第24話
念のために、と私が示したジャンヌ・ダヴーの死刑執行を報じる新聞記事は、彼に何の感慨も与えなかったようで、記事の全てを読み終えた彼は、
「酷く悪い女がいるものだな。こんな凶悪犯罪を犯して。死刑になって当然だ」
と吐き捨てるように言っただけだった。
私は、その科白を聞いて、思わず口に出したくなった。
「彼女は別の歴史の流れでは、あなたの彼女になって子どもまでできたのよ。あなたは、そんなに冷たい言葉を彼女に掛けるのね」
だが、この世界の彼に、そんなことを言っても、彼には全く分からないだろう。
おそらくだが、この世界で前々世の歴史の流れを知る唯一の人物として、私は彼女の死を心から悼んだ。
更に時は流れ、1960年代末になった。
村山キクの死を知ったのは、新聞記事の見出しでだった。
「横須賀芸妓の伝説の芸妓、キク姐さん死す」
私は、その記事を、また、むさぼるように読んだ。
村山キクは、1950年代以降は歳もあり、完全に現役から引退して後輩の指導に努めていたらしい。
そして、多くの芸妓を育てたのだが、ここ数年は病気がちで病院と自宅を往復する生活をしていた。
体調がいいから、と自宅に戻って静養していた際に、急な脳出血に襲われて孤独死したとのことだった。
もし、村山キクが幸恵等の子どもを産んでいたら、幸恵等が彼女の死を看取っただろうに、と私は悲しみに耽らざるを得なかった。
事実上、身内が誰もいない村山キクは、後輩の芸妓達が共同で葬儀を行うことになった。
この葬儀は、彼女の長年の顧客や親しんでいた市民が参列する盛大なものではあり、私も市民の一人として参列した。
葬儀の席で彼女は最終的に身寄りのない芸妓達の多くが眠る合同墓に葬られると私は聞いて、家族のいない彼女に、私は心から涙を流した。
更に数年後、土方歳一も亡くなり、土方忠子も病床に親しむようになった。
「一人息子と泣いてはすまぬ、三人亡くした方もある」
「一人息子と泣いてはすまぬ、娘も亡くした方もある」
何度か、病床の彼女を私は見舞い、その度に彼女と私はそう言いかわした。
「本当に、あなたと親友になれてよかった。それにしても、お互いに子どもと縁が薄かったわね」
忠子はそう言って、私も涙を浮かべながら、頷かざるを得なかった。
本当に、この世界では、何で千恵子も、総司も私に先立ったのだろう。
前々世では、千恵子は子宝に恵まれ、孫を連れて、今、この頃にも私を何度も訪ねて来ていたのに。
そして、忠子も同様に子ども全てに先立たれている。
そのため、土方伯爵家は、土方歳一の死により廃絶となった。
前々世では、勇が土方伯爵家を継ぎ、千恵子が土方伯爵夫人になっていたのに。
そして、忠子も亡くなり、私は夫と葬儀に参列した。
1970年代に入り、せめて、夫を看取りたい、と私は願っていたのだが、皮肉にも私の方が先に病気になって胃がんを発症してしまった。
夫を家において、私は入院する羽目になり、私は前々世の記憶を懸命に探り、自分の寿命がいよいよ尽きようとしているのでは、と覚悟を固めた。
夫は、毎日のように私を見まいに来た。
「ごめんなさい。私が先に病気になるなんて」
「気にしなくていいよ。君の死を看取る覚悟はできている」
私と夫は、そのような会話を何度も交わした。
「ごめんなさい。あなたの死を子どもと看取れなくて」
いよいよ、寿命が旦夕に迫り、声も出せなくなった私は、夫、彼にそう内心で呟くしかなかった。
それにしても、私は無念だった。
折角、歴史を変えたのに、こんな寂しい死を迎えるなんて。
夫、彼が看取ってくれるとは言え、私としては、子どもと共に晩年を過ごしたかったのだ。
もし、違う歴史を歩めるのなら、私は。
これで、事実上の本編は終わります。
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