番外編:国王という立場
夕食後、執務室に戻って書類を手に取る。別に執務が押しているとかではない。ただ、こういった特別な日の夜に一人で部屋にいるのは、流石に虚しさが込み上げる。
だから、執務をする。
ジャケットを脱ぎイスの背にかけ、クラヴァットを外し襟元のボタンを緩める。
侍女に頼んでいたコーヒーを片手に、書類を捌いている時だった。
コンコンコンと、軽いノックの音。
侍女たちのリズムと一緒だが、妙に弱々しい。
「入っていいよ」
入室の許可を出すと、物凄い眼力でこちらを睨みつけながらカサンドラが入ってきた。
いや、まぁこれは彼女の真顔のようなものなんだが。いつも、目つきの鋭さで損をしているんだよな。とてもいい子なんだけど。
「夜遅くにどうしたんだい?」
カサンドラの持っているものがプレゼントの包みだと分かっていて、わざとらしく話しかけた。
エマ嬢と厨房で何やらやっていたのは知っているので、たぶん『恋人の祭典』の菓子か何かだろう。
「本日はデザートがございませんでしたので、よければ――――」
なんだ。それなら受け取ろう。
エマ嬢のことだ、きっといろんな人に配るのだろう。今はデメトリオに付きっきりだろうから、カサンドラが配って歩いているのだろう。
「ヴィクトル様」
――――駄目だ。
これは聞いてはいけない、本能がそう叫ぶ。
五年前のあの日を思い出してしまう。覚悟を決めた様な顔で、思いを告げてきた。
娘としてしか見れないと伝えたら、納得してくれたじゃないか。
「カサンドラ、幸せな結婚をしなさい。心から愛する人を見つけ、我が子を抱いて、幸せな人生を送りなさい」
「っ…………聞いてもくださらないのですね」
寂しそうに微笑んだカサンドラの頬を伝う雫。
慌てたように背を向け、立ち去ろうとしていた彼女を見送るべきなのに、国王としてそうするべきなのに…………。
気づけば、彼女を後ろから掻き抱いてしまっていた。
そうしなければ、もう二度と彼女の笑顔が見られない気がした。
王太子という立場から国王という立場に変わり、自由はどんどんと減っていく。父からの手紙にも書いてあった。
『ヴィクトル、いつまで意固地になっとる。お前にはデメトリオのように命令はせん。自分で判断しろ。国王という立場になり、何を我慢すべきか、何を求めるべきか。誰を大切にすべきなのか、自分で判断しろ。大切だから二回書いといたぞ』
本当にはた迷惑な人だ。遺言書にあんな手紙を紛れ込ませないで欲しい。宰相は中身を知らないようだったからいいものの。
だが、父の手紙で心は揺らいでいた。ずっと悩んでいた。
「ヴィクトル、さま……?」
「ひとりの男として言う。カサンドラが欲しい」
「はい」
「…………そう簡単に返事しないでくれないかな?」
カサンドラから嬉しそうな空気が漏れ出ている。私の手に自身の手を添えてキュッと握りしめているのが、たまらなくいじらしい。
「聞いてもいいかい?」
「はい?」
ずるい質問だと思った。それでも聞きたかった。
「親子ほど違うがいいのか?」
「はい」
「世間から何を言われても?」
「はい」
「逃さないが?」
「――――っ、はい!」
あぁ、駄目だ。
そんなに嬉しそうに返事をしないでくれ。
分かっていたんだ。カサンドラが顔を緩めるのは、私にだけだと。ここ最近はエマ嬢にも緩めているから、ちょっと面白くなかった。
こんな感覚は久しぶりだ。
妻が亡くなる直前に言っていた。誰かを愛せと。
君以外にそんな存在はいないと伝えると「貴方は誰かを愛しているときが一番強いわ」と言われた。その時はよく分からなかった。
だが、今ならわかる。
守りたいものがあると、人は覚悟を決める。どこまでも強くなれると思える。
今、この腕に抱きしめている愛しい人を守るためなら、私は神々だって相手に出来そうだ。





