vol.5* 神が与えた物
「暇だなぁ・・・」
アーチ型の大きな窓の外から振り込む光を浴びながら、呟いた。
戻ってきても誰もいないこの部屋は、私を寂しく受け入れてくれた。
たった1件の仕事を、ライザにいるころよりずっとずっと時間をかけて終わらせた気がする。
いや、気のせいではなくそうなのだ。
彼女に出会ってから、私はライザの中でも変だと言われた。
それまでは優等生だといわれ続けてきた私は、たった一つの人間の魂によって、全てを変えられた。
けど、私は何も後悔はしていない。そう、それは不思議なほど。
こうなってよかったと思っている。
変だと言われ、優等生から不良へと名を変えて、最後には禁忌を犯した者とまでになったのに。
それでも、こうなれてよかったと思っている。
「音歌の唄が聞きたいな・・・」
そうさせたのは、たった一つの人間の魂。
その器である体の汚れさえ、感じさせないほど美しい魂は
とてもとても唄が上手で、死神である私でさえ聞き入ってしまった。
「・・・なんだ、いたのか。」
キィと小さく音を立てて開いた扉から、声がして急いでその方向へ顔を向ける。
そこに立っていたのは、黒いマントを羽織った漆黒さん。
「お帰りなさい。」
「あぁ。」
短い返事からは、何故だろうか少しの悲しみを感じてしまう。
彼はそれだけ言うと、バサッと黒い翼を広げて羽をむしった。
その様子を見て、私は思わず小さく声を上げてしまう。
「えっ」
「・・・何だ?」
それから彼は私にそう声をかけて、すぐ傍のソファーに腰を下ろすと、ごろんと横になった。
そしてむしった黒い羽をパッと上に投げると、フゥと息を吹いた。
その瞬間、黒い羽はその周りに黒い神気をまとい、丸い球の中に姿をくらませる。
「え・・・と、どうして、羽・・・?」
「お前、知らないのか。」
「え?」
漆黒さんがそう言うと、黒の神気がパァと空気に溶けながら消えて、その中から小さな黒鳥が現れた。
その黒い小鳥はパタパタと漆黒さんの周りを回ると、漆黒さんの伸ばした人差し指に止まり、ピチチと可愛く鳴いた。
漆黒さんはその鳥にそっと微笑むと、小鳥の小さな頭を撫でながら呪文のような言葉を囁いた。
「いいか?さっきの魂がどこへ行ったか探して来るんだ。分かったな?」
漆黒さんのその声に小鳥は頷くわけでもなく、羽を2度揺らして指を離れた。
しばらく部屋の天井部分を舞っていたその黒鳥は、急に姿を消してしまった。
「あれは分身。そうか、お前はまだライザからこっちに来たばかりだから知らないのか。」
「はい。」
「ならいい本がたくさん置いてある、書蔵庫へでも行って見ろ。」
「書蔵庫ですか?」
「あぁ。フレリーが管理する、ライザとハーレスに関する書物置き場だ。」
フレリーの名前は聞いた事があるが、実際に見た事はない。
主に図書関係の仕事についているというが、私は本と言う物があまり好きではなく、全く関わりがないのだ。
「はぁ・・。ありがとうございます。」
本、と聞くとあまり行く気にはなれないが、漆黒さんがしたような術が使えるようになるなら、
少しは我慢のしがいもあるかもしれない。
お礼を言うと漆黒さんはそのまま目を閉じて、ソファーの上で眠ってしまった。
また静かな部屋に戻ったこの部屋にいるよりは、その書蔵庫へ行って本でも読んだほうが、
時間つぶしにはなるような気がして、眠った漆黒さんに布団をかけて、私はその部屋を後にした。
長い長い廊下を歩いていくと、確かメインホールがあるのを思い出してゆっくりと歩く。
赤い絨毯は、所々にわけのわからないシミがついている。
「ん?・・・・・・・・・璃風!?」
璃風、と名前を呼ばれて、絨毯に向けていた目をパッと前に戻すと、
少し離れた場所に良く知る顔がにっこりと笑っていた。
「梓衣!!」
千華様に昇格を言い渡されたあと、梓衣とは一度も会っていないことを思い出すと、
久しぶりに見たその顔も、聞いた声もとても懐かしく感じた。
「お前!処分言い渡されたんじゃ・・・!?」
「私、ハーレスに昇格したんだ。」
「そうか・・・。なら、どうして連絡の1つもしねーんだよ!めちゃくちゃ心配したんだからな!!」
