第2話 お掃除は金策、そして女神は疫病神
私の城、第一号室と定めた洞窟は、まあひどい有様だった。
長年蓄積されたであろう黒泥は床にこびりつき、壁からは得体の知れない汁が染み出している。健康に悪そうな色のキノコがそこかしこに群生し、換気という概念は存在しないらしい。
「ふふっ…」
だが、私の口元に浮かんだのは、絶望ではなく、プロとしての歓喜の笑みだった。
汚れがひどければひどいほど、清掃員の腕は鳴る。これはもう、超高難易度クエストだ。
「まずは基本の『き』。上から下へ、奥から手前へ!」
私は伸縮モップを最大まで伸ばし、天井の蜘蛛の巣とホコリを一掃する。アイテムボックスから取り出した脚立に乗り、特殊洗剤を染み込ませた布で、壁の染みと汁を丹念に拭き上げていく。元の世界で愛用していた、柑橘系の爽やかな香りが、洞窟の悪臭を駆逐していくのがたまらない。
床の黒泥は、まずヘラで大まかにこそぎ落とし、仕上げにデッキブラシでゴシゴシと磨き上げる。スキル『絶対清浄領域』のおかげか、物理的な力以上に汚れがスルスルと落ちていく。
数時間後。
洞窟は、見違えるように綺麗になっていた。壁も床も、本来の岩肌が顔を出し、空気は清浄そのもの。
「完璧…! 私、天才では?」
自画自賛しながら、持参した折り畳みチェアを広げて座る。この達成感。これがあるから、清掃の仕事はやめられないのだ。
とその時。
綺麗になったはずの洞窟の入り口から、ぬるり、と何かが侵入してきた。
それは、半透明の黒いスライムのような魔物だった。そいつが這った跡には、べったりと黒い粘液が残る。せっかく磨き上げた床が、台無しに。
「あ゛?」
私の額に、青筋が浮かぶ。
「おい、コラ。土足で人の家に上がってきて、その上、床まで汚すとは、いい度胸じゃないか」
私が睨みつけると、その黒いスライム――鑑定スキルによれば『キタナギツネ』というらしい――は、ぷるぷると震え、分裂した。一匹が、二匹に。汚れも、二倍に。
「はあ? 増えんのかよ、この汚れ系ザコモンスター!」
私はほうきを手に、物理で叩いてみる。しかし、叩けば叩くほどキタナギツネは分裂し、あっという間に十数匹に増殖。洞窟は再び汚染されていく。
「ちっ、埒が明かない…!」
ただの物理攻撃じゃダメ。私のスキル『絶対清浄領域』は防御と状態異常回復がメインで、攻撃には向かない。どうする?
思考を巡らせる。私の武器は、掃除道具と、掃除の知識。そして、この世界の理――意志の力が魔法になること。
「…組み合わせるしかない」
汚れを掃き清める、ほうきの動き。
穢れを許さない、私の強い意志。
そして、広範囲のゴミをまとめて一掃する、あの家電の動きをイメージして――!
「くらえ! 私の新スキル! 『お掃除竜巻』!!」
私がほうきを勢いよく回転させると、その先端から風が渦を巻き、強力な竜巻となってキタナギツネを吸い込み始めた!
断末魔(?)を上げるキタナギツネと、周囲の黒泥が、竜巻の中で浄化されていく。
やがて竜巻が消え去った後。そこには、キラキラと輝く小さな青い石が、まるで宝石のように散らばっていた。
「なんだこれ?」
拾い上げて、鑑定してみる。
【魔晶石:高純度の魔力を秘めた結晶。換金価値(高)】
「……換金価値(高)」
私はその四文字を、三度見した。そして、自分の置かれた状況を完全に理解した。
「……え、待って。私、掃除してるだけで…億万長者になれるんじゃん!?」
そうだ、魔物を倒せばドロップアイテムが手に入るのは、ゲームの常識! 私の場合、掃除が攻撃で、汚れが魔物で、ドロップ品が換金アイテム! なんて素晴らしいんだ!
私の目に¥マークが浮かぶ。これで、一生働かずに推し活し放題の、夢の印税生活が送れる…!
私が勝利のガッツポーズを決めた、その瞬間だった。
ポーン、という軽快な音と共に、目の前に水晶玉のようなものが現れた。
画面には、あの忌々しい、もとい、麗しい女神アストライアの顔が映っている。
「イエーイ、アカリ見てるー? なかなかやるじゃない! 新スキル、かっこよかったわよ!」
「……どうも」
うわ、来たよ。一番面倒くさいのが。
「その調子でガンガン綺麗にして、私を喜ばせなさい! あなたには期待してるんだから!」
「はあ…」
偉そうな女神の背景に、一瞬、脱ぎ散らかされた服の山のようなものが見えた気がしたが、きっと気のせいだろう。
「何か言ったかしら? ま、せいぜい頑張ることね! じゃ!」
言いたいことだけ言って、通信は一方的に切れた。
私は、散らばった魔晶石をアイテムボックスにしまいながら、固く決意する。
――絶対に、あの女神にだけは、この魔晶石の価値を教えてやるものか。
快適なソロライフのため、そして、あのウザい女神から搾取するため。
私のダンジョンお掃除(金策)ライフは、新たな目標を得て、本格的に始動した。