第5話 そして僕は飛んだ
階段の踊り場で紫吹さんと他愛無い話をしていた。最近彼女の顔が曇ることが多い気がした。
「なんか悩んでるの?」
遠回りで相手に配慮した物言いは僕には出来ない。だからストレートに聞いてしまう。
「そんなことないよ。うん。大丈夫だよ」
そう言って微笑むがどこか硬く見える。気のせいではないだろう。僕が原因だからいいづらいのだろうか。男女の付き合いは初めてだからわからないことだらけだ。手探りでも彼女の曇りを晴らせればいいと思った。
天羽があたしを心配している。思ってくれるのが嬉しい反面、後ろめたさに苛まれる。このウソコクはいつまで続くのだろう。終わったらきっと楽になれる。だけどその瞬間、天羽とはお別れになる。ああ、そうか。あたしは別れたくないんだ。そう自覚したとき、少しだけ心が張れた。だけど、もう遅かったんだ。
紫吹さんと教室に戻るとクラスの一軍グループに囲まれた。
「あまはくーーーーーーーん!楽しいお知らせです!なんと!なんとなんとなんとぉ!」
「ちょ、待ってぇ!」
「実はるいかの告白は嘘でしたーーーーー!ひゃっはー!」
今何を言った?僕は紫吹さんの顔を見る。彼女の顔は強張っている。一軍メンバーはクラッカーを鳴らしてどんちゃん騒いでいる。
「いやーこの童貞臭いデートとか見ものです!水族館とかまじだせぇえええ!!」
リーダーの綿島が見せてきたスマホの画面には僕と紫吹さんが水族館を一緒に歩いている姿が映っていた。見られていた。なんで?え?
「君もまあ頑張ったと思うよ。でもさ普通に考えればわかるっしょ。るいかレベルの女子に告白されるなんてあり得ると思う?どんだけ自意識過剰なの?ばか?あほ?」
頭が真っ白になる。全部嘘だった。そんなのありなの?
「まあでもひと時の夢は見れたっしょ?でもまあ今後君みたいなキモオタ君にはるいかよりもかわいい子が付き合ってくれることないからさ。むしろご褒美だよね?感謝されてもよくない?」
僕はケラケラ笑う人たちに囲まれて体を震わせてしまう。怖い。何を言っているのかよくわからない。紫吹さんに問いかける。
「紫吹さん?ほんとなの?」
そう問いかけるが、彼女はぽろぽろと涙だけどを流していた。
「てめぇ!るいかなかせてんじゃねょ!」
綿島に胸倉を掴まれて壁に押し付けられた。突然のことに体が反応しない。痛みだけが鈍く体に広がる。
「お前みたいなキモぼっちがルイカに話しかけんじゃねぇぞこら!」
そう仕向けたのは彼らなのに?綿島は僕のポケットからスマホを奪った。待ち受けにはこの間カラオケで撮った紫吹さんとのツーショットが映っている。それを見て綿島はスマホを地面に叩きつけた。画面は割れて、僕と紫吹さんの間に大きな罅が入った。
「まじでこれからはわきまえろよ。てかもうクラスにいるのも不快だな。とっとと出てけよ」
綿島は僕の太ももを蹴ってくる。そのまま押されて教室の外へと追い出される。そして一軍女子の一人が僕を見ながら言った。
「キモ。死ねば?」
そしてぴしゃりとドアが閉められた。僕は一人ぼっちでただ茫然と突っ立っていることしか出来なかった。そして思った。
「そうだ。父さんと母さんがいる。ひとりじゃない。ひとりじゃないんだ」
僕は痛む体を引きずって廊下を歩いていく。
教室のドアが閉められたあと、あたしはその場にへたり込んでしまった。声も出せない。天羽のスマホが目の前に落ちている。壊れている。あたしと彼のツーショットが真っ二つになっている。
「罰ゲームお疲れさまー。大変だったね。大丈夫?あんなキモイ奴相手にして大変だったっしょ。もう大丈夫だよー」
リルカがあたしの傍にしゃがんで頭を撫でてくる。気持ち悪い。
「そうだな。苦労を掛けた。けどこれでキモいボッチはこの世からいなくなった!めでたしめでたしだ!」
綿島もしゃがんで、あたしに手を伸ばす。気持ち悪い。
「……うざい」
「ん?なんか言った?」
「うざいんだよ!」
あたしは綿島とリルカの手を思い切り払った。そして震えるからだになんとかいうことを聞かせて立ち上がる。
「おいおいどうしたんだ?もうあいつはいないぞ」
「だからでしょ!もういないの!そんなのいや!!」
あたしは教室のドアを思い切り開いて、廊下を駆けだす。必死に彼の姿を探した。会ってどうすればいい?わからない。謝るだろう。だけど許されるのか?わからない。でもだけど。そして気がついたら校庭に出ていた。休み時間の終わりを告げるチャイムの音が聞こえる。それでふっと校舎の屋上あたりについている時計を見た。早く探さなきゃ授業に遅れる。そんな馬鹿なことを考えていた。そうしたらいた。天羽がフェンスの向こう側にあたしを何の感情も籠らない冷たい目で見ている。
「ねぇ戻ってきて!あたしのところに来てぇ!」
言葉がうまく出ない。わからない。ごちゃごちゃしてる。頭の中がざわざわしてる。彼はカラコンを外した。緑色の綺麗な瞳と目が合う。そして彼はフェンスを登って……。
校庭の方から視線を感じて、下を見る。紫吹さんがいた。何か叫んでいるけど、よく聞こえない。ただ僕は彼女の昔の言葉を思い出して、カラコンを外した。目が合った。だけどもういい。僕は父さんと母さんに会いに行く。そしてフェンスを登って、思い切り飛んでみせた。
医師所見
救急搬送時点ですでに全身への強いショックでの心肺停止の危惧が認められたものの、第一発見者による懸命な心臓マッサージと人工呼吸により一命は取り留められていた。
すぐに緊急での手術となった。とくに頭蓋骨骨折と急性くも膜下の危険は大きく、無事に手術が済んだのは奇跡に等しい。
しかしながら腰部脊柱へのダメージ、両手の複雑骨折などの傷病は大きく、おそらくは何らかの形で後遺症が残ることが予測される。
また既往歴にPTSDとうつ病があることから、精神への影響も看過できない。
長時間のリハビリテーションが身体、精神共に必要である。




