8、赤ちゃんは異世界転生者
目の前には、旦那様に抱っこされる緑髪の