73:トゥロと手合わせ。
トゥロをジッと見つめる。きっとこの子はスレてないんだろうなと思う。父を誘拐したのも、もしかしたら失敗覚悟だったのかも、と思えるくらいには気弱な少年だった。
多分、父はそういうことも全部分かっていて、わざと誘拐されたのだと思う。付いていた侍従も父は全く慌てておらず、侍従に『大丈夫だ』とずっと言っていたと聞いている。
だから、一番悪いのは父だ。
でも、トゥロも悪い。
「エマ、本当にすまなかった」
父がガバリと頭を下げた。
やっとちゃんと謝ってくれた。ハァと溜め息を吐き出して、二度目はないからねと釘を刺した。
「それにしても、この子が本当に老獪なチェスをする子なの?」
もっさりとした前髪の奥で青い瞳を揺らし、オロオロしっぱなしの猫背の少年。一三歳なら当然の反応なのかもしれないけれど、体格に恵まれすぎているおかげで一〇代後半から二〇歳くらいにしか見えない。
「うん、凄いよ。チェス盤出してくれる?」
父が侍従に頼むとすぐにチェス盤を持ってきた。どうやら父は、私とトゥロを対戦させたいらしい。ハンデはなしでいいそう。そう言われてしまうと少し身構えてしまう。
「トゥロ、王太子妃とか関係ないからね! 全力を出してやっつけるんだ!」
「え…………おっさん?」
父の私への煽りにトゥロが更にオロオロとしている。老獪なチェスをするという割には、探り合いは苦手なのかも?
「父さん、おっさんとか呼ばれてるの? まぁ、おっさんだろうけど」
そう言いつつ、ポーンに手をかけた――――。
トゥロとチェスを始めて三〇分が経った。戦況はまだまだ分からないけれど、確かにトゥロは強い。
じわじわ攻めてきて、こちらが反撃すると簡単に引いて戦況を立て直してしまう。これは確かに老獪だ。
「エマちゃぁん、手こずってるねぇ? トゥロは強いだろう?」
「そうね、強いわ。あと、気軽に『エマちゃん』は家の中だけでお願いしますね? ルシエンテス男爵」
視線を向けずに父の応対をしていたら、父がくすりと笑った。
「トゥロ、君はこういう煽りに弱いだろう? エマくらい図太い返しをしても、まぁたぶん怒られないよ」
「ルシエンテス男爵ほどではありませんわ」
「ほら、真顔で追撃とかするんだよぉ? しかも僕らが横で話している内容も全部聞いてるんだ。嫌だねぇ」
父がデメトリオさんに私たちの指した手を説明したり、私の癖やトゥロの癖を暴露したり、いまのは悪手だよねとか横でずっとうるさい。でもそのおかげでトゥロの得意な手や苦手な手が分かってきた。
「トゥロは試合中の会話が苦手なんだよね。いつも無言だ。エマも話しかければ応対してくれるけど、基本的に僕とは無言なんだよね。二人とも似てるけど、たぶんエマのほうがまだまだ強いかなぁ」
「父さん、トゥロのメンタル折ってどうしたいのよ?」
「えー、別にそんなつもりじゃないよぉ」
嘘くさいなぁと思いつつ、チェックする。直ぐに逃げられるのは分かっている。逃げられたら普通は追い込む手を用意しているものだけど、追わずに少しだけ態勢を整える。するとトゥロは自分も態勢を整えるチャンスだと動くのが癖のようだった。そこに罠を仕掛けておいた。残り三手。
「トゥロ、ルークを動かすと追い詰められるよ」
「なっ……父さん、それは狡い」
「僕はトゥロの味方だし、ルシエンテス男爵だしぃ?」
なるほど、爵位で呼ばれたのが癪に障ったのね。チョロいわね。





