

しかし、より確実に相手を追い込むためには詳細な位置把握は欠かせない。


いくらかの逡巡の後、隊長が判断を下し、作戦を伝達する。

現在の位置から少し離れた場所で木に登り、詳細位置を把握する。

同時に相手の位置詳細を把握して、谷まで追い遣る。

指令を受けた左側配置隊が森の奥へと消えた。


森の木々は幹の細いもの大半を占めている。

登ろうと腕を掛けてみるも大きくしなるものが多い。

折れてしまっては相手に存在が知られてしまう。

慎重に体重を掛けても問題なさそうな木を探す。


ほどなくして一本の幹のしっかりした木を見つけた。

体重を掛けても折れる感じはない。

隊員はその木に決めて、登り始める。

枝の国の隊員は森林戦訓練を行っているため、樹上行動は問題なく行うことができる。

七割ほど登ったところで、森の全景が見え始めた。

もう少し登って八割を超えたところで枝が弱くなってきたことを感じて止まる。

周囲は森の木々が草原のように広がっている。


周囲を見回して状況を確認する。

最初に気付いたのは、空に明るさが生まれはじめていること。

そして、侵入部隊は想定以上に谷側に近いこと。


慎重に木を下りて、急ぎ本隊と合流する。

確認した状況を伝達し、隊長に判断を委ねる。

隊長の表情は先程の迷いとは真逆の、一点を見据える表情をしていた。

状況の読み込みが終了し、実行のとなった隊員の表情は同じ目標を共有していた。

隊長の表情、判断からするべきことを確認し、再び陣形へ散開する。

侵入部隊への包囲網が、再び形成される。


空では、瞬く星々が、その終わりが近いことを知り、一層強い輝きを放っていた。


迎撃隊が部隊の配置を再編成する。

今度は間隔を詰め過ぎないよう、慎重に位置取りを行なう。

観測距離に留め、威嚇や刺激とならないよう観測を続ける。

侵入部隊は停止してからも緊張を解く様子は見られない。

だが、移動する気配もまた見せていない。


部隊長は配置に付いたことを確認して、接触距離手前まで距離を詰める指示を下す。

迎撃隊がどのように部隊を動かして、どのようにして谷の入口まで追い込むか。

その状況を知れたのも、先程のリスクを取って得られた賜物だ。

追い込みの状況から、谷に向かわせられることは確かになっている。

こちらの意に気付いたのか、侵入部隊が移動を開始する。

読み込み通り開けた部分を頼りとした方向へ移動を始めている。

これで流れに乗ってさえくれれば、それで良い。


もう少し追い立ててれば、谷の縁へ着く。

それまで相手の緊張が持ってくれれば、後は確実なものになる。

先刻のような自暴自棄になられては、読み込みから外れてしまう。

それだけは避けなくてはならない。

部隊長の気掛かりは、その一点に集中していた。

その点以外には一切の心配を置いていない。

部隊の配置、連携、実働。

そのどれを取っても、現場の判断でできる最良を行っている。

とにかく、目の前に迫っている侵入部隊を、あと少しだけ緊張の中において置かなければいけない。

その点では事を慎重に運ぶ必要があり、そこに腐心しているのが現状となる。

部隊長は常に周囲に気を配りながら、相手をただひたすら追い込んでいく。


任務長は、侵入部隊が追い込まれているということには感付いていた。

だが、自分たちが闇雲に攻撃に打って出てしまっては、先程のような応酬となる。

そうなれば圧倒的に不利なのはこちらであることを知ってしまっている。

攻撃してなんとかなるような相手ではなかった。

それでも攻撃してしまった事実は残る。

これが後々に何か問題へ繋がらなければ、そう願う程には冷静さは保てている。

それ以上に問題なのはこの状況をどうすれば切り抜けられるのか。

全滅覚悟の攻撃については先程の行動から無謀であることは理解している。

