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ビター・ダーク

とられた。

作者: 花しみこ




 とられた、と思った。

 思考にぼんやりと霞がかって、身体の自由は少しもない。



 この世界は、乙女ゲームだったらしい。攻略キャラクターが全員年上という以外にあまり特色のない、地味な設定のゲームだ。イベントも可愛らしい純愛路線。

 物語は、主人公の高校入学とともに幕を開ける。

 主人公の名前は猫屋敷あゆむ。ショートの黒髪に子供っぽい顔、痩せぎすでやわらかみのない体つき。よく言えばモデル体型だけれど、身長は150前半。

 趣味は料理やお菓子づくり。運動は苦手。

 その”設定”は、まるでわたしだった。




 どうして乙女ゲームだなんて思ったのか。

 前世でやってたゲームだとか、夢でみたとか、その辺りが定番だろう。しかしそうではない。

 入学式の前日、ゲーム初日の今日。

 ”わたし”が、奪われたからだ。


 ともだちが好きだった設定に、こんなものがあった。


 ある日、事故とか神様とか謎の会社という要因により異世界に飛ばされた主人公。

 そこはある作品の世界で、なんとその主人公に成り代わっていたのだ!


 さて、この設定の主人公はある日突然高校生になる。しかしその主人公にも過去があるのだ。生まれて、育って、生きてきたのだ。

 突然高校生になった。

 じゃあ、それまで生きてきたのは、何者か?

 今を培ってきた人間は、いったいどこにいったのか?


 その答えがここにある。


 わたしが奪われた。猫屋敷あゆむが。

 異世界の、ここを乙女ゲームと見ている少女に。






 お昼過ぎ、明日の入学要項を確認しながらうとうとしてしまい、ふと目を覚ましたときにはもう身体の自由が利かなくなっていた。

 自分の意志を無視して、身体が勝手に動く。まるでわたしが小さくなって目に潜んでいるかのように、見える景色すらどこか遠い。感覚がなく、声がする。

(うわあ、まじで!? 猫屋敷あゆむじゃん! 乙女ゲームの中へとか、本気だったんだ!)

 わたしの声とは違うそれが、我が物顔で浮かんで響く。混乱しかけた頭に情報はすぐにもたらされた。記憶が平行して展開される。



 彼女の名前は小川菜月。

 乙女ゲームがだいすきで、現実がきらいで、自分に自信のある少女だった。



 菜月は当然のように『あゆむ』として高校に通いだした。

 中学の友達が一人もいない学校で、彼女はすぐに友達をつくった。

 そして、中学に上がってから距離ができた幼なじみのお兄ちゃんや、学校の先生、生徒会の先輩、はたまた偶然よく出会う男性や、幼稚園のころに遊んでくれたお兄さん、とにかくいろんな人と仲良くなった。彼らがゲームの攻略対象らしい。


 わたしの意志とは関係なく、わたしが好かれてゆく。

 純愛テーマなので逆ハーエンドという全員から好かれる状況を作りづらいらしい、菜月が言っていた。ヤンデレエンドとか、バッドエンドも大したことないのが救いだった。

 わたしは菜月の記憶も考えも読めるが、向こうはわたしの存在など認識せず、記憶だけ得ているらしい。



 こんな妙な状況に、慣れるのはひと月だった。

 わたしの身体は動かないもの。わたしはもう誰にも認識されないもの。わたしのやりたいことは、もうできないこと。

 ほんとうは、とっくに死んでしまっていて、死体を有効利用したのを「身体を奪った」だなんて未練がましく取り憑いている状況なのかも知れない。

 菜月は、ゲームの時間、つまり今年の一年間を終えたら元の世界に帰るらしい。

 そのあとになれば元に戻れるのだと、わたしは信じることしかできない。




 他人の行動を見ているだけというのは、たいそうつまらなくて、わたしにできることは思考することだけだった。

 突然性格が変わって、休日の予定はお母さんの手伝いからアルバイトや遊びに変えた『あゆむ』。明るくなってよかった、でも家族の時間が減ってさみしい、お母さんはそんな顔。一年後にはきっとお母さんも、菜月の性格をわたしだと認識するようになる。

