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vol.4* 神の愛した証

午後2時に差しかかる。

少女の死亡時刻まで残り2時間36分52秒。


「ねぇ、璃風。」

「ん?」


目覚めた少女は私を璃風と呼んだ。

寝癖のついた髪の毛を梳かしていたのは、どうやら母親ではなく、ここの家政婦の1人ならしい。

この屋敷にいるのは、今は主の娘である琴子ちゃんと、家政婦が6人だという。

その主は長い間海外で仕事をしていて、あまり顔もみないとか。


「お父様に会う事は無理よね?」


そんな子供が、自分は死んでしまうと知って、父に会いたいと思わないわけがない。

ずっと長い間観察してきたが、人間の感情とはそういうものだ。

愛する人に、愛してくれた人に、最後に一度会っておきたい。そう思うものなのだ。


「ごめん。私にできることなんて琴子ちゃんの魂を大事に天に連れて行くことだけなの・・・。」

「そっか。ううん、別にいいの。どうせ死んで会わなくなるんだから、お父様に一言言っておいてやりたかったの。」


少女はわけのわからないことを言った。

会いたいと言ってみたり、会えなくてもいいといってみたり。

言いたい事があるなら、紙にでも書いておけばいいのに。私はそう思うほかなかった。


「手紙というものがあるじゃない?」

「ううん。そんな物残しても、あの人はきっと読まないから。」

「そうなんだ。何を言いたかったの?」

「・・・『アンタの顔を二度と見ずにすむなんて、最高よ!』って。」


大好きだとか、そんな言葉は一つも含まれていなかった。

ベッドでそう言って笑う少女は、少し悲しげで、その言葉を誇らしげに言った。

けど、私は思ったんだ。彼女の眼は確かに愛する人を思う目だったのに、と。


「音歌なら・・・何て言ったかな。」

「ん?」

「・・・私の知ってる子はね、お父さんもお母さんもいなくて、家政婦さんもいないところに一人で住んでたの。

もちろん、琴子ちゃんよりも少し大きかったんだけど。」


目を閉じれば思いだされる。そこにあるもの全てが神に愛されているような空間が。

そして、そこに生きていた音歌が。


「その子は眠る前に私に言ったの。“何も怖くない、私は平気。お父さんとお母さんは待っててくれてるから。”って。」

「・・・それ、本当なの?」

「うん。彼女のお父さんとお母さんは、天国っていう場所で待ってるの。彼女はそれを知ってた。」


貴女の目に映っているのは、誰?


