第19話
「私は、将来、医師になりたいの。お願い、高等女学校を卒業した後、医学校への進学を認めて」
1931年春、高等女学校卒業を約2年先に控えている娘の千恵子のお願い、相談事を、私は素直に受け入れることができないでいた。
何故なら、我が家の家計には余裕がないからだ。
それに、息子の総司を、中学校に通わせる必要も我が家にはあるのだ。
やっとの思いで我が家の借金完済を果たせた我が家の家計では、とてもではないが、千恵子を医師にするだけの学費を出せる余裕はなかった。
当時、旭川の地に再度、単身赴任していた彼も、千恵子からの大抵のお願い事は二つ返事で叶えるのに、すぐには返事をせず、千恵子にもう少し考えた方がいいのでは、と長文の手紙を書いて、千恵子に暗に医師への志望を止めるように促す有様だった。
前々世の神奈川県立高等女学校に通っていた時も、千恵子は極めて優秀な成績を収めていた。
この世界では亡くなっている兄が、子どもが産まれなかったためもあるのだろうが、千恵子を事実上の養子として可愛がる余り、
「千恵子が行きたいのなら、東京高等女子師範学校だろうと、どこに進学するにしても金は出してやる」
と言い、千恵子が、
「私の父親代わりの伯父さまが、そこまで言われるのなら」
と勉学により一層励む有様だった。
兄さんが生きていれば、と私は痛切に思わざるを得なかった。
会津から東京に出てきた私と両親を、兄は暖かく迎えてくれた。
更に私が彼の遺産と彼の実家から慰謝料等として貰ったお金で、兄の借金を始め、全ての我が家の借金は完済されてしまった。
借金という足かせが無くなった兄は、現金精算可能な範囲で大胆不敵な相場を打った。
それが最初に成果を挙げたのが、第一次世界大戦終結に伴う戦後不況での大儲けだった。
これで、一廉の資産を築いた兄は、証券会社を辞め、相場師への路を歩んだ。
さすがに関東大震災は読めなかったが、その後の帝都東京再開発でも兄は儲けた。
そして、兄が相場師としての名声を一度に高めたのが、昭和金融恐慌だった。
この時、相場師の多くが、鈴木財閥の倒産を予測していたが、兄は逆に三井財閥の倒産を予測していた。
兄に言わせれば、
「市場、経済人の感覚からすれば、三井は正しい。だが、国産初の陸上戦闘機を開発し、更に軍用航空機や軍用車両、軍艦を大量生産している鈴木を、米国資本に売り飛ばそうとしている三井を、軍部が許すはずがない。そんなことをしたら、日本の国防は崩壊する。最後には鈴木は救われ、三井は没落する」
とのことだった。
実際、大番頭の金子直吉のクビがとぶ、という犠牲を払ったが、鈴木は救われ、三井は三井銀行を手放すという大打撃を被った。
兄は、昭和金融恐慌によって、多くの相場師が没落する中、逆に相場師としての地歩を完璧に固めた。
その兄にとって、最大の悩みが実子がいないことだった。
兄は相場師への路を歩む前後に、証券会社の同僚の親戚と見合い結婚をした。
兄夫婦の仲自体は睦まじいものだったが、どちらに原因があったのか、子どもができなかったのだ。
そのため、千恵子を事実上の養子として兄夫婦は可愛がった。
また、父を知らない千恵子も、兄を父代わりとして慕った。
この世界でも、前々世でも千恵子は幼い頃から勉強ができた。
そして、前々世で千恵子は高等女学校への進学を希望すれば、兄は喜んで金を出した。
更に高等女学校でも千恵子が優秀な成績を収めれば、兄は、
「可愛い千恵子が行きたいなら、どこへでも進学すればいい。金の心配はしなくていい」
とまで、私や千恵子に言う有様だったのだ。
だが、この世界では兄は亡くなっている。
私は、千恵子の希望に苦慮する羽目になった。
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