第16話
話が少し戻るが、1920年の春先に、この世界の私としては3人目の子どもになる総司を、私は産んだ。
篠田家の跡取りとなる真琴を失った以上、できたら跡取りとなる息子が欲しい、というのは、彼のごく自然な感情だったし、私も同感で、周囲の親戚もそれを待ち望んでいた。
だから、本来なら素直にこの総司の誕生を私は喜ぶべきだった。
だが、真琴の死の衝撃が、実際には私の心の中では癒え切ってはいなかった。
「総司、総司」
総司の出産後、彼がそう総司を呼んで可愛がり、それを嫉妬した千恵子が、自分に構ってほしいと妬んで来るのを見たりすると、私は、どうしても死んだ真琴のことを思い出して涙に暮れてしまうのだ。
良くないことだ、と自分でも分かってはいるのだが。
そして、彼は私の気持ちを察してくれた。
「りつ、ゆっくり話し合おう」
千恵子と総司が寝入った後、彼は自分から私と話し合おうとしてくれた。
彼と私は、率直に自分の気持ちをぶつけ合って、折り合いを付けようとした。
彼は、まだまだ子どもが欲しかった。
だが、私はまた子どもを失うのでは、という恐怖感が先立ち、子どもをこれ以上産みたくなかった。
(後になって考えればだが、これは私に21世紀の前世の記憶があるせいもあったようだ。
21世紀では乳幼児が死ぬのは極めて稀だが、この頃は、まだまだ乳幼児死亡率が高かった。
だから、周囲での乳幼児の死亡の話を聞いても、彼はまたか、と思う程度で済んだが、私は自分の産んだ子が同様に死ぬのでは、と恐怖感が先立ってしまった。)
彼と私は何度も話し合った末、しばらく子どもを作るのを見合わせることにした。
そして、総司が6歳になった頃、私の気持ちはようやく癒えて、子どもを作る気に私はなったのだが、彼の方が、また私が涙に暮れる危険を考えれば、別にこのままで良いと思うようになってしまった。
実際、彼がその気になって、私が子どもを新たに産んだとして、また真琴のことを思い出し、私が涙に暮れるようなことにならなかったか、と言われると私は否定しきれない。
その一方、私は、この世界で、村山キク、土方忠子ではなかった岸忠子と会ったことから、この世界のジャンヌ・ダヴーの行方が気に掛かるようになっていた。
少なくとも、彼とジャンヌ・ダヴーが会ったのか、そうでないのかを知ろうと、私は彼に何度か欧州での経験を尋ねてみた。
彼の言葉を信じるならばだが、欧州では、彼はマルセイユへは全く行かずじまいだったようだ。
彼は、1917年の春にジェノヴァ経由で北イタリアの駐屯地に派遣されて訓練に勤しみ、ようやく秋に訓練を終了した後、ほぼ間もなくしてカポレット=チロルの戦いに参戦した。
その戦いが終わった後、彼は部隊の仲間と共に、北フランスの駐屯地へ移動して、補充兵の到着を待ち、補充兵の訓練指導に勤しんだ。
それが完了した1918年夏からの最終攻勢に彼は参加して、ベルギー解放を果たした後、また、北フランスの駐屯地でしばらく休養し、ブレスト港から日本への帰国の途に就いたらしい。
「マルセイユどころか、南フランスは、北イタリアから北フランスへ行く途中に通っただけだったな」
私の問いかけに、彼は率直に答え、私が見る限り、彼が嘘をついているとは全く思えなかった。
「南フランス、マルセイユに何かあるの?」
彼は不思議そうに私に問いかけた。
「いえ、何でも無いの。どこに行ったのか、詳しく聞きたかっただけ」
私は懸命に誤魔化した。
これでは、ジャンヌ・ダヴーの消息は、日本にいる私には分かりそうにない。
おそらく、彼女はマルセイユの街娼として数千人の男性と寝て稼いでいるのだろう、と推測するのが、私には精一杯だった。
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