 わたしが戻ったら、暗い性格に逆戻りしたと戸惑うのかな。

 高校でできた友達も、菜月のそれであってわたしのものではない。好きなものも趣味も違う、きっと交友は続かない。

 何よりおそろしいのは、”攻略対象”のひとたち。菜月は逆ハーレム狙いらしいが、成功して、全員から好かれた状態で『あゆむ』に戻るというのはぞっとしない想像だった。彼らが好きになるのは菜月だ。あゆむじゃない。うまくいくわけがないし、なによりわたしはあんな派手な面々に囲まれて平気でいられない。

 戻ったら一年分の記憶を失ったふりでもしたらいいのか、いやしかし知ってはいるからボロを出しそう。突然記憶を失うなんて脳の病気を疑われかねないし。

 どうしたらいいのだろう。

 一年後に戻れると信じたい居場所は、菜月が作り替えてしまっている場所。『あゆむ』は、その頃にはわたしのことではなくなっているのだ。





***




「なあおい、お前、高校入ってからなんかおかしいよ」


 突然腕を掴んできた茶髪の男。菜月はきょとんと首を傾げ、男を見る。高校入学、つまりゲームが始まってから一度も見ていない顔だ。といっても、菜月は攻略対象とサポートキャラ以外はあんまり覚えてない。

 どうやら知り合いらしいことだけわかって、菜月は自分の”乙女ゲーム”の記憶と同時に”あゆむの記憶”も探った。


(イケメンだけど誰だろ? 攻略対象じゃないよねえ、髪もただの茶髪だし。うーん、……あ、いたいた。あゆむの中学の同級生の”たつみくん”。やっぱただのモブかあ、どうでもいいや。)


 互いに名前を覚えている程度の知り合い、かつてのクラスメイト。今はどうやら同じ高校に在籍しているようだが、菜月はあいさつすらした覚えがない。

 中学の同級生ということは同い年、つまり年上だけが攻略対象のこのゲームにおいて、菜月の知らない隠しキャラなんて設定もないはずだ。気を使う必要はない。

 ふんと溜息を吐いて、捕まれた腕を振り払う。


「そんなことない、気のせいだよお。高校生になったんだから、ちょっとくらい変わるよ。高校デビューってやつ? なんもおかしくないって」


 ゲームの中の”あゆむ”そのままの笑みを浮かべると、”たつみくん”……辰巳晴幸は、いっそう不快げに眉を寄せた。

 確かに菜月自身、記憶から読みとれるあゆむの言動が”あゆむ”らしくなく、戸惑った。あのまま高校に上がっても、彼女はちっとも”あゆむ”のようには振る舞わなかったろう。休日に最も共にいる相手が母親では、攻略対象ともろくに会わない。



 あゆむは、どこか間違って生まれたのだ。猫屋敷あゆむは、高校生の間に攻略対象と出会い恋をしなくてはならない。

 それはつまり、ゲームのように、正しい筋書きで世界が進むために菜月が呼ばれたということに相違ない! これが世界の強制力なのだ!

 高校に入ってからおかしい? 違う。高校に入るまでがおかしかったのだ。菜月はゲーム通りの”あゆむ”を演じきっている。

 菜月は正しいことをしている。

 逆ハーエンドだってトゥルーエンドに間違いない。

 それはそのまま自信となって、菜月の行動を支えていた。



「お前、高校デビューとか馬鹿にしてたじゃん」

「そんな話したことあったっけ? あったとしても、それから気が変わっただけだし、今の方がかわいくていいでしょ?」

「でも」

「でもも何も、ていうかたつみくんに関係なくない?」


 攻略対象でもない男に、どうしてそんな口出しをされねばいけないのだ。菜月の語調は荒くなる。しかしその背後に攻略対象の一人の姿を見つけ、表情をぱっと変え、辰巳に声もかけず走り寄っていった。

 辰巳は視線だけで苦々しく背を追い、すぐにその場を立ち去った。





 間違いだとまで言われてしまったあゆむは、菜月の影で、辰巳をものすごく見直していた。残念なことに記憶はあまりない。しかし、母でさえ言わなかった、あゆむがおかしくなっただなんて。

