第1話 汚部屋女神のパワハラ転生と、清掃員の覚悟
「え……っと、どちら様、でしょうか?」
意識が浮上した瞬間、目に飛び込んできたのは、とんでもない美少女だった。
キラキラと輝くシルクのようなプラチナブロンドの髪。宝石を嵌め込んだみたいな大きな瞳。完璧すぎる容姿に、三十路を越えた私の脳は「SSR!」という叫びを上げた。いや待て、それどころじゃない。私は確か、雑居ビルの特殊清掃中に、うっかり足を滑らせて……。
「イエーイ、どーもー! 不慮の事故でお亡くなりになっちゃった、赤木あかりサンですね!」
目の前の美少女――女神様、とでも言うべきか――が、見た目にそぐわないやたらと軽いノリで、私の死亡を確定させてきた。
「あなたのその類まれなる『浄化』への情熱! ほとばしるプロ意識! この私、ちょー感動しちゃいました!」
「は、はあ……」
なんだか圧が強い。ぐいぐい来る。完璧なルックスと、中身の残念そうなギャップに、私の心は早くも「推せない…」と判断を下していた。
「つきましては、異世界でその力を振るい、世の穢れを清めてほしいのですっ!」
「い、異世界……」
出た。ネット小説で百万回は読んだ展開。三十年間、掃除と推し活にしか人生を捧げてこなかった私にも、ついにそんなお約束が。
ゴクリ、と喉が鳴る。
「ちなみに、その…チートとかは!?」
転生するならチートスキルは必須。これは古事記にも書かれている常識だ。私の切実な問いに、女神様は「もちろんです!」と胸を張った。
「あなたには、スキル『絶対清浄領域』! それから、無限に物が入る『アイテムボックス』を授けましょう! 便利でしょ?」
「おお……!」
悪くない。いや、かなり良い。掃除のプロにとって、無限収納と浄化スキルなんて最強の組み合わせじゃないか。
「さあ、行ってらっしゃい! まずは腕試しに、最も穢れた地『黒泥のダンジョン』の浄化をお願いしますね!(ウインク)」
「え、ダンジョン!?」
待って待って。話が重い。てっきり王都に召喚されて、聖女として王子様とどうこう、みたいな展開じゃないの?
「あの、もっとこう、安全な場所からスタートとかは…」
「大丈夫! あなたならできます! では!」
私の悲鳴は、まばゆい光と共に足元に広がった魔法陣に、無慈悲にも掻き消された。
一人になった神殿で、女神アストライアは、部屋の隅にうず高く積まれたゴミの山に視線を移す。
「うふふ……あの腕なら、きっと素晴らしいわ。いずれ、私のこの部屋も……綺麗にしてくれるかも……」
女神の不純すぎる動機など、知る由もない。
「……って、知るかーっ!!」
じめじめした洞窟に一人、私の絶叫が響き渡る。
鼻を突くのは、カビとヘドロが混じったような耐え難い悪臭。足元はぬかるみ、時折、名状しがたい何かが蠢いている。
「鬼畜仕様すぎだろ、あのクソ女神……!」
アイテムボックスからスマホ(もちろん圏外)を取り出し、メモ帳アプリに女神への呪詛を高速で打ち込んでいく。少しだけ、ほんの少しだけ、心が落ち着いた。
三十年間、真面目に働き、税金も納め、たまの休みに推し活をするだけの慎ましい人生だったのに。あんまりな仕打ちだ。
しばらく膝を抱えていたが、ふと、あることに気づく。
「……静かだ」
クレームを叫ぶ客もいない。指示を出す上司もいない。噂話に花を咲かせる同僚もいない。
誰も、いない。
「……てことは」
私の脳内に、一つの理想郷が浮かび上がった。
誰にも邪魔されず、好きな時間に起きる。掃除が終われば、ソシャゲのイベントを心ゆくまで周回し、保存してきた推しの動画をエンドレスで再生する。壁には等身大タペストリーを飾り放題。疲れたら眠る。
「……悪くない」
いや、むしろ、最高じゃないか?
面倒な人間関係から解放された、夢のおひとりさま空間。
そのためには、まず何が必要か?
決まっている。
「この劣悪な住環境を、なんとかしないと」
私の目に、清掃員としてのプロの光が宿る。
ゲーマー風に言えば、ここは初期リスポーン地点。ならば最優先すべきは、安全地帯の確保だ。
「よしきた!」
私は威勢よく立ち上がると、アイテムボックスに手を突っ込んだ。
中から出てきたのは、元の世界で使い慣れた、私の商売道具。伸縮性のモップ、角度の変わるブラシ、そして様々な汚れに対応する特殊洗剤の数々。
「見てなさいよ、クソ女神! この世界一汚いダンジョンを、世界一快適な私の城にしてやるんだから!」
まずは拠点確保。そして、輝かしい引きこもりライフへ。
転生アラサー清掃員の、静かで、誰にも邪魔されない戦いが、今、幕を開けた。