そうであれば、この追い込みに乗って脱出を図る方が得策だろう、そう結論付けた。

不思議と用意されている逃げ道を、描かれた線の上をなぞるようにして進み続ける。

それでも周囲の警戒だけは怠らない。

相手はどのようなつもりなのか、いつ攻撃されるかはわからない。

攻撃されればこちらも応戦するつもりではいる。

先刻の交戦から、交戦中であることに変わりはない。

加えてこの非正規戦闘では、いつ何時に攻撃にあって、全滅させられてもおかしくはない。

ある種の覚悟をしているとは言っても、やはり目の前にすれば恐怖心は沸き起こる。

それを抑えるのにも必死な状況だ。

極度の緊張が続く。

追い立てられている恐怖もあるが、いまは道がひとつだけ開けていて、そこに賭けるしかない。


侵入部隊は谷の方へ向けて進んでいく。

迎撃隊は、そこに誘導するように追い立てていく。

侵入部隊は部隊長の目測より早く谷に到着した。


侵入部隊の目の前が開けると、そびえ立つ岸壁が立ちはだかっていた。

任務長が唖然としていると、迎撃隊からの追撃が迫る。

全ての判断を失ってしまった今、この追撃に任せるしか術が無くなってしまった。

依然として攻撃への緊張はあるものの、恐怖感よりも、自分たちの行動が徒労に近いものになってしまったことを瞬時に察知したことによる脱力感の方が強くなっていた。

何も考えることも出来ず、ただただ追い立てられる。

侵入部隊は、この時点で迎撃が達成されたとも言える状況になった。

全てを捨てて崖沿いに進み続けるしかない。

いずれ谷の入り口が見えるだろう、そこまでは生かされているのだろう。

そう悟った任務長は、足早に進み続けるだけだった。


夜の空に、色濃さがなくなり始めてきていた。



空に、明るさが灯りだしている。

夜の終わりが近い。

奇しくも、そのタイミングと重なるようにして侵入部隊も谷の入口へと誘われている。

任務長はもはや為す術無く誘導されている。


夜の闇が終わりかける頃になって谷の入口が見えてきた。

観念したように任務長は部隊に警戒の解除を合図する。

迎撃隊相手に投了した格好となった新入部隊は、谷の入り口まで誘導されることになった。

よくよく開けた谷の一本道を前にして、任務長は呆然とするしかなかった。

あれだけの状況下から、自分たちを無傷でここまで誘導する手筈に、感服する以外なかった。

生きて帰る以上、それを伝えねば自分たちの意味が無い。

そう思わせるに足る部隊であったと。


侵入部隊はいそいそと隊商の格好を整えて、谷を後にする。

谷の上部では、今度は侵入部隊の目に見えるようにして観測隊が望遠鏡を光らせている。

谷の側から昇る朝日が、望遠鏡のレンズに反射して侵入部隊に観測されていることを教える。

何事も無かったかのように、ただ静かに山の国へと戻っていく侵入部隊と、それを警戒しつつ見送る三部方面隊観測隊。


朝日は昨晩に何事も無かったかのように昇って、谷を照らす。

この季節は、夜が明けてから明るくなるまでは早い。

明るくなったと思ったら、もう太陽が顔を出していた。

太陽に照らされた長い影が、物惜しさのような恨めしさのような感触を見せながら、侵入部隊が谷の先の川に架かる橋を渡る。


ヨコダはテントの中で全く動くことがない。

食事もとることはなく、じっと地図を睨んでいた。

ただ、手元の駒はしっかりと相手の駒を地図の外、つまりは国外、へと追いやっていた。

完全な撃退の完了を察知したのか、ヨコダが呟く。

「そろそろ、終わる頃合いだろう。

 後は中央への報告をまとめなければならない頃合いか」

その言葉から少しして、迎撃隊からの伝令が入った。

内容はヨコダのつぶやきそのものだった。


「迎撃隊、敵部隊の撃退に成功。

 此の方、損耗、無し

 損害、1

 彼の方、損耗、無し

 損害、恐らく無し」

 

