10:チェス馬鹿
王族の男児は精神的成長や忍耐力向上を促す目的もあり、騎士団に入ることになっている。
次期王太子としての執務と、近衛騎士の隊長としての仕事もあり日々忙しく過ごしていた。
そんな中で、庭園に来るか来ないか分からない女の素性や真意を探るための時間を捻出することになるとは思ってもいなかった。
祖父の護衛には、信頼の置ける部下二名を付けていた。そいつらが言うには、毎週水曜日に約束しているらしい。基本的にこの数ヵ月は毎週会っているが、来ないときもあるのだとか。
そして『エマちゃん』という名前以外は分からないという。祖父が護衛たちに会話が聞こえないようにしているらしい。たぶん意図的なのだろう。それが更に怪しさを助長する。
祖父に勘付かれないよう護衛に紛れ込み、さらにはガゼボに近付いて女との会話を盗み聞く必要がある。
祖父が若い女に現を抜かしていると聞いてから三ヵ月後、どうにか日程が整った。
祖父が庭園に出かけると連絡があり、護衛たちに紛れ込んだ。あとから合流しても良かったが、その場合は俺の護衛が更に必要になってしまう。流石にそれでは来場客に不審がられてしまうだろうから、忍び込む方向にした。
そして、ガゼボ後ろの茂みに隠れていたのだが、まさか二〇歳に満たない女だとは思ってもいなかった。
キャラメル色の髪の毛は緩くまとめていて、柔らかなアンバーの瞳、素朴な印象の顔からは、国王を惑わすような色香は感じられなかった。漏れ聞こえる二人の会話からも、二人が恋仲や後ろ暗い関係があるようにも思えない。
ただ、まだ本性を現していないだけなのかもしれないということで、監視を続けることにした。
余裕のあるときだけにはなってしまったが、何度か二人の密会を監視していた。
「ところで、デメトリオはいつまでこっそりと監視をするんじゃ?」
「……バレていたんですか」
「お前が紛れ込むと、空気がピリピリするからのぉ」
監視を続けてもうすぐで半年になるかというころ、朝食の席で祖父に聞かれた。
「気になるなら、同席すればええじゃろ」
「…………考えておきます」
そうして翌週の水曜日、祖父と女の密会に乱入してみることにした。初めは護衛兼世話係として。二人に飲み物を出した。
女は俺が姿を現した瞬間にビクリと肩を飛び上がらせたが、祖父が自分の護衛だと伝えると「あ、どうも」とだけ言い、その後は一切こちらを気にすることなく祖父とチェスを楽しんでいた。
「なんでじゃ? ここをこうしたらクイーンが取られるじゃろうが」
「クイーンは取られるけど、その後の白はこう進むしかないのよね…………ほら、黒がチェックメイト出来るでしょ?」
「ぐあっ! なんで気付かんかったんじゃ!?」
「あははははっ」
二人はいつも楽しそうにチェスをしていた。近くで見ていると余計にそれが分かった。そして、祖父は孫を見るような目で見ていたし、女は父や祖父といった親族に向ける視線だった。
ある日、祖父があまりにも悪手を打とうとしていたのでつい口出ししてしまった。
「なんじゃい、デメトリオもしたいのなら座れ」
――――くそジジイ!
名前を呼ぶなよと怒鳴りたかった。
王族の姿絵はあまり出回っていないが、流石に名前は知られている。王太子の息子として公務にも出ているからな。
祖父といて気軽に会話をしているデメトリオとなれば、素性がバレバレじゃないか!と焦った。
だが、女はこてんと首を傾げただけだった。
「デメトリオさんって言うんですねぇ。あれ? そういえば自己紹介とかしてなかった。えっと、私はエマ・ルシエンテスと言います」
まさかの周回遅れな会話と、堂々と家名を名乗る抜け具合に、わずかに残っていたエマへの疑いの毒気を抜かれた。
俺たちの正体に一切気付いていないうえに、普通にただチェスを楽しんでいるだけのチェス馬鹿なのだと。
ルシエンテスの名前は有名だ。たぶんエマの父親なのだろう。チェス大会で二十年間負け知らずで、叙爵されたという異色の男爵家だ。大会の賞金や貴族への指導料が主な収入源だったはずだ。
そういえば、父親もチェス以外はめっきりでエマと似てポワポワとした性格だった記憶がある。
なるほど、チェスだけが馬鹿みたいに強いわけだ。
「あ、チェックメイトです!」
挨拶直後にコマを動かしドヤ顔でこちらを見て来るエマに、つい笑ってしまった。
――――可愛いな。