第7話 神殿(ゴミ屋敷)への第一歩と、戦いの前の静けさ
契約は、神聖にして絶対だった。
私がふっかけた無茶苦茶な条件を、女神アストライアは律儀に、そして迅速に履行した。
まず、我が家の隅に、ポーン、と音を立てて美しい白銀の門が出現した。
【神殿直通プライベートゲート】。鑑定するまでもない、神々しいオーラを放っている。これで、面倒なダンジョン内の移動をすっ飛ばして、現場(神殿)に直行できるわけだ。素晴らしい。
次に、ゲートの前に、豪華な装飾が施された宝箱が置かれた。
「これが、迷惑料の秘宝…」
期待に胸を膨らませて開けてみると、中にはキラキラと輝くアイテムが十個、きちんと収められていた。
一つは、【四次元おやつポーチ】。中から無限にお菓子が湧き出るらしい。最高か。
一つは、【全自動・味付け完璧なべ】。食材を放り込むだけで、よしなに調理してくれるスグレモノ。ソロライフの神器だ。
伝説の聖剣や、世界を滅ぼす力を持つ宝玉などもあったが、そんな物騒なものはアイテムボックスの奥底に封印。私は、自分のQOLを上げる実用的なアイテムだけを選りすぐり、残りはアストライアに叩き返すことにした。
「さて、と」
私は、神界のテクノロジー(?)で充実したマイホームを見渡し、満足げに頷くと、いよいよ「仕事」の準備に取り掛かった。
これは、ただの掃除じゃない。神域の、それも万年物の汚染に挑む、史上最大の特殊清掃だ。
まず、戦闘服に着替える。ジルドンに端材で作ってもらった、汚れと衝撃を完全にシャットアウトするオリハルコン繊維製のツナギだ。次に、腰のベルトに、先日完成したばかりの神具(掃除道具)たちを装着していく。
ブラシ、チリトリ、スプレーボトル。一つ一つを手に取り、不備がないか入念にチェックする。その様は、さながら決戦に赴く兵士だ。
「よし」
私はゲートの前に立ち、一つ、大きく深呼吸をした。
心の準備はできた。プロとして、どんな惨状を目の当たりにしても、決して怯んではいけない。
ゲートをくぐった瞬間、世界が変わった。
目に飛び込んできたのは、高く、どこまでも高い天井。壮麗なステンドグラスから差し込む、虹色の光。床も壁も、本来は美しい大理石でできているはずだった。
――だが、その全てを、圧倒的な「穢れ」が覆い尽くしていた。
「……っ!」
まず、鼻を突いたのは、暴力的なまでの悪臭だった。
生ゴミの腐敗臭、千年間放置されたホコリの匂い、そして、神の怠惰が生み出したであろう、霊格の高いカビのむせ返るような香り。それらが複雑に混じり合った異臭に、さすがの私も一瞬、眩暈がした。
そして、視界。
玄関ホールと思われる場所には、無数の空のデリバリーボックスが巨大な山脈を形成している。廊下の先には、粘着質の液体が川となって流れ、壁には黒紫色のシミが、まるで現代アートのように広がっていた。
想像の、五倍はひどい。
「あ、アカリ様…! よくぞ、お越しくださいました…」
ゴミ山の陰から、女神アストライアが、よろよろと姿を現した。
その身にまとった純白の衣は、あちこちが薄汚れ、裾には昨日食べたのであろうパスタのソースがべったりと付着している。
「……どうも。クライアント様」
私は、目の前の惨状に内心で悪態をつきながらも、完璧な営業スマイルを顔に貼り付けた。
ショックで固まっている場合じゃない。ここからは、プロの仕事だ。
「では、これより初期調査を開始します。まずは、汚染状況のレベル分けと、作業エリアの区分けからですね」
私はアストライアには目もくれず、腰のベルトから一本の神具を引き抜いた。
【対・神性カビ用研磨ブラシ】。ジルドンが魂を込めて作り上げた、アダマンタイトの輝きが美しい、私の新たな相棒だ。
私は、手始めに、一番近くにあった大理石の柱にこびりついた、邪悪なオーラを放つ黒カビへと向き直る。
「さて、始めましょうか」
私の声は、静かな、しかし確固たる決意を帯びて、広大なゴミ屋敷に響き渡った。
「史上最悪の、特殊清掃を」