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第5話 見積もりはプロの仕事、依頼はコミュ障の悩み

 女神アストライアは、それはもう見事に泣きじゃくっていた。

 神としての威厳は完全に消え失せ、画面の向こうで鼻をすすっている姿は、宿題をサボって親に怒られた子供そのものだ。


「それで? お客様。お部屋の広さは、どのくらいで?」


 私は腕を組み、あくまでビジネスライクに尋ねる。プロとして、感傷に流されてはいけない。


『うぅ…えっとぉ、東京ドーム…くらい?』

「広さの単位が雑すぎます。平米数でお願いします」

『ひゃ、ひゃくまん…へーべー…? もっとあるかも…?』

「……そうですか。では、主な汚れの種類は? 食べこぼし、ホコリ、カビ、それとも…その他?」

『ぜ、ぜんぶ…です…』

「最後に本格的な清掃、いわゆる大掃除をされたのは、いつ頃です?」

『……したこと、ない…です…』


 だろうな、とは思った。

 私はメモ帳に「規格外の広さ」「複合汚染(神レベル)」「清掃履歴ゼロ」と書き殴る。これは、私が元の世界で請け負ってきたどんな特殊清掃よりも、遥かに、圧倒的に、史上最悪の案件だった。


「承知いたしました。あまりに規模が大きいため、即答は致しかねます。まずは、必要な機材と人員――と言っても私一人ですが――の準備計画を立て、後日、改めて正式な御見積書を提出させていただきます」

『は、はいぃ! お待ちしておりますぅ!』


 私が一方的に通信を切ると、水晶玉は静かになった。

 ふぅ、と大きなため息が漏れる。


「とんでもない仕事を引き受けちゃったな…」


 報酬として確保したオリハルコンは魅力的だが、問題は山積みだ。

 神界の、それも神様の汚部屋。生半可な掃除道具で太刀打ちできるはずがない。市販の洗剤では、神の怠惰が産んだ千年モノのカビは落ちないだろう。


(専用の、オーダーメイドの掃除道具が必要だ…)


 私の脳裏に、一人の人物が浮かんだ。

 あの見事なフライパンを作った、偏屈そうなドワーフの鍛冶屋、ジルドン。

 彼ならば、私の要求する、特殊で高性能な掃除道具を作れるかもしれない。


 しかし、そこで最大の問題が立ちはだかる。


(…ジルドンと、話さなきゃ、いけないじゃない…)


 無理だ。絶対に無理。

 初対面の(しかも伝説のNPCっぽい)相手と、面と向かって交渉なんて、コミュ障の私にとっては、ラスボスと戦うより遥かに難易度が高い。


「うぅ…どうしよう…」


 私は頭を抱えてウンウンと唸った。

 快適なソロライフはどこへやら。なぜ私は、神様の尻拭いのために、こんなコミュニケーションの試練に挑まねばならないのか。


 いや、待て。

 本当に、直接話す必要がある?

 私の武器は、口下手なコミュニケーション能力じゃない。私の武器は、掃除に関する完璧な知識と、それを形にする設計能力だ。


「……そうだ」


 私はニヤリと笑うと、アイテムボックスから新しい紙と、製図用のペンを取り出した。


 翌日。

 ジルドンは、いつものように洞窟の前に置かれた「お供え物」に気づいた。

 今日の供物は、見慣れぬ果物と、酒のようだ。主様は、こういうものもお好みらしい。

 彼がそれを手に取ろうとした時、もう一つ、奇妙なものが置かれているのに気がついた。

 それは、数枚の羊皮紙を束ねたものだった。


 広げてみると、そこに描かれていたのは、彼の鍛冶屋人生で一度も見たことのない、しかし、ひと目でその構造の緻密さと革新性が理解できる、驚くべき設計図の数々だった。


「こ、これは…?」


【対・神性カビ用研磨ブラシ】

 ・柄の部分はミスリル製。軽量性と魔力伝導率を両立させること。

 ・ブラシ部分はアダマンタイトを極細繊維状に加工し、一本一本に浄化の魔術刻印を施すこと。


【空間湾曲式チリトリ】

 ・縁の部分に空間魔術を付与。吸い込んだゴミを圧縮し、亜空間に一時保管する構造。

 ・素材は先日提供したオリハルコンを使用のこと。不浄の力を逆利用し、穢れを引き寄せる性質を付与する。


 その他にも、エーテル汚れを分解する噴霧器や、霊的ホコリを吸着するモップなど、常軌を逸した、しかし、完璧な理論に基づいた「道具」の設計図が、寸分の狂いもなく描かれていた。


 ジルドンは、設計図を握りしめ、わなわなと震え始めた。

 これが何のための道具なのかは、わからない。

 だが、職人としての彼の魂が、燃えるように叫んでいた。

 作りたい。この設計図を、この手で、完璧に再現してみたい、と。


「うおおおおおおおおっ!!」


 ダンジョンに、伝説の鍛冶屋の、歓喜の雄叫びが響き渡った。


 その様子を、遠くの物陰からこっそりと窺っていた私は、小さくガッツポーズを決めた。


(よし、交渉成立!)


 コミュ障は、コミュ障なりの戦い方があるのだ。

 私は、史上最強の掃除道具が完成するのを、静かに待つことにした。

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