一報を受けてのヨコダが返す。


「迎撃隊に伝達、損害については直ちに後送し、14日間の休暇とする。

 経過観察の後、復帰を判断する。

 復唱し、伝達」

 

ヨコダの命令を受けた伝令は内容を復唱し、迎撃隊へと伝達する。

伝達された隊員は当然この程度の負傷は負傷のうちにはいらず、任務の続行を申し出た。

ところがヨコダは頑としてそれを受け入れず、後送を厳命した。

ヨコダの信条のひとつに、その厳命の意図はあり、それを通達した。


「小事を看過せば、則ち大事なり」


ヨコダの経験則、あるいは彼の読み込みから来る言葉なのだろう。

その一言を受けた隊員は何を言うこともなく14日間の治療を受け入れ、後方へと下がっていった。

ヨコダは約20時間ぶりのタバコに手を伸ばす。

胸元から取り出し、くしゃくしゃになったタバコを咥えて火をつける。


「さて、中央への書類がまとまるのは昼頃になるだろうな。

 それまで一休みする」

 

そう言ってタバコをすぐに消し、山岳帽を目深にかぶったまますぐに寝てしまった。

迎撃隊が戻るのは昼前、残った隊員が事態の詳細を急いでまとめる姿があった。

帰投しつつある迎撃隊と無線連絡を取りながら、書類を急ぎまとめ上げる。

昼前に横だが目覚めると、書類が完成していた。

目覚めたヨコダがそれに目を通すと、中央へ電信せよとの命令が下った。

まとめた書類については別途郵送部隊へと預けて中央へ送られた。


中央司令部、


元に迎撃完了の速報が届いたのが午後の会議直前。

カマイシは相変わらずだと苦笑いをしながら、午後の会議の一番の議題として話題に乗せた。

今回の非公式の行動についての国家的対応、あるいは国防的対応についての協議、そして各方面への根回し。

カマイシの政治力は圧巻とも言えるものだった。

シンプルなものから各種連絡手段を用いた手続き周りまで、何がそうさせるのだろうか、と思えるほど鮮やかなな手際を見せた。

カマイシの行動があって、統一戦線の戦端が切られることなく、それでいながら高い警戒を維持することができている。

カマイシもまた、ヨコダと同じように、枝の国を心から愛し、護りたいと思っているからこそ、この手際を産んでいる。

執務室に戻ったカマイシは椅子に深く腰掛けると誰に向かうでも無く呟く。


「まったく、毎回この面倒を引き受ける身にもなってくれ。

 身体を張ってるのは、お前だけじゃないんだぞ、ヨコダ。

 そこは理解してくれるとたのもしいんだがな」

 

伝令がそれをヨコダへ伝えようとするのを押しとどめる。

カマイシが椅子を立ち窓の側に向かって、再び呟く。


「伝えたところで、彼自身もよくわかっているだろう

 だから伝えるだけ手間だよ」

 

そう笑った。


後日、三部方面隊からの報告書が中央へ届けられ、事態の詳細が共有された。

今回の件によって被った損害については、戦闘行為によるものではなく、訓練中の事故として処理されることとなった。

新入部隊側も威力偵察より潜入偵察の側面が強く、その任務が達成されなかった事による利益が大きいとみられるためとなる。

今回の事態は外交的な抗議は必然的に行われるが、非難声明よりも強いものは出されることは無かった。

三部方面隊内部では、それが今回の件のいわゆる「落とし所」として納得がいっている。

ヨコダも、部隊員もまたそれで納得を持ち、後送された隊員もまた、納得を持つこととなった。

事後処理の終了後、ヨコダが全隊員を集めた訓示では、今回の件について短く述べた後、最後に一言を加えた。


「今回の件で、対応に納得の行かないものは忌憚なく伝えて欲しい。

 それを納得させるのが私の職務である。」

 

