第18話
だから、私としては、真琴の件さえ無ければ、まだまだ子どもを産む用意はあったのだが、如何せん、真琴の件があったし、それにもう一つの問題があった。
「何とか借金は全て無くなったな」
「本当に良かった」
私と彼は顔を見合わせて言った。
それこそ、私が産まれる前から背負っていた我が篠田家の借金。
彼が欧州から帰還した後も当然、この借金は残っていた。
彼が陸軍大学校に入学した後、この借金話を聞いて、彼に同情した陸軍大学校の友人達が、お金を出し合って一時的に借金を返済し、その後、無利子で自分達に分割返済するという超好条件を示してくれたことで、最終的にこの借金を整理することができたのだ。
もっとも、それが完済に至るのは、1930年頃の話であり、それこそ昭和になってからで、その際に上記のような会話を、私と彼は交わせたのだ。
そして、それを見ることなく、私の両親はこの世を去っていた。
こんな状況で、私がそう子どもを産んでは、生活がより苦しくなるばかりなのは当然の話だったし、折角、助けてくれた陸軍の友人達も、何を考えているのだ、と想うようになり、折角の友情も壊れてしまう。
だから、彼も内心を押し殺して、千恵子と総司の2人の子で我慢するしかなかったのだ、と私は想う。
ともかく、この世界の土方忠子は、千恵子に好意を示した。
「いっそのこと、家の息子の嫁に、将来、千恵子を迎えたい。年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ、というでしょう」
と私に言うまでに。
この言葉を聞くたびに、前々世の記憶を私は思い出さざるを得なかった。
前々世では、土方忠子ではなかった、岸忠子と私は犬猿の仲もいいところだった。
(記憶がよみがえった後の前世でもいい勝負だったような気もするが。)
岸忠子が正妻であり、岸総司が嫡子である以上、彼の三回忌等の法事を、岸忠子と岸総司が主宰するのは当然の話だった。
私はその法事の度に、父の法事ということで、千恵子を連れて出席した。
そして、その度に岸忠子は聞えよがしに私達に半ば言った。
「本当に厚かましい。遠慮というものが無いのかしら」
こう言われては、こちらも喧嘩腰にならざるを得ない。
千恵子に対して。私は、
「お父さんの法事に参列しているのだから、胸を張って最前列に座りなさい」
と言い、私はその横に座った。
法事に参列する人の目がある以上、岸忠子も。法事という席で公然と喧嘩は出来ないので、せめてもの嫌がらせとして、公然と嫌な顔を私達に示して対抗する。
この世界まで生きてきて想うことだが、お互いに意地を張り過ぎていたのだと思ってしまう。
お互いにもう少し譲れなかったものなのだろうか。
ともかく、私と岸忠子の喧嘩の発端となった彼の取り合いが無く、子ども同士も夫同士も仲が良い。
そんな世界で、私と岸忠子が喧嘩をする理由は皆無なのだから、岸忠子が、千恵子に好意を示すのはそんなにおかしい話ではなかった。
そうこうしている内に、土方忠子の義父、土方勇志提督は、1927年の南京事件に伴う日(英米)中限定戦争の功績によって、伯爵に叙せられた。
また、相前後して、土方忠子の実父、岸三郎提督も男爵に叙せられた。
そして、私と彼の家族は、東京と地方を行ったり来たりして任地を転々とする日々を、彼の陸軍大学校卒業後は送る筈だったのだが。
千恵子が高等女学校への進学を希望したことから、私と子ども達は東京に住むようになり、彼は単身赴任することになった。
千恵子は優秀で、東京府立第六高等女学校に入学し、入学後は優等を維持し続けた。
前々世の記憶が並行して戻る度、この世界でも千恵子は優秀で良かった、と私は考えていたのだが、この後に思わぬトラブルが起こった。
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