9:消えたはずの淡い初恋は――――。
「殿下、どうぞ」
宰相様の謎の圧力をデメトリオさんが無視していると、国王陛下が軽い足取りでやってきた。そして、デメトリオさんの遺言状を取り上げると、勝手に開いて私に見せてきた。
「ぶふっ『エマちゃんを嫁にしろ!』って……うはははは! 何度見ても笑えるよ」
おい、国王陛下。なに爆笑しとんねん。ってか、おじいちゃん、なにを書いてやがる。と声を大にして叫びたかった。
「ほら、王家の指輪まで用意されちゃってるし、はめちゃいなよ?」
国王陛下、軽すぎません? ていうか、おじいちゃんそっくりだなこの人。絶対にめんどくさいタイプだ。
怒りでプルプル震えてるデメトリオさんの肩に後ろから顎を乗せてニヤニヤ笑ってるもん。絶対に性格悪い!
「…………父上、邪魔です」
「はいはい」
国王陛下が両手を上げて三歩ほど下がって行ってしまった。
ガチギレ寸前みたいな顔してるデメトリオさんと二人向かい合わせ。
周囲はちょっと遠巻きなものの、ワクワクとした表情がほとんど。
――――なにこの状況。
「エマ、婚約者は?」
「い……ません…………けども……」
「なら諦めろ」
「え?」
右手を取られて、薬指に指輪をザシュッと差し込まれた。右手の薬指は婚約者がいる証。
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
「うるさい」
いや別に指輪をはめたくらいじゃ、婚約者にはならないんだろうけど。
右手薬指を見ながら困惑していたら、デメトリオさんの顔がこちらに近付いてきた。
チークキスのような近さになったかと思ったら、ふわりと甘酸っぱいオレンジの香りがした。
――――香水?
匂いの方に意識が持っていかれた瞬間、耳元で「ジジイの思惑に踊らされるのはムカつくが、逃さないからな?」とデメトリオさんに囁かれた。
耳にフッと息を吹きかけて顔を離していくデメトリオさんを睨んだけど、彼は一瞬だけニヤリと笑ったあとは澄まし顔。
それにちょっとカッコイイと思ってしまうんだから、私もおじいちゃんに踊らされてるなぁと思う。
――――顔、熱い。
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病気のこともあり、代替わりをしたいと国王である祖父が父に話していた。ここ最近の祖父は、食欲の落込みが激しく随分と痩せていた。
ゆっくり余生を過ごしたい。その願いを父は受け入れることにした。
ただ、王位継承は没後に行われるもので、生前退位するには法律から変更していく必要があった。父は祖父にそのために時間を費やしてほしくないということもあり、地位はそのままで国王の仕事を父がほぼ請け負い、祖父には好きに過ごしてもらうこととなった。
祖父は、十年前に亡くなった祖母との思い出の地である王立庭園に時々出向いて、一人のんびりと過ごしているらしい。ガゼボにチェス盤を持ち込んでいると聞いて、幼い頃に見た光景を思い出した。
祖母は祖父をこてんぱんにやっつけては、とても楽しそうに笑っていた。そんな二人を見るのが俺はとても好きだった。
盤面を見ながら祖母との日々を思い出しているのだろう、と思っていたのに、祖父はガゼボで若い女と楽しそうに過ごしていると部下から聞いて、正直なところ祖父に幻滅した。憧れや大切な思い出が汚されたような気がした。
その若い女が何を考えているのかなんて分かりきっている。祖父は変装しているらしいが、きっとバレているのだろう。
女の正体を見極め、祖父の目を覚ましてやる!と、意気込んでいた――――。