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第18話 現場のルールと、常識外れの浄化法

 翌朝、夜明けと共に、私は現場に立っていた。

 呪われた霧の境界線。そこは、世界の終わりみたいに、色と光と音が途絶える場所だった。

 私の後ろには、どこか得意げな秘書アストライアが、魔法の石板(クリップボードの代わり)を抱えて控えている。


 やがて、約束の刻限ぴったりに、騎士団と魔術師ギルドの一団が到着した。

 騎士団長は、一分の隙もない整列と布陣で、私の指示通りに作業エリアを封鎖していく。その動きは、プロのそれだ。好感が持てる。

 一方、魔術師長グレンダルは、不満を隠そうともせず、腕を組んでこちらを睨めつけていた。


「…時間通りには、来てくれたようですね」


 私が声をかけると、グレンダルは鼻を鳴らした。


「ふん。して、これからどうするのだ? その、ポンプのような玩具で、この神の呪いに挑むとでも?」


 彼の視線の先には、昨夜ジルドンから緊急で納品された、今回の主役。【対・広範囲ガス状汚染用・拡散式中和剤噴霧器】。見た目は確かに、無骨な工業機械のようだ。


 私は彼の挑発を完全に無視し、指示を出す。


「魔術師ギルドの方々は、私の合図で、霧の中心に向かって、安定した風を送り続けてください。風速は秒速五メートルを維持。それ以上でも、それ以下でもない」

「騎士団の方々は、封鎖線の維持と、万が一の事態への備えを。ただし、許可なく作業エリアに侵入した者は、敵とみなします」

「アストライアは、各所との連絡役を。いいですね?」


 私の簡潔で一方的なブリーフィングに、その場の誰もが戸惑っている。だが、王命は絶対だ。彼らに、拒否権はない。


「では、始めます」


 私は噴霧器を肩に担ぐ。ずしりと重いが、完璧な重量バランスで体にフィットする。さすがはジルドンだ。

 私がアストライアに目配せすると、彼女が声を張り上げた。


『風魔法、詠唱開始!』


 グレンダルは、心底不本意そうな顔で杖を掲げたが、その魔法は一流だった。命令通り、安定した風が、呪われた霧へと吹き込み始める。

 私は、噴霧器のトリガーに指をかけた。


「――散布、開始」


 ゴオオオッ、と低い駆動音と共に、噴霧器のノズルから、虹色に輝く微細なミストが、霧の中へと噴射された。

 それは、聖なる光の奔流でも、全てを焼き尽くす炎でもない。

 ただ、静かな、霧雨のような散布。


 だが、次の瞬間。現場にいた全員が、息を呑んだ。


 ジュウウウウウウッ…!


 私の調合した中和剤ミストが、呪われた紫の霧に触れた途端、激しい化学反応を起こしたのだ。

 禍々しいオーラを放っていた霧が、まるで熱した鉄板にかけられた水のように、音を立ててその形を失っていく。

 鼻を突いていた異臭は、雨上がりの森のような、清浄なオゾンの香りに変わる。


 そして、最も常識外れな光景が、彼らの目の前で繰り広げられた。

 霧が、消えるのではない。

 紫色の霧は、その場で凝固し、無害で、不活性な、ただの黒い塵となって、ハラハラと地面に降り積もり始めたのだ。


「な……なんだ、これは…!?」


 グレンダルの声が、震えていた。

 彼の知る、どんな魔法理論にも当てはまらない。呪いが、聖なる力ではなく、未知の液体によって「分解」され、「無害なゴミ」へと変えられていく。


「霧が…晴れていく…! 我々が何ヶ月もこじ開けられなかった、あの霧の壁が…!」


 騎士団長もまた、愕然とした表情で、眼前の光景を見つめていた。

 霧が晴れた向こう側から、何年もの間、誰も見ることのできなかった、寂れた工場の建物が姿を現す。


 私は、ただ黙々と、噴霧器を左右に振りながら、霧の壁を「消去」していく。

 それは、戦いというより、あまりに一方的な「作業」だった。


 数時間後。

 私は噴霧器のスイッチを切り、額の汗(ただの水滴だが)を手の甲で拭った。

 目の前には、幅五十メートルに渡って、完全に霧が晴れたエリアが広がっていた。地面は、降り積もった黒い塵で覆われている。


 私は、呆然と立ち尽くす騎士団長とグレンダルの元へ歩いていくと、アストライアが差し出した作業日報にサインをした。


「本日の作業は、これにて終了です。進捗は、良好と言えるでしょう」


 そして、彼らに、新たな作業指示書を手渡す。


「この黒い塵は、現在、無害な産業廃棄物と化しています。ですが、放置すれば、新たな汚染源になりかねない。明日の朝までに、『ゴミ収集』を完了させておいてください」


「ご、ゴミ…収集…」


 騎士団長が、呆けたように繰り返す。


「ええ。わたくしは、浄化の専門家であって、ゴミ収集作業員ではありませんので。それでは、また明日の定時に」


 私は、唖然とする王国のエリートたちに背を向け、悠々と現場を後にした。

 アストライアが、小走りで私の後を追いかけながら、興奮した声で囁いた。


『師匠…! かっこよすぎます! あの二人の顔、傑作でした!』

「別に。仕事をしただけです。それより、明日の分の迷惑料、請求書に追加しておいてください」


 私の言葉に、『はいっ!』と、秘書は満面の笑みで頷いた。

 面倒な仕事だが、報酬が上乗せされるなら、まあ、悪くはない。

 私は、王都の空を見上げ、ほんの少しだけ、そう思った。

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