梓衣はいつだってそう私を見守っていてくれた。
「ごめん。ありがとう、心配してくれて。」
「よかったよ、本当。死神が消滅の門をくぐる事は多いから・・・。本当によかった。」
「梓衣、大好き。」
変だといわれた私に、唯一笑いかけていてくれたライザ。
私が困っていると助けてくれて、自分の立場を気にせず私を守ってくれた。
「はいはい、呑気なやつだ。」
「でも、そっか。もう二度と会えなくなると思ってたのに、色々あったから忘れちゃってた。」
「忘れるな。つか、お前何したんだ。」
梓衣が上から見下ろしてくるこの景色も、もう見られないのだと心の中では諦めていたのに。
今では普通にその姿を見る事もできる。
そう考えると、どうして私はハーレスに昇格という処分を受けたのか、それはまるで奇跡とでも言うかのような気分だ。
しかし死神は奇跡などを信じることはない。偶然、奇跡、そんなものを信じる事はない。
全ては必然、この世界は関わりあって存在しているのだから。
「何って・・・まぁ、ね。音歌との約束を守っただけ。」
「音歌って人間か?」
「そう。とっても、とっても綺麗な声で歌う綺麗な魂を持った人間。」
漆黒さんが私に書蔵庫を勧めてくれたのも、そのおかげでこうして梓衣に合えた事も、全て必然。
どんな小さなことにも、その意味は確かに存在する。
私達はそんな世界に存在し続ける、意味あるものだと思うんだ。
そう、私が彼女と出会ったのも必然。全てに意味があった。
彼女と出会い、私は変わり、彼女との約束を守り、ハーレスへと昇格した。
彼女との出会いはもしかすると、ここへ来るための出会いだったのかもしれない。
だけど、私はそれ以上にきっと何かもっと大きな意味を持っていると思うんだ。
「本当に、変わったな。」
「私もそう思う。」
人間なんか、唯の魂でしかなかった。私が狩るべき物でしかなかった。
そう思い続け仕事をしていた私は、音歌という人間に出会って、神が人を愛する意味を知ったんだ。
一番最初に知ったのは、それだった。
神が人を愛する理由。人が神に愛される理由。
きっと彼女に出会うまでは、知ることのなかった事だ。
「俺も変われるだろうか。」
全ては必然に、動き続けているの。
「うん、きっと。」
私が彼女に出会えたように。
「私ね、音歌に出会って思ったんだ。神様に愛されることだけを望んで狩り続けてたけど、
もしかしたら本当は神様はとっくに私を、ううん、皆を愛して下さっているんじゃないかって。」
音歌に出会い、たくさんの人間を見て、琴子ちゃんと出会い私は思ったの。
全てに意味があるのなら、私が死神である理由も確かにあるんじゃないか、と。
そしてそれは神が与えてくれた愛を知って、その愛を配る事じゃないのだろうかと。
「まさか・・・。神が愛するのは生きる人間と、天使だけだ。
俺達が愛されてるはずがないだろ!?神は俺達にお怒りだ。だから、その許しを得たくて俺達は・・・」
梓衣の顔が切なげに歪んだ。まるで音歌に出会う前の私のように、神に許されるためだけに働いているんだ。
きっと、違うの。私達が魂を狩る死神であるのは、神に許されるためじゃない。神に愛されるためじゃない。
今はまだ、『神は絶対に私達を愛している』とは言い切れない。
だけど、哀しいじゃない。ただ神に愛されるために仕事をして、それが存在する意味だなんて。
「私達が存在する意味は、たくさんあるんだよ。
神はきっと私達をもうすでに許してくださってると思う。
もしかしたらそうじゃないかもしれない。だけどね。だけど、そうじゃなくても。
私が梓衣を大好きなように、愛してくれる人はいるんだよ。」
私達は愚かな人間だった。そんな愚かな人間は、神は罰を与えられた。
それが死神と言う人間の魂を狩る者。
だから死神は皆、神様の許しを得たくて、神様の愛を得たくて、唯仕事をこなす。
それが償いだと思い続けて。
いつか誰かが気づくのを、神は待ち続けているに違いない。
愚かな人間だった者へ罰を与えたのではなく、
幸せを知らずに天へ昇った人間に、ただ幸せの意味を知るチャンスを与えたのだと。