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文章表現における猥褻性

 「チャタレー事件」「悪徳の栄え事件」「四畳半襖の下張事件」……いずれも出版された小説における猥褻性が問われた事件であり、どれも猥褻と判断され被告側(出版側)が敗訴た事件です。表現規制問題に関心のある方にはお馴染みの事件と言えるでしょうか。また表現規制に関心が無くても、時の政府から猥褻だと思われて発禁にされたタイトルの字面と語感がちょっと楽しい森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』の存在を知っている方は多いと思います。


 このようにかつてこの日本において文章における猥褻性が問題になった時代がありました。そう、過去形です。


 二〇一六年の今現在、例に挙げた(事件の対象となった)作品全てを私たちは削除や改変のない完全な形で年齢関係なく合法的に入手することが出来ます。かつて裁判所や政府が猥褻だと認定した作品を、です。


 これは猥褻性というものが時代時代の社会通念に照らし合わせた上で判断されるものであり、時代が変り社会通念が変化すれば当然何が猥褻なのかという基準も変化する、という性質のものである以上ある意味当然のことではあります。実際『ヰタ・セクスアリス』を二十一世紀の刺激に慣れた私たちが読んでも明治時代における「硬派」と「軟派」の意味になるほどと思う事はあっても猥褻と感じることはほぼないでしょう。現代の私たちの多くが猥褻と感じない以上、当然作品に貼られた猥褻というレッテルも剥がされるということです。


 さらに言えば例に挙げた中で一番新しい「四畳半襖の下張事件」の最高裁判決が出たのが一九八〇年、それから約四〇年の間に創作物・表現における猥褻性が映像的・視覚的基準メインで判断されるようになった影響も大きいでしょう。何故判断基準が変ったのか、それはわかりません。大きな裁判や判決もなく、何か法改正があったわけでもなく、気付いたら判断基準がぬるりと変わり、文章における猥褻性がほぼ問題視されなくなっていた、というのが正直なところです。


 逆に言えばです。なんとなく変ってしまう程度の曖昧な基準で、文章における猥褻性というのは判断されていたという事でもあります。まあ、だからこそ性器露出の有無というはっきりした視覚的基準に移行したと言えるのかも知れませんが。


 ちなみに、この辺の判断基準の曖昧さの問題を、「四畳半襖の下張事件」の当事者である野坂昭如が一九七三年に発表したライブアルバム『不浄理の唄』で面白おかしく痛烈に批判しているので機会があれば一度聴いてみて下さい。

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