ヨコダの一言を受けて、意見する者は一人もいなかったという。


枝の国の侵入から数週間後。

三部方面隊は変わらずに国境の警備を続けていた。

観測手と連絡手が数時間毎に入れ替わり警備警戒を続けている。

谷の背後には「魔除けの森」が、変わらぬ広大さを湛えていた。

縦に長い谷の中央部分、観測テントよりも大きな野営テントがある。

そこが三部方面隊の前線司令部を配している場所である。

そこで三部方面隊所属のヨコダ大尉が指揮を執っている。

その日、司令部テント内にヨコダの姿は無い。

中央司令部からの召集を受け、中央へと向かっていた。

前線司令部から中央までは、魔除けの森を半日掛けて抜けて、更に半日進んだ先にある。

軍用の早馬を使っての時間となり、一般には2日は掛かる辺境が前線の位置になる。


中央へ到着したヨコダは、先日発生した侵入部隊迎撃についての詳細確認のため、上官であるカマイシの執務室へ向かう。

部屋前の守衛に挨拶を交わし、執務室へ入室する。

年季の入った調度品が並べられている、古風な部屋。

広さは人一人が使うには広すぎるという程。

入って左手には応接用のソファも広げられている。

正面が開けているのは出入り口まで最短で駆け抜けられるようにというカマイシの指示に基いている。

横だがカマイシの前に立つ。

カマイシは中央司令部の中では下級ではあるものの、叩き上げで現在の階級まで上り詰めたため周囲からは一目置かれている。

何よりヨコダの事を強く買っており、彼らの信頼関係は非常に強く結び付いている。

「先日の件についての報告は確認させてもらった。

 迎撃任務に感謝する。

 負傷した隊員についての後送は私からの命令として扱わせてもらうよ」

カマイシが資料と手元から机の上に置きながら伝えた。

「承知しました。

 そちらの方が隊員も従いやすいでしょう。

 私からの命令だとどうしても頑張ってしまう。

 それでは次に繋がらない」

ヨコダはカマイシの組んだ手元を見ながら応答する。 

「ところで」

カマイシは執務室の自席から窓際に立った。

その向こうには中央司令部の中庭から玄関の先まで広がる庭木が見えている。

空模様は晴れているようで、太陽を眩しそうにカマイシが見つめる。

その姿は穏やかで、天気を気にしたのんびりと映っている。

「今日の空はまだまだ晴れている、か。

 山の先の雲模様は少し怪しいな。

 このまま天気が持ってくれればいいんだが」

カマイシが伸びやかな口調で語りかける。

「三部方面からこちらへ移動中はそれほどの変化は見られなかった。

 ただ、雲の様子から、この後の戻り時が心配になるな」

ヨコダは普段の口調でカマイシに返答する。

中央司令部でのそれなりの権力を持つカマイシに対して口調を整えること無く答える。

それがヨコダのヨコダたらしめる所以のひとつである。

天気は、当たり障りなく話題の導入としてはとても使いやすいトピックのひとつ。

あまり見知らぬ者が互いの沈黙を埋めるのにはちょうど良い。

だが、ヨコダ、カマイシ共に見知らぬというにはあまりに旧知の仲だ。

彼らが天気の話題を出す時、決まって会話の温度が急激に低下する。


「大尉」


数瞬前まで和やかに離していたものとは思えないほど唐突に、かつ確かな呼びかけ。

それも名前ではなく階級を呼ぶ。

それがこの冷却の合図でもある。

カマイシの目線はまだにこやかなまま、言葉の質だけが冷たくなる。

「統一戦線の再来、あると思うかね。」

途端にカマイシの目線が鋭くなる。

ヨコダは姿勢を保ったまま、目元も変えることなく返答する。


「恐らくは。

 近いうちにまた何かしらあるでしょう。

 我が国への侵攻は隊に懸けて防衛を行う所存です」

 

