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第40話 虚無という名の“手抜き”と、プロの矜持

 私の心は、決まった。

 この、あまりに投げやりで、プロ意識に欠ける「お仕事」を、放置することはできない。

 それは、もはや世界の危機云々ではない。ただ、私の、専門家としての矜持が、それを許さなかった。


『師匠! 本気ですか!? あの領域は、観測すら不可能なのですよ! 危険すぎます!』


 通信の向こうで、アストライアが悲鳴に近い声を上げる。

 私は、書庫の机に向かい、新たな神具の設計図を描きながら、冷静に答えた。


「危険なのではありません。ただ、これまでのアプローチが、間違っていただけです。あの『汚れ』は、物理的な汚染でも、魔術的な呪詛でもない。いわば、概念的な欠損。…ならば、こちらも、概念的な『お掃除』で、対応するまでです」

『か、概念的な…』

「ええ。わたくし、これから、史上最も質の悪い、新人の『研修』に出向いてきますので。後のことは、よしなに」


 私が一方的に通信を切ると、アストライアは「そんな無茶なー!」と叫んでいたが、知ったことではない。

 私は、完成したばかりの設計図を、ジルドンへと転送すると、自らも、ゲートを通って、問題の現場へと向かった。


 世界の果て。

 緑豊かな大地が、黒い虚無によって、音もなく侵食されている、その境界線。

 そこに、一人の青年が、退屈そうに座っていた。

 歳の頃は、十代後半だろうか。着ている服は、この世界の様式ではない、見慣れたTシャツとジーンズ。しかし、その瞳には、全てを諦めたかのような、深い、深い、凪のような無関心だけが、漂っていた。


 彼もまた、私に気づいていた。

 彼は、驚くでも、警戒するでもなく、ただ、静かに、口を開いた。


「…あんたが、噂の。この面倒な世界を、せっせと“お掃除”して回ってるっていう、もう一人の日本人?」


 その言葉に、私は、確信する。

 彼は、私と同じだ。そして、全く、違う。


「ええ、そうです。わたくしが、特級コンサルタントのアカリです。…あなたも、同業の方、とお見受けしますが」

「同業、ね。まあ、そうかも。…俺は、掃除っていうより、もっとシンプルに、全部“消してる”だけだけど」


 青年は、自らのスキルを語る。

 神から与えられた、全てを消し去り、無に帰す、究極の権能――『虚無創造ワールド・デリーター』。

 彼は、その力で、自らが「不要」だと判断したものを、次々と、この世界から消去しているのだという。


「人間関係も、仕事も、歴史も、全部、面倒くさい。汚いものも、綺麗なものも、どうせ、いつかはゴミになる。だったら、最初から、何もないのが一番だろ? 何もない、静かな世界。それこそが、究極の楽園だ。…あんたも、本当は、そう思ってるんじゃないの? 一人で、静かに暮らしたいってさ」


 彼の言葉は、私の心の、最も深い部分を、的確に突いていた。

 そうだ。わたくしも、静寂を、孤独を、何よりも愛している。


「…ええ、その点については、同意します」


 私の意外な言葉に、青年は、少しだけ、目を見開いた。


「ですが」と、私は、続ける。


「あなたのやっていることは、根本的に、間違っている」

「ほう?」

「わたくしが求めるのは、完璧に管理され、最適化された、快適な『秩序』のある静寂です。あなたの言う『何もないだけの空間』は、ただの、思考停止。…プロの仕事ではありません。それは、究極の『汚部屋』ですよ」

「…汚部屋、だと?」


 青年の、凪いだ瞳が、初めて、不快そうに揺らぐ。


「ええ。後片付けの一切を放棄し、ゴミも、家具も、思い出も、全てを、虚無という名の、巨大なクローゼットに、ただ、詰め込んでいるだけ。…わたくしに言わせれば、それは、史上最も質の悪い、概念的なゴミ屋敷です。清掃員として、到底、看過できませんね」


 私の、あまりに辛辣な、しかし、的確な「業務評価」。

 青年は、初めて、感情らしきものを、その顔に浮かべた。

 それは、怒りというより、自らの聖域を、土足で踏み荒らされたかのような、子供じみた、不快感。


「…うるさいな。あんたに、俺のやり方の何が分かるんだ」


 彼が、億劫そうに、指を、ぱちん、と鳴らす。

 その瞬間。

 私の耳の通信機から、アストライアの、絶叫が響き渡った。


『師匠! 大変です! ルミナ王国の、あの、師匠が再生された公園が…! ジルドン様の工房がある、あの山脈が…! 同時に、黒い“無”に、侵食され始めています!』


「…!」


 私は、青年を睨みつける。

 彼は、ただ、つまらなそうに、そっぽを向いているだけ。

 彼は、ただ、目の前の世界を消しているのではない。

 私が「整えた」場所を、わたくしが「繋がり」を築いた場所を、意図的に、狙って、消し始めている。

 それは、もはや、思想の対立ではない。

 私の、完璧な「仕事」に対する、明確な、破壊行為ヴァンダリズムだった。


「…どうやら、口頭での指導(研修)だけでは、不十分なようですね」


 私の声から、全ての感情が消える。

 ただ、プロとしての、冷徹な意志だけが、そこに残る。


「分かりました。あなたの、その、手抜き極まりない『お掃除』が、いかに間違っているか。わたくしの『仕事』で、直接、教えて差し上げます」


 私は、アストライアに、静かに、しかし、力強く、命じた。


「アストライア。ジルドオンに、伝えてください。――『プロジェクト・ジェネシス』の、製造を開始せよ、と」

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