第22話 完璧な休日と、知的好奇心という名の病
王都での激務を終えてから、一ヶ月が経った。
私の生活は、かつてないほどの完璧さと、堕落を極めていた。
「んん〜……ここ、もう一回……」
ジルドン謹製の、体圧分散と自動リクライニング機能付きの究極チェアに身を沈め、私は【追憶の水晶板】に映し出された推しのアニメを、0.5秒巻き戻した。推しの必殺技シーンは、あらゆる角度から、最低十五回は見ないと気が済まない。
傍らのテーブルには、【四次元おやつポーチ】から取り出した、神界でしか味わえないという『天使の涙』という名の砂糖菓子。口に含むと、しゅわしゅわと溶けて、上品な甘さが広がる。
静かで、快適で、誰にも邪魔されない。面倒な会議も、質の悪いクライアントもいない。
ああ、なんて素晴らしい休日。これこそ、私が血と汗と(主に他人の)涙の果てに勝ち取った、おひとりさまの理想郷だ。
「……」
しかし。
その完璧な休日に、ほんの小さな、しかし、無視できないさざ波が立っていた。
原因は、アイテムボックスの奥にしまい込んだ、一枚のカードだ。
ルミナ王家から、多額の報酬と共に与えられた、【王立大書庫・古代文明の遺失技術に関する書庫・無期限閲覧パス】。
「古代の…お掃除テクノロジー…」
口に出してみると、その言葉の響きは、悪魔のように甘美だった。
未知の洗浄液の化学式。効率的なゴミ圧縮の魔術回路。あるいは、自律思考型お掃除ゴーレムの設計思想…。
考え始めると、もうダメだ。推しの顔が、古代のモップの設計図にチラついて見える。これは重症だ。
プロとしての探求心という名のこの病は、どんな安楽な椅子も、座り心地の悪いものに変えてしまう。
「……はぁ」
私は、人生で一番重いのではないかという溜息をつき、ついにリクライニングチェアから体を起こした。
休日(だらけきる時間)は、終わりだ。
ここからは、研究(仕事)の時間である。
私は、女神通信機を起動させ、今や立派な秘書兼弟子となったアストライアを呼び出した。
『師匠! どうかなさいましたか!? 神殿は今日もピカピカですよ!』
「結構です。それより、用件は一つです。王都の、王立大書庫へゲートを繋いでください。今すぐに」
私の、有無を言わさぬ口調に、アストライアは一瞬きょとんとしたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
『まあ! 師匠が、ついにその気になられたのですね! 素晴らしい向学心です! すぐにご用意します! あ、そうだ、王家から預かっていた利用案内によりますと、目的の『古代技術書庫』は、特別な管理下に置かれているそうなので、くれぐれもご注意くださいね!』
「特別な管理…?」
嫌な予感がしたが、もう遅い。私の探求心は、すでに走り出してしまっているのだから。
アストライアが繋いだゲートを抜けた先は、私の知るどんな場所より、静謐な空気に満ちていた。
高い、高い天井。磨き上げられた木の床。壁一面に、整然と並べられた無数の書物。古い紙と、インクと、そして、わずかなホコリの匂いが、不思議なほど心を落ち着かせる。
「……最高じゃない」
ここだ。こここそ、私が求めていた第二の聖域。
騒がしい王城とも、じめじめしたダンジョンとも違う、知的な静寂に満ちた空間。ここでなら、心置きなく研究に没頭できる。
私は、高鳴る胸を抑えながら、館内の案内図を頼りに、目的の場所へと向かった。
書庫の最奥。ひときわ重厚な造りの一角に、その扉はあった。
【古代技術書庫】
黒曜石で作られた、荘厳な両開きの扉。
だが、その扉から放たれるオーラは、荘厳というより、もっと別の、質の悪いものだった。
幾重にもかけられた、複雑で、過剰で、自己満足的な魔術的ロック。扉の脇に立てかけられた、異常に文字の小さい、長文の利用規約の石板。
それは、まるで、「面倒な手続きがお好きでしょう?」と、こちらを挑発しているかのようだった。
「……」
私の顔から、表情が消える。
プロの顔つきに、切り替わる。
どうやら、この書庫は、ただの聖域ではなさそうだ。
これは、新たな「現場」だ。
そして、そこにいるであろう「汚れ」は、ホコリやカビなどではない。
――もっともタチの悪い、「非効率」と「面倒」という名の、システムそのものだ。
私は、黒曜石の扉を、静かに、しかし、力強く睨みつけた。
「面白いじゃない。わたくしのやり方で、完璧に『最適化』して差し上げますよ」