 高校デビューを馬鹿にした覚えはないが、今と比較するほどの記憶は持っていてくれたらしい。

 同じようなイケメンなら、クセのある攻略対象よりも断然辰巳の方が良い。なんとなくしか覚えてなかったくせにそんなふうに言うのはおこがましいが、辰巳の方が包容力も優しさも備えていそうだ。過去や腹に何かしら抱え込んでいる相手より、ずっと。

 なんでわざわざ厄介な事情があるとわかっている相手を選ぶのだろう。性格が悪いかもしれないが、過去の深い後悔とか、人間不信とか、改善策を知っていてもあゆむは関わりたいと思えない。助けてあげようとか、そんなの。

 好きになった相手の、なら、なんとかしたいかもしれないけれど、菜月は相手に献身したいなんて愛情は誰にも持っていない。一年で別れる火遊びのつもりだ。

 それをどうにかすれば絶対にこちらを好きになるという確信があるからだろうか。どうすればいいか、わかっている相手だから?

 どうして他の相手を気にもしないのか、あゆむにはわからない。あんなに毎日接する機会があるのに。これも彼女の言う『強制力』のひとつ? 思って、あゆむは笑ってしまった。

 そんなものがあるなら、自分をゲームヒロイン通りにする力が働いていたはずだ。

 なにより、菜月は彼女が思うほど”あゆむ”らしくはない。菜月はせっかちだ。ゲームの台詞そっくり同じでも、間や言い方で雰囲気が変わってしまっている。

 台本を読むだけにも個性は出る。

 タイミングと内容のおかげか、今のところ彼女の思う通りの結果になっているものの、ゲームスチルとちょっぴり違う反応が返ってきたりもしていた。全部ゲーム通りと呼ぶには、いささか思いこみ補正が強かった。


 ──絶対に強制力なんてない! と言い切るには、異世界人に身体を乗っ取られてる現状はファンタジーすぎるけれど。



 せっかちな菜月は、わりとハイペースでイベントをこなしている。いつでも起こせるやつはどんどん前倒しだ。

 しかし、あゆむはよく知らないが、乙女ゲームの一周プレイに半日はかからないだろう。作中時間は一年。複数人攻略といえ、単純計算したって「ゲームで描かれなかった時間」の方が長くなるだろう。菜月は演技を続けられるのだろうか。失敗しても、ちょっと周りの目が気になるくらいで無事にすむのがありがたい。



 一年も心が保つか、いまいち自信はない。けれど、戻った後の想像をたくさんしなければ保たないだろうことはわかっていた。

 どうか、たつみくんには本物のあゆむのことを覚えていてほしい。菜月じゃないあゆむを、そしてそちらが正しいのだと思っていてほしい。慣れないで、認めないで、そうして二年に上がったころに「やっぱりそっちのがらしいな」と言ってほしい。

 ほとんど他人の彼に、そんなこと思うだけ無駄だ。なんで今日話しかけてきたのかもわからないのに。冷静な部分はそう告げるけれど、あゆむと菜月が別物だと思い続けるため、すがるものはひとつでも多くあるべきだった。一年後、「変わった」のじゃなく「戻った」のだと認めてくれる相手がほしかった。そのほかは、なんにも期待しない。




 中途半端に間延びさせた声で好感度ばかり気にする自分を”あゆむ”だと認めたくなくて、目を閉じた。このまま十ヶ月眠り続けられれば全て記憶にも残らない、ふりじゃなくて本当に記憶喪失になってしまえばいい。

 小さく丸まっても誰にも声をかけてもらえない状況で、あゆむはぼんやりと「これは、一年後いまより根暗になっているかもしれない」と思った。













辰巳くんは7歳くらいのときに記憶喪失で身元不明になり正しい年齢がわからなくなったものの本当は年上な攻略対象のはずです。隠し。

あゆむはこれから「このままじゃ根暗コミュ障まっしぐらだ」と思い、積極的にツッコミをいれるように気をつけ、一年後には立派なツッコミ属性になっていることでしょう。



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