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第15話

「ただいま」

 彼は欧州から帰還してきた際にそう言った。

 それ以上の言葉が、彼は出せなかったのだろう。

「お帰りなさい」

 私も彼にそれ以上の言葉が出せなかった。


 1919年3月末、もう暫くすれば桜が花咲く頃に、彼は欧州から帰還した。

 真琴と兄を失い、涙が枯れ切ったように思っていた私は、彼を見た瞬間に涙が溢れてしまった。

 彼は生きて五体満足で欧州から帰還したのだ、それだけでもいい、と前向きに考えよう、と彼の姿を見た瞬間に、私はそう考えた。

 そうでも考えないと、彼が欧州に出征してからの日々がつらくてならなかった。


 その後すぐ、彼は私を黙って抱きしめてくれた。

 私の温もりが生の証であるかのように。

 私も彼の温もりが生の証のように思えてならなかった。

 そうやって、暫く抱き合い、沈黙の時間を過ごしていると、それを破る存在が現れた。


「かか、かか」

 回らない舌でそう言って、娘の千恵子が私を探して拙い歩き方をしながら現れたのだ。

 私と彼は、千恵子を見て、微笑みあい、お互いに動いた。

 彼は千恵子を抱きしめ、私はそれを見守った。

 真琴と兄を失って止まっていた私の時間が動き出した瞬間だった。


 彼は、欧州からの手紙に書いていたように、五合飯を会津味噌を肴に腹一杯食べつくした後、倒れた。

「日本、故郷に帰ったのを実感するな。やはり、日本米と味噌の組み合わせは最高だ」

 倒れた後で言った彼の言葉が、妙に私の記憶に残った。


 彼は新たな辞令を持って帰還してきていた。

 その辞令によると、欧州に派遣されたこともあり、彼は中尉に昇進して、第7師団を山岳師団に改編する任務に協力するために旭川に赴任することが決まっていた。

 半ば当然の話だが、私と千恵子も旭川に彼と同行して行くことになった。

 かくして、1919年4月、私達は旭川に赴任した。


 この時の旭川での生活は、彼が陸軍大学校に1920年12月に入るまでの2年近くに及ぶものになるのだが、その間に私には思わぬ出会いがあった。


 1920年8月、私は緊張しきって、その人を出迎える羽目になっていた。

 もし、その人が私と同じように前世の記憶持ちだったら、どうしよう。

 いや、村山キクは前世の記憶が無いようだった、だから、その人も無い筈と考え、私は気を鎮めていた。


「あなたが、篠田りつさん」

「はい」

「よろしくお願いします。土方忠子です」

 その人は、前世の記憶が無いようで、顔を始めて合わせた私に自然な挨拶をした。

 私の緊張感がほぐれた。


 その人、岸忠子ではなかった、土方忠子は、私の知っている彼女とは全くの別人だった。

「本当に父も夫も山登りに凝ってしまって、ご迷惑をおかけします」

「いえ。夫も山登りが好きですから。それにしても、妻を半ば蔑ろにして自分だけ山に登って、お互いに苦労しますね」

「全くですね」

 彼女は、本当にいい人のようで、私と自然に親しくなれそうだった。


「大雪山登山計画ですけど、天気予報は問題なさそうです。地元の老人、数人にも聞きましたが、2、3日の間に悪天候の心配は無いのでは、とのことでした」

 この時、彼は、岸三郎提督が名誉部長を務める海兵隊登山部の初心者向け夏山登山の世話をする羽目になっていて、上記のような会話を参加者と交わしていた。

 義父に半ば強制されて土方歳一中尉は、この夏山登山に義父と参加する羽目になり、土方忠子も麓まで付き添って来たのだった。

 私は、土方忠子のような女性の世話役をして欲しい、と彼に頼まれて、実際にその役を務めていた。


 この時の大雪山への夏山登山は、成功裏に無事に終わった。

 私と土方忠子達は、無事に大雪山から下りてきた彼や土方歳一達を出迎えられた。

 そして、登山部の面々と私と彼は仲良くなれた。

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