LIFE~ある老夫婦のお話~
かなり重めです。
死について書いてます。
仲の良かった老夫婦がいた。
二人は、いつ、どこへ行くのも一緒だった。
曰く「死ぬ時も一緒だよ」と冗談とも本気ともつかないことを言っていた。
二人の馴れ初めは、実に単純だった。
生まれ育った家が近所同士だったのだ。要するに、幼馴染みである。
幼馴染みが結婚するというのは、ありそうでなかなかないものだが二人は夫婦になった。
二人の仲を知る者からすれば、それは当然の成り行きであったろう。
以降、誰もがうらやむ理想の夫婦として50年間連れ添った。
はじめに異変が起きたのは、老婦のほうであった。
趣味でやっていたハイキング。その帰り道で熱を出し、倒れてしまったのだ。
一緒に歩いていたおじいさんはすぐに病院へと連れていった。
肺炎だった。
高齢者にとっては、もっともかかりやすく、もっとも危険な病気だった。
「はつえ……」
おじいさんは、白いベッドに横たわる妻を見つめながら、懸命に祈った。
もともと無神論者ではあったが、苦しそうにうめく妻の容態を見ると、祈らずにはいられなかった。
神様、どうか、どうかお助けください──。
しかし、おじいさんの祈りも虚しく、長年連れ添った最愛の妻は静かに息を引き取った。
最期は、まるで眠っているかのような安らかな顔だった。
※
それからというもの、おじいさんはどこへも行かなくなった。
大好きだったハイキングもやめ、日がな一日、家の中から外を眺めるだけだった。
時折、介護ヘルパーが様子を見に来る。
今では別の場所に引っ越してしまった息子夫婦がお金を払って世話を頼んでいるのだ。
息子夫婦にも息子夫婦の生活というものがある。
こうして暇を持て余している孤独な老人を、誰が好き好んで面倒を見ようと思うか。
おじいさんは、次第にふさぎ込んでいった。
「はつえ、いつ、迎えにきてくれるんだい?」
二人で撮った旅行の写真を眺めては、おじいさんは一人そうつぶやいた。
いっそ、死んでしまいたい。
そう思うものの、死ぬ勇気はなかった。
おじいさんは写真に写る妻の笑顔を見てふと思った。
このまま、死んでしまってよいものかと。
このまま人知れず死んでしまっては、先立った妻も浮かばれないのではないか。
おじいさんはそう思い立ち、想い出日記をつけることにした。
せめて、最愛の妻のことだけでも記録に残したい。誰かの記憶に残れば、それは生きていた証になる。
おじいさんは、書きなれない手つきで1冊のノートに二人の馴れ初めから書き始めた。
普段はあまり気にもとめなかった手の震えが、筆を執ってみるとかなり大きいことに気が付いた。
それでも、おじいさんは書き続けた。
ブルブルと手の震えをもう片方の手で抑えつけながら、必死に書き記していく。
いつしか、それはおじいさんの使命のようなものになっていた。
これこそ、まさに今自分がすべきことなのだ。
その想いのたけは、気が付けば10冊以上にも及んでいた。
妻との想い出日記。
二人が歩いた人生にしては、もしかしたら少ないのかもしれない。
しかし、おじいさんにとっては最高の想い出日記であった。
最愛の妻と別れた日。
おじいさんは最後にこう記す。
「はつえが死んだとわかった時、私は自分の魂も死んだと直感した。死ぬ時も一緒だと言ってくれたはつえ。その言葉は、嘘ではなかった。今の私は、生きる屍だ」
筆を置いた時、おじいさんは「ふう」とため息をついた。
終わった、なにもかも。
そう思った瞬間、おじいさんの身体が宙に浮いた。
驚きながら身をよじるその目には、机に突っ伏している自分の姿が映っていた。
痩せ細って、ガリガリになった身体。ボサボサの白い髪の間からは、満足したかのような安らかな顔をした自分がいる。
まぶしい輝きが頭上から降りてくると、おじいさんは顔を上げた。
その輝きの向こう、そこには最愛の妻がいた。
生きていた時と変わらない、心安らぐ笑顔を見せている。
おじいさんは、手を伸ばすと妻の手を握った。
「待たせたね」
「遅いですよ」
「はつえの想い出話を残しておきたくてね」
「あなたの想い出でしょう?」
「うん、あ、いや、二人の想い出だね。いつも一緒だったから」
「うふふ、そうですわね」
「一緒に生きてくれてありがとう」
「こちらこそ」
二人は手を取り合って、光の中へと進んで行った。
こうして再び最愛の妻に巡り合えたおじいさんの心は、幸福に包まれていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
文学フリマ応募作品です。
このお話をネタにした、また別のお話があるのですが、こちら単体で書こうと急きょ思いついた書き下ろしです。
満足した生き方、幸せな死について考えましたが、拙い部分はご容赦ください。