第20話
「どうして、そんなに医師になりたいの」
私は志望動機の浅さを理由に、千恵子の進学希望を押し止めようとしたが、千恵子に反駁された。
「お母さんは、私が小さい頃、何かというとため息を吐くことが多かったじゃない。お父さんやお祖父さん、お祖母さんに聞いたら、私の覚えていない真琴兄さんのことを思い出しては、ため息をお母さんは吐いているのだと聞いたわ。それを私は聞いて思ったの。私は医師になって、少しでもお母さんのような想いをする人を減らしたいと」
こう千恵子に言われては、私は千恵子の言葉に反駁することは困難だった。
実際、千恵子の言う通りだったからだ。
1月余り、私と千恵子が押し問答をしていると、彼が旭川から東京の私達の家に休暇を取って帰ってきた。
「千恵子、そんなに医師になりたいのか」
彼は、娘の千恵子に問いかけ、千恵子はしっかりと肯いた。
「それなら、予備役軍医士官制度を活用して医師になれ」
彼は、娘に示唆し、私は驚愕した。
予備役軍医士官制度。
第一次世界大戦において、日本は陸海軍共に大量の士官を失った。
また、新たに事実上設けられた空軍においても、戦時においては大量の士官を養成することは必要不可欠であり、海兵隊に至っては日露戦争や第一次世界大戦の戦訓から、大量の予備士官の確保が急務と考えられるようになっていた。
そして、大正デモクラシー等により、日本中で大学、高等学校が作られたことから、そこに予備役士官養成課程が設けられる例が多発したのである。
だが、本来ならいわゆる兵科士官の養成のみで済むはずが、軍医士官の養成にまで日本が奔ったのは、スペイン風邪の苦い記憶があったためだった。
第一次世界大戦の末期、スペイン風邪が世界中に蔓延した。
その為に、私の兄や真琴は亡くなったのだ。
更に言うなら、この時、日本の軍部は国内外において、大量にスペイン風邪の感染者を出し、軍の医療制度が一時的に崩壊するという大打撃を被った。、
こういった事態が再度、起こらないようにということで、予備役軍医士官制度が設けられた。
「慶応の予備役軍医士官養成課程に合格出来たら、それへの進学を認めてやろう」
彼の挑発するような言葉に、千恵子は俄然、奮起した。
「お父さん、約束よ」
その日から、千恵子の猛勉強が始まった。
「大丈夫なの」
私は、千恵子と彼の会話が終わった後、彼をそれとなくたしなめた。
「大丈夫。女性と言えど、軍医士官には成れる。性別制限はないからな」
彼は平然としていた。
千恵子の医師になりたい、という希望を本格的に聞いてから、梅津少将等、欧州派遣時代に知り合った軍人達に彼は連絡を取って、何とか千恵子の希望が実現できないか、打診していたらしい。
そして、軍医士官に性別制限が無いことに着目し、千恵子に示唆したとのことだった。
ちなみに、軍医士官に性別制限が無いのは、例のスペイン風邪の影響で、民間の医師を少しでも採用しようとしたことの余波とのことだった。
「それに、予備役軍医士官になったからといって、実際に女性が動員された場合、日本国内にしか基本的に行かずに済むだろう。わざわざ外国に派遣されることは無いはずだ。そんなことが起こるとしたら、それこそ第二次世界大戦が起きた場合だけだろうな」
彼は私に笑って言った。
私は全てが終わった十年以上先の話になるが、この時の会話を折に触れて思い出すようになった。
彼はこの時、楽観的に言っていたし、実際、私も彼の言うことに間違いはないと思っていた。
だが、そんなことは無かった。
還らぬ繰り言だが、前々世から前世に至るまでの記憶が私にあったら、将来のことに危惧を覚え、私は千恵子の希望には反対していただろうに。
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