第3話 緊急クエストと伝説の鍛冶屋(とは話したくない)
私のダンジョンライフは、驚くほど順調な軌道に乗っていた。
日中は中層エリアまで足を運び、ほうき一本でキタナギツネを浄化。ザクザク手に入る魔晶石をアイテムボックスに放り込んでは、夕方には安全を確保した我が家(洞窟)に帰還する。このルーティンは、もはや私にとって快適なオフィスワークそのものだった。
「ふぅー、今日のノルマも達成っと」
アイテムボックスから冷えたお茶を取り出して一息つく。これも、魔晶石を街の入り口にこっそり置いておいたら、翌日なぜかお金と交換されていたので、そのお金で商人から購入したものだ。この世界、意外とチョロい。
私がそんな快適ワーカーライフを満喫していた、その時だった。
ゴゴゴゴゴ……!
突如、ダンジョン全体が地響きを立てて揺れ始めた。
「な、なに!? 地震!?」
慌てて身構えると、ダンジョンのさらに奥深くから、轟音と共に黒い濁流が押し寄せてくるのが見えた。それはただの泥水じゃない。ヘドロと、溶けた鉱物のようなものが混じった、見るからに有害物質の塊だ。
「ちょ、待って! 私が昨日ピカピカに磨き上げたエリアがーっ!」
悲鳴を上げる私。私の脳内には、けたたましい警告音が鳴り響いていた。
『緊急クエスト発生! ダンジョン環境汚染を食い止めよ!』
……そんな幻聴が聞こえるくらい、これは一大事だった。私の快適空間が脅かされている!
私は意を決して、汚染源であるダンジョンの奥へと向かった。
物音と熱気が渦巻く、巨大な空洞。そこには、想像を絶するほど巨大な炉や金床が置かれていた。鍛冶場だ。
そして、その中央で、背の低い、しかしがっしりとした体格のドワーフが頭を抱えていた。
「うおおお! ワシの『不浄のオリハルコン』がーっ! 溶けちまう、全部流れちまうーっ!」
ドワーフ――鑑定スキルによれば『ジルドン』――の叫び声で、私は全てを察した。どうやら、レア鉱石の精錬に大失敗して、大事故を起こしたらしい。
(不浄のオリハルコン……ですって!?)
私の鑑定スキルが、濁流の中に混じる鈍い輝きに反応する。
【不浄のオリハルコン:神話級の金属。不純物が多く精錬は極めて困難だが、成功すれば国宝級の武具が作れる。素材価値(超激レア)】
「……(ゴクリ)」
私の口から、渇いた音が漏れた。
あの濁流は、ただの汚水じゃない。超激レアアイテムが溶け込んだ、お宝の川だ。
(見過ごすわけには、いかない!)
もちろん、ジルドンのためじゃない。私の快適空間と、目の前のお宝のためだ!
私は物陰に隠れると、ほうきを固く握りしめた。狙うは、濁流の中心!
「いっけえええ! 『トルネード・クレンザー』・改! 分離モード!!」
私が放った竜巻は、これまでのものより遥かに強力で、緻密だった。濁流を根こそぎ吸い上げ、その中で汚染物質と泥、そして――オリハルコンを、遠心力で三層に分離していく!
「おお……!?」
ジルドンが、呆然とこちらを見ている。
まずい、見られた!
私は竜巻の勢いをそのままに、浄化した泥と水はダンジョンの排水溝らしき穴へ、そしてオリハルコンの塊だけは、遠心分離の勢いを借りて私の足元まで放物線を描いて飛んでくるように操作した。
ゴトン、と重い音を立てて着地したお宝を、即座にアイテムボックスへ収納!
「な、なんと…! 穢れを払い、お宝だけを救い給うとは…! あなた様は、もしや浄化の女神様か、このダンジョンの主様か…!」
ジルドンが、感動に打ち震えながら、私に向かってひれ伏そうとしている。
「ひっ!?」
やめて! こっち見ないで! 話しかけないで!
私は、伝説のNPCっぽい相手を前にして、コミュ障オタクの本能的な恐怖に襲われた。
そして、猛ダッシュでその場から逃走した。人生で一番の速さだったかもしれない。
翌日。
恐る恐る拠点の外を見ると、洞窟の入り口に、一つのフライパンがそっと置かれていた。
それは、昨日私が回収したオリハルコンで出来ているのか、黒光りする見事な逸品だった。
「うわ、なんだこれ…」
鑑定する。
【ドワーフ謹製フライパン:熱伝導率が完璧で、どんな食材も最高の味に仕上げる魔法のフライパン】
「……きのうのおっさんからのお供え物?」
いや、これはもう、ゲームで言うところの「ログインボーナス」だ。うん、そうに違いない。
私はありがたくフライパンを回収すると、早速、お供え物のキノコを炒めてみることにした。
ジュワッ、という食欲をそそる音と共に、キノコの香ばしい匂いが広がる。
一口食べれば、そこはもう天国だった。
「おいしっ……!」
伝説の鍛冶屋が打ったフライパンで食べる、ダンジョン産の新鮮なキノコ。
私の快適ソロライフは、また一つ、新たなステージへとレベルアップした。
人間関係は、このくらいの距離感がちょうどいい。私は、そう固く信じている。