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第8話

「何だか別人になった気がするな」

「姓が篠田になっただけなのに大袈裟ね」

 1915年1月、彼は陸軍少尉に任官したばかりだったが、私と結婚して、我が家に婿養子として入り、篠田の姓を名乗ることになっていた。

 結婚式の席で、彼はそうこぼし、私は満面の笑みでそれをたしなめた。


 あれから約1年余りが経っていた。

 親族会を開いて、兄を篠田家の推定家督相続人から廃除して、彼を私の婿に迎え、篠田家を継がせる。

 父の決断は、周囲に大きな波紋を引き起こした。

 親族の多くが当初は反対したし、兄も自分がそこまでのことをされるのは心外だ、と長文の手紙を何度も書いてよこした。


 だが、私は色々と裏工作を行い、兄の廃除に動いた。

 仕事の合間を縫って、親族に会い、本当と嘘の情報を織り交ぜることで、嘘の情報の信用性を高めるという手段まで講じて、兄の廃除に同意するように、私は親族を説得した。

 篠田家の跡取りとして、株式相場という博打を打って借金を作る長男を取るか、将来が有望な陸軍士官の娘婿を取るか、そう突き詰めて聞かれると親族の多くが、段々と兄の廃除に賛成するようになった。

 それに兄は東京にいるのだ。

 兄が手紙で説得するのと、私が直に会って説得するのとでは、親族に対する説得力がまるで違う。


 結局、兄を推定家督相続人から廃除するという親族会の決議が行われた。

 そして、兄は裁判所に訴えを起こしてまで、これに抵抗しようとしたが、所詮、兄には金が無く、弁護士を依頼することもできず、かといって会社を休んで自分が裁判所に行くこともできず、ということに気づいた兄は、訴えを取り下げざるを得なかった。


 更に、この兄の抵抗は、親族の心証を害した。

 素直に親や親族の忠告を聞かずに反抗するとは、と兄の抵抗は受け取られてしまったのだ。

 そのため、今や、私と彼の結婚、彼を父の婿養子に迎えて、篠田家を継がせるということを、私の親族のほとんどが歓迎している有様だった。


「篠田の姓くらいしか、最早、我が家には遺っていないから。後は借金ばかり」

 溜息を吐いて、私はそう言った。

「そんなこと気にしなくてもいいのに。借金なら、一緒に返していこう」

 彼は優しく言った。

「ありがとう」

 私は微笑んで、彼に言った。

 

 私は本当に幸せだった。

 後は、娘を産んで、他の子も産んで、と幸せな未来を思い描いていた。

 陸軍少尉に任官したばかりの彼は薄給だったが、それでもこれまでより私は裕福な暮らしができた。


 だが、未来が分からなくなっていた自分は分かっていなかった。

 第一次世界大戦の嵐は、容赦なく何れは私達に襲い掛かろうとしていることを。


 1914年6月28日、サラエボの街角で響いた銃声は、第一次世界大戦の導火線になった。

 1914年8月19日には、日英同盟に基づき、日本は対独宣戦を布告し、日本は参戦した。

 1914年8月25日、日本海兵隊の欧州派遣が正式決定した。

 だが、青島要塞攻略等に陸軍は赴いたものの、陸軍が欧州に赴くという情報は流れてこない。

 陸軍士官になった彼は、欧州に赴かずに済むのだろう、と漠然とこの頃の私は考えていた。


 私は、結婚後すぐに妊娠した。

 1915年秋には、息子、私達の長男が産まれ、私達の仲を取りなしてくれた簗瀬さんの名前をもらい、真琴と名付けた。

 そして、私は続けて妊娠した。

 子どもが好きな彼は喜んでくれた。


「今度は娘が欲しいな」

「そうね。できたら千恵子と名付けたい」

「良い名前だね」

 私達はたわいのない会話をし、お互いに幸せを噛み締めた。


 だが、その頃、欧州に派遣された日本海兵隊は、見事な初陣をガリポリ半島上陸作戦で飾り、欧州で名を高めたが、ヴェルダン要塞攻防戦で地獄を味わっていたのだ。

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