33:呼んでほしい
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エマが王城に引っ越してきて四日。
部屋を一つ挟んで好きな人が隣にいるというのは、とてつもなく苦しいのだと知った。
ともに夕食を摂り、おやすみを言って部屋に戻る。
きっと今ごろは部屋でゆっくりしているのだろう、きっと今ごろは風呂に入っているのだろう、きっと今ごろは湯冷まししたり侍女たちとおしゃべりして――――と、妄想が止まらない。
さっき別れたばかりだろう!と自分に言い聞かせ、風呂で冷水を浴びた。
「寒っ……」
春になったとはいえ、風邪をひくなと湯船に滑り込む。
酷く、馬鹿な話だと思う。
エマと初めて対面したとき、アンバーの瞳が太陽の光に反射して、瑞々しいオレンジの果実ように輝いていた。
彼女の雰囲気と合っていて、とても綺麗だった。
それからだったと思う。
オレンジを見る度に彼女を思い出した。いつの間にか身の回りの香りを発するものが、全てオレンジになっていた。
湯船から香る、オレンジオイルの匂いに胸や腹が締め付けられる。
風呂から上がり、部屋のソファーに座ってぼーっとしていたときだった。
部屋と主寝室を繋ぐ扉の向こう側に、人の気配。
真面目に騎士をやっていた。だから相手の発する空気もなんとなく分かる。
敵意はない。
駄目だと分かっているのに、身体が勝手に動いてしまう。
扉を押し開くと「ひゃっ」と可愛らしい声が聞こえた。
「なにをやっている」
「あのね、デメトリ――――」
「リオ」
エマはすぐ『デメトリオさん』と呼ぶ。別にいつもそう呼んでほしいとかではないが、二人きりのときくらいはリオと呼んでほしい。
だからいつも遮って『リオ』だと伝える。そうすると、エマがハッとした顔のあとに、必ず少し恥ずかしそうに俯いて『リオ』と呼んでくれる。
それだけで、抱きしめてキスして、ベッドに連れ込みたいくらいには、幸せな気持ちになれる。
だから、呼んでほしい。
「あのね、その……少しね、淋しくて。ちょっとだけね、リオと話したかったの。ごめんなさい」
どんどんと言葉尻をすぼめて、最後には泣きそうな声で謝るエマに、選ぶ言葉を失敗したと気が付いた。
「っ、くそっ」
「ごごごめんなさっ」
「違う。謝らねばならないのは俺だ」
怯えた表情になってしまったエマをふわりと抱きしめて、どの部屋に移動しようかと脳内会議をした。
――――エマの部屋だな。
ここで俺の部屋に引きずり込んでも、主寝室のソファに座らせても、なんか色々終わる気がした。
主に、俺の尊厳とか威厳とか、そういったものが。
エマの額にキスをして、手を繋ぎ移動する。エマが「えっ、え、あのっ、リオ……」と心細そうな声を出すので、また額にキスをした。
今は唇にする勇気というか根性がない。
エマの部屋に到着し、二人でソファに座る。
「リオ?」
「ん……今は…………ダメトリオと呼ばれたい」
意味がわからないが、なぜかそう口から出てきた。
エマはキョトンとしたあとに、プッと吹き出して、アハハハと大きく口を開けて笑ってくれた。
――――良かった、笑った。