「お母さんにも会えるの?」

「うん。」

「会いたい・・・。ねぇ、早く私を連れて行って!!」

「え・・・?」

「私を早く殺して!!お父様に会わなくよくなって、お母さんに会えるんでしょっ!?」


なんて悲しい目をしているんだろう。そう思った。

音歌と琴子ちゃんの違いはここなんだろうか。

確かにその目が映すのは愛する人への想いなのに、その想いを否定して、知らないふりして死にたいという。

このまま眠れば彼女はきっと、きっと彼女のお母さんと同じ場所にはいけない。



「彼女は、音歌は眠る時間までずっと、頑張って生きてた。だから会えたの。」

「・・・」

「琴子ちゃんは、頑張って生きて、頑張って伝えたいこと伝えなくちゃ。」

「だって、お父様に会えないんでしょ!?そんなの・・・手紙になんか書ききれないよっ!!」


ドクンッ”と少女の鼓動が揺れた。

もうすぐ眠る時間が近づいているからだろうか、燃え滾る炎のように、消える前に立った一瞬強い火を灯すように。


「私が呼ぶ事が無理でも、琴子ちゃんにはできるよ?」


私に力があれば、彼女は笑顔になれるのだろうか。


「私・・に?」

「来てって言えばいいの。言いたい事があるから、戻ってきてって。」

「そんなの・・お父様は忙しい。」


彼女の眼が映していたのはやっぱり、母親ではなく父親の姿だった。

呼び戻したいのは、天国の母ではなく、地上に生きる父なのだ。

人間とは不思議なもので、どれほど嫌いだと思っていても、

最後に会いたいと思うのはやっぱり愛した人で、愛してくれた人なんだ。


「呼び戻したいのは、お母さんじゃないんだね。」


そう言って笑うと少女は驚いた顔をして、それまでの悲しげな顔がふわっと優しく微笑んだ。

それからフゥとため息をついて、琴子ちゃんは言った。


「お母様のことが大好きなのに。お父様なんか大嫌いなのに。今はすごくね、お父様に会いたい。」

「そっか。」


真っ白だった。

死神の眼には、死者の色が見えると誰かが言っていた。

それは白ければ白いほど、神に近いとされる。

音歌は純白で、穢れなんて何一つなかった。真っ白。それ以外何もない。

そんな音歌の光ほどまでにはならないが、目の前の少女は白く輝いていた。

私に力があれば、少女は幸せを感じて、天へといけるのだろうか。

そう思った瞬間、閉めきられている窓から小鳥が一羽飛んできた。


「えっ!?」


琴子ちゃんは驚きの声をあげて、私の指に止まる黄色い鳥を見た。

私でさえその鳥に驚いていた。手を伸ばすとその指の先にソッと小鳥は足を止める。

黄色くて小さい。どこかで見た事があるその鳥は、まるで風の囁きのような声を放った。


『ハーレスはライザにはない特別な力が使える。上界での力を、汝はこの下界で使うことが可能なのだ。』


小鳥のその声を聞いて思い出した。

あの日、千華様の部屋へ舞い降りた黄色の小鳥だったのだ。


「私に!?」

『さよう。その力を使うも使わないも汝の自由。ただし。

その命の時を止める事はしてはならん。よいか?』

「はい、承知しました。」


風の囁きは指先から飛び立つと、そのまま窓の向こうへと飛んで行ってしまった。

晴れきった空を飛んでいく黄色い小鳥を見て、少女は言った。


「もう時間だって?」


あの声は届かなかったようで、少し不安げな顔をしている。

私はその表情とは全く比例せず、嬉しいという感情が一気にわきあがってくる。


「お父さん、私に呼べるかもしれない。」

「え?」

「私には力が仕えるんだって、今の小鳥が教えてくれた。

・・・・・貴女を幸せにするためだけに、私はここにいたい。」


“璃風を幸せにするためだけに、私はここにいたいの。”

昔、音歌が私にそう言ってくれたことがあった。

とても優しい声で、鳥のさえずりや風の囁きと一緒に、その声は私に涙を与えた。

わけも分からず零れてくる涙は、何をしても留まることなく落ちていく。

あの時の音歌の気持ちが、私にも少し分かった気がした。


「―――世は轟く。我の声よ幾千里もの空を超え、真に愛する者へと届け。」


手の内で、荒れ狂うほどの風が渦巻いている。しかしその風は優しく吹きながら、声を待っている。

この風がどうか、愛する者へと届きますように。

そんな想いが風を大きく強くしているような気がした。声を望む風が出来たとき、少女は呟いた。


「お父様・・・。私、お父様に・・会いたい。」

『お父様・・・。私、お父様に・・会いたい。』


風に響く声はシュウと収まった。

さぁ、走ろうか。愛する人のいる場所まで、何よりも早く、この声を届けようか。


「―――神風―――」


神が届けてくれるよ、きっと。この風に乗せて、貴女が愛する人まで。貴女を愛している人まで。

その風は優しく、強く、大きく、暖かく、人の心に吹き通る風なんだよ。

そう彼女に言って、ゆっくりと天井を通り越した空へと手をかざす。

風は今、空を駆け始めた。


「お父様には・・・眠る前に会いたい。会って言いたい事があるの。」

「何を言いたいの?」

「・・・『お母様と一緒に待ってるから。大好きなお父様のこと、ずっと見てるよ』って。」


ポタリと、白い布団に涙が零れた。

少女は目の前でそういいながら涙を流している。

その涙は、まるで聖水のように清らかで、透き通っていて、神気を感じさせる。

私の涙にはないものが、人間からは溢れるほどに零れてくる。

その涙がどんな感情にも当てはまらないほどの想いを与えて、私はまるで生きているように鼓動の音を感じる。

綺麗だなんてものじゃないの。触れてしまえば一瞬で、私なんて消えてしまうほど清いもの。


「来る。」


その感情の中を、風が戻ってきた。その風と一緒に戻ってきたのは、たった一つの大きく重たい足音。


「琴子!!!」


バンッ”

私が通り抜けてきた扉は、大きな音を上げて開かれた。

その扉の前に立っていた男は、少女を見て、荒れた息を整わせる事もなく、名を呼んだ。


「お・・と・・さま?」


琴子ちゃんはその男をそう呼んだ。

綺麗な涙はスッと止まり、ただその目に映るのは彼女の愛する人の姿だけ。


「どうして・・!?どうしてここにいるの?」

「琴子・・・」

「何で?・・ど・・して!?」


彼女の愛する人の眼に映るのは、彼女だけ。

愛する彼女のために息を荒くしてまで駆けてきた、その男は彼女に近づくと名前だけを呟いてそっと抱きしめた。

ぎゅっ、と大きな腕の中にすっぽりとおさまる少女の小さな手が、躊躇いながら、その広い背中に触れ、

弱弱しくその黒い服を精一杯握り締めた。

何の音もないこの部屋で、2人の鼓動が共鳴している。


「琴子・・・ただいま。」

「お帰りなさい、お父様。」


低い声が少女へ優しく声をかける。

少女の高い声が男へと優しく響いている。

それは何てことのない風景なはずなのに、とてもとても幸せな風が流れている。

それ以外、何もなかった。

言葉はなく、音もない。静かな部屋の中で2人は見つめ合っている。

琴子ちゃんはたくさん言いたい事があるのに、何一つ言葉に出来ず。

その男は、琴子ちゃんの言葉を聞くために黙り続けている。


「――貴女にほんの少しの勇気を。」


右手を琴子ちゃんに伸ばして握った手のひらを開くと、ほのかに色づく光が部屋の中を暖かく囲った。

これが私に出来る唯一の事なのだろう。

幸せは直接人が作れるものではなく、気づけばそこに出来上がっているのだと音歌は言っていた。

だから人には幸せを作る力があるけど、それをそのまま使うことはできないのだと。

だから私に出来るのは勇気を与えて、幸せへの後押しをする事だけ。


「お父様の・・バカ。最悪、最低・・・大嫌いっ!!」


少女は怒鳴るようにそう言った。

人間とは不思議な生き物で、そう思ってもいないことを平然と言ってのけてしまう。

そしてそれが本当かどうかだけを気にしていて、その者が一番伝えたいことなんか目も向けない。

なんておかしな世界だろうと、いつも思っていた。

嘘かどうか何てどうでもいいはずなのに、それが本当でも嘘でも、伝えたいことを分かろうとするべきなのに。


「あぁ。」


男はただ、泣きじゃくる琴子ちゃんの頭をそっと撫でている。

低い声は全てを受け入れるように、短く言った。


「会いたくなかったっ!!このまま、会わないまま天国に・・っ、行けたらよかったのに。」

「あぁ」


この声はその言葉が嘘でも嘘でなくてもいいのだと思っている声だった。

それが何でもよくて、ただもっと奥にある本当の気持ちを知りたいと望んでいる。

いや、違うかな。きっとその全てを知りたいと思っているんだ。

私はもうこれ以上何も出来ず、もうすぐそこまで迫っている彼女の終わりの時間を待っていた。


「お父様はっ・・・私もお母様も・・っ愛しては下さらなかった・・っ・」

「・・・それは違うよ、琴子。」


どうか幸せだと感じて眠ってほしかった。

彼女は美しい人間だから、天使になれるだろうと思うんだ。

私には許されない権利が、彼女には与えられているんだから。


「私は愛していた。母さんも・・・お前のことも。」

「・・え?」

「愛しているだけでは、傍にいられないんだよ。悪かった。

ずっと、そんな気持ちで私と向き合っていたのか。すまない。」

「・とう・・様。」

「ん?」

「・・知ってたわ。・・ちゃ・・んと、知ってた。お父様が、私達を愛してくれて・・いる事も。

ただ怖くて、お母様の手紙を読まない事も。決して愛していないわけじゃない、そうでしょ?

お母様が死ぬ前に書いた手紙、怖くて開けられない弱虫なだけでしょ?」


“そんな物残しても、あの人はきっと読まないから。”

琴子ちゃんがそう言ったのは、母の手紙を、父が読まないからだったんだ。

そしてそのことがとても不安だった。

愛する人からの手紙なら読むはずなのに、父は読まなかったから。

それが愛していないからなのか、不安からなのか。琴子ちゃんはそれを知ることが怖かったんだ。


「読んであげてね。お母様はお父様のこと大好きだったのよ。」


にっこりと笑う少女の放つ光はそっと優しく、その男を包み込んでいた。

白い羽が生えているかのように、魅せられた。


「こと・・こ。」


大きなその背中が小さく震えている。

もうすぐ時間だった。少女がこの場所から離れる時間。

この地から、離れる時間。全てにお別れをする時間。


「琴子ちゃん・・、もうすぐ時間だよ。」


この声に気づいた琴子ちゃんは優しく私に笑いかけると、その小さな手を父の大きな手に乗せて握った。

この世に生を受けた赤子が、大きな大きな愛してくれる者の手をしっかりと握りしめるように。

それから彼女はまた優しく微笑んで言った。


「お父様、待ってるから。お母様と2人で、待ってる。

大好きなお父様、眠る時間まで精一杯生きてね。ちゃんと・・ちゃんと見てるから。」


―――――時間だ。

その合図とともに、背中が急に熱くなりその一瞬の痛みを感じながら眼を開いた。

その瞬間にバッと背中で羽が開く音がする。


「お迎えに上がりました。」


黒い羽が背に生える私を、貴女はいったい何だと思うのかな。

悪魔?大魔王?堕天使?そんなものならよかったのにね。

どうして私は貴女の命を狩りに来た・・・死神なのだろう。


「琴子っ!?」

「おや・・すみ・・・なさい。・・・お父様」


腰にすえたカナリアを取り出してそっと唇に添える。

こんな気持ちになるなんて思わなかった。

音歌を狩った時と、とても似ている。苦しいの、すごく。どうして私は死神なのだろう。

そんな気持ちが目から何粒かの水滴を落とさせる。

息を吹き込むと、風のように奏でられた音が少女の体の中で光っている宝石のような玉を浮かび上がらせる。

体という器から取り出された光は、私の奏でる音の旋律にプチッと糸を切られた。


「綺麗な子。」


初めてあった時、そう呟いたのがとても昔の事のように感じられる。

琴子ちゃんの魂の光は、まるで真珠のように美しく、不思議な気持ちにさせる。

空っぽになった器に、男はそっとおでこにキスをして、布団をかけた。

それからそっとこっちを見て微笑んだ。


「君がこの子を笑顔にしてくれたんだね。」


その言葉に驚いて、カナリアを落としそうになった。

近いうち死ぬ予定もないこの男が、どうして私に微笑む事ができるのか。

いくら綺麗な心を持っていても、私達が見えるのは死ぬ手前の人間だけな筈なのに。

彼はこれからあと30年以上は生き続けることになっているのに、微笑んでいる。


「その子を、どうか彼女の元へと運んであげてください。」


その目はまるで天使でも見るように、優しく向けられている。

背に黒い翼を持つ私を、そんな風に見る人間がいるなんて思わなかった。


「はい。」


白い魂が私の周りをゆっくりと回る。

1つの魂でしかないはずなのに、いつもならすぐに連れて行くはずなのに。

涙が止まらないんだ。まるで、音歌を眠らせてしまったときのように・・・。


「ありがとう」


優しく笑う男。その笑顔はまるで琴子ちゃんにそっくりで、綺麗だった。

死神に微笑むのは、いつだって綺麗な人間だ。


私は死神なのに、涙を流して悲しんでいる。

音歌なら、それは普通だと言ってくれるのだろうか。でも、君と出会ってからおかしなことばっかりだ。

泣いた事なんてなかったのに、君を狩った時、涙が出た。地上で力を使ったのだって、はじめてだ。

生きた人間に微笑まれたのだって。


この暖かくて柔らかくて心地いい感情を、君なら何て呼んだのかな?

ねぇもしかして、これが幸せというものなの?

どれほど追い求めても手に入る事のなかった、神に愛された証拠なの?

幸せは直接人が作れるものではなく、気づけばそこに出来上がっているっていうのは本当なんだね。


私は神に愛された死神。


神の愛を求め続ける私のような死神を、神は決して愛してなどくれないと思っていたのに。

今はそう、思い込みでもいいの。

この感情は幸せと呼ばれる、神に愛された者のみが与えられる物だと思っていてもいいですか。

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