ワインレッド
色、にまつわるショート・ショート。どこにでもいそうなかわいらしい新婚夫婦の日常を、切り取ってます。
麻美は、ワインレッドのクルマが好きではなかった。
今日は麻美のマイカーの買い替えで、ディーラーに夫である博人と訪れている。マイナーチェンジを受けたばかりの車種に興味を持った麻美は、博人と一緒にカタログを開いた。カタログには、博人好みの新色が追加されていた。
グッド・タイミング。気弱そうなセールス氏を呼び、渋々顔の麻美と共に、博人らは商談を進めることにした。
「麻美。ベビーカーってさ、白とか黒とか、地味な色ばっかりなんだろ?」
ディーラーからの帰り道、博人は妊娠5ヶ月の麻美に聞いた。
「あのさ、もしかしたらベビーカーまでクルマと同じ色にするわけ?」
聞けば、麻美の元彼もワインレッドが好きだったらしい。開けっぴろげな性格で『私が好きなら、私の過去も好きになって。過去は私の勲章だから』と、博人と結婚する前に口癖のように繰り返すような、気の強い女性だ。
「10歳以上も上の彼、俺とセンス近かったんだろうな。当時さ、ワインレッドなんて色のクルマ、なかなかないぜ。あっても車種、限られるだろうし」
「そうね。なんとか、っていう外車だったの。でも、私よりクルマを大事にする人だった」
博人は、麻美の過去を知り尽くしていたつもりだったが、いい機会だし、この際もっと聞いてみよう、と思った。
「で、結ばれなくて良かったんだ?」
「あるときなんかさ、フロントガラスに鳥のフン、落ちたのね。デート中だよ?私と。そしたら慌てて路肩に停めて、テイッシュ、何枚も重ねて、拭き取って…」
博人にも経験がある。マイカーを手に入れたばっかりの頃は、誰もがそうだ。
「そういえばさ、博人はどうしてワインレッドが好きなの?」
「うーん、そうだな…。なんて言うか、こう、大人の色香漂う、って言うの?俺、最初のクルマ、兄貴のお下がりのシルバーだったんだよ。シルバーってさ、なんか、ジジ臭いじゃんか。我慢して乗ってたら、あるとき、ワインレッドのクルマが俺の前をサーッと横切って…」
過去をぶっちゃけ過ぎの麻美だが、夫である博人の過去にはあまり関心がなさそうだ。
博人は思った。
いいか。もう、俺の嫁だし。これから、俺色に染めてやればいいんだ。
「よし、っと」
麻美は、身重ながらも通販雑誌で見つけたワインレッドのカーテンを器用に取り付けた。
麻美のなかに、もうひとつの命がある。この命を守りたい。ということは、責任者でもあり父親でもある博人も、同じく守りたい。
麻美は決断した。よし!部屋をワインレッドに統一しよう。
「もうっ!博人ったら、カーテン替えたの気づいてくれないの?」
ネットを駆使し、ありとあらゆるワインレッドのものを揃えるために、麻美は必死になった。
テーブルクロス、お揃いのセーター、スマホケース、デジタルカメラ…。
極めつけは、友達に見つけて貰ったワインレッドのピアス。ここに気づいてくれたら、もう、死んでもいいくらいの気分だった。
次の日も、そして次の日も、博人は麻美の涙ぐましい努力に気づいていない。
きっと、仕事が忙しいから、帰ったら入浴して寝るだけで、精一杯なんだ。
ジレンマが頂点に達した9ヶ月目。麻美は、産婦人科の一室にいた。
「麻美。体調はどうだ?」
鈍感な博人ではあるが、スーツ姿のまま毎日、病室に駆けつけてくれる。
今日こそ、聞いてみよう。博人の好きなワインレッドに統一した部屋の模様替えに、いくらなんでももう、気づいてくれているだろう。
「博人…。今日、いったん家に帰って、病院に来たの?」
「いや。でも、家には早く帰りたいよ」
「ハァ?自分の妻がいちばん大切なときに、少しでも長くここにいてくれないんだ!」
麻美は思わず、手元のストールを博人に投げつけた。
「麻美…。俺、あのカーテン見ながら、子供の名前を考えてるときがいま、いちばん、幸せなんだよ」
「え?カーテン?」
思わず飛び起きそうになる麻美。
「博人、気づいてくれてたの?」
「当たり前さ。俺、麻美を俺色に染めようか、と思っていたところだったんだよ。敢えて、黙ってた」
博人は続けた。
「麻美、ありがとう。無理しなくていいから、いまはしっかり、休んでくれ」
麻美の頬に涙が伝う。
私の努力は無駄じゃなかった。
全部、気づいていたんだ。
博人は、気づかないフリをしていただけだった。
スーツ姿の博人が、少しだけネクタイを緩めながら、呟いた。
「麻美。あのピアス、早く付けてくれよな。そしたら、ワインレッドのデジカメで、三人で記念写真、撮ろう」
結局、二人はワインレッドの新車を買った。が、オプションのチャイルドシートには、さすがにワインレッド仕様はなかった…。でも、三人家族になった博人と麻美は、目の回るような子育ての忙しさに、色なんてどうでもよくなっている…のかも。