ヨコダは視線を動かすこと無く、まっすぐな温度でカマイシに返答する。

陽光は窓越しにカマイシの背中を温めていた。



ヨコダがカマイシから召集を受けてから1ヶ月。

三部方面隊は警備警戒を続けている。

大きく変わった様子は見られず、平和が続いている。

深く切り立った谷の底が一本道となって枝の国の国境まで続いている。

谷の上部は開けた平地となっていて、そこに立つ者の存在はいち早く把握される。

加えて谷地の上部は軍の管理地となっているため、一般人は立ち入ることが出来ない。

谷の長さは日の出から昼前まで歩けば踏破できる程度の長さ。

とは言え人の目では限界がある。

そのために配置されているのが観測手と連絡手の二人。

観測手は各々が望遠鏡を持ち、常に周囲を監視している。

連絡手は、観測手の得た情報を司令部へと伝達する。

通信手段は、枝の国にある鉱山から産出される声の石と呼ばれる特殊な鉱石による無線通信を主としている。

この鉱石により、枝の国は遠隔通信に非常に長けた国として周囲から警戒されている。

前回の統一戦線時、この通信網を用いた迎撃戦、そして包囲戦により先日の侵入部隊を擁する山の国は手痛い反撃に遭った。


今回の件が直接統一戦線の新たな火蓋とならないよう、カマイシは細心の注意を払って対応を進めた。

前々回の統一戦線が開戦する切欠となってしまったのは、山の国と枝の国との衝突行動にあった。

それを省みた中央司令部は、一切の非防衛軍事行動についてを使わず、衝突行動の徹底的ないなしを宣言した。

その宣言通り、山の国からの挑発行動や、衝突的な行動についても徹底的に無視、あるいは迎撃を行った。

それらの状況を指揮し続けていたのが、三部方面隊のヨコダである。


そのヨコダは前線のテントでタバコの煙をくゆらせていた。

ヨコダ自身の経歴を見れば、このような僻地の前線に居るのには不相応な程の武勲を上げている。

中央からは幾度となく昇格と中央勤務を打診されているが、頑なに固辞を続けている。

彼自身の性格や適正もあるが、彼が前線に留まるのには、明言されていない理由がある。

そのひとつに、統一戦線の監視がある。

各方面隊は国境警備の主任務を遂行しつつ、隊長級にはもうひとつの任務が与えられる。

それが統一戦線の監視である。


統一戦線は、いつ発生するかがわからない。

ある国で発生した戦端を口火として、世界規模で戦闘行動が拡大する現象。

各国家は独立してはいるものの、世界統一の幻想を抱く国家も少なくない。

そういった国家が、なにかの戦端を口実に他国へ介入を始め、連鎖式に戦火が拡大していく。

統一戦線はいくらかの周期を持って発生し、ひとつの終戦協定により一斉に沈静化する。


枝の国はその災厄を回避するために、各方面隊に兆候の監視を厳命している。

しかし、衝突行動そのものが統一戦線に繋がるのかについては、分析は簡単ではない。

そこで歴戦の兵が経験からその兆候を判別し、中央へと報告する。

そうすることで戦端国として一斉の介入が行われる事を回避するという狙いがある。

ヨコダのような歴戦の兵は、中央にとっても非常に優秀となる。

数回の統一戦線の前線経験も豊富で、統一戦線のどさくさにまぎれたような攻撃を何度も撃退している。

その強みが周辺国に知れ渡っていることで、枝の国を攻めにくい国として強い独立が保たれている。


先日の件についてはヨコダとしては戦線の気配無しと結論付けていた。

テントに戻ったヨコダは、あれから地図を前にして動かない。

何度も侵入部隊の行動を再現し続けていた。

今回の件が、戦端になりえたのか、あるいは既に戦端として成立してしまったのか。

そのシミュレーションを続けていた。


ヨコダの口に咥えたタバコは、吸われることなく灰になっていった。

ヨコダとカマイシ。

歴戦をくぐり抜けた2人の共通の視座。

「統一戦線」

その訪れが、そう遠くない事を否が応にも察知せざるを得ない状況。

それでも、この不穏を疑いたくない2人。

それを押し込めるようにして、中央への会議へと出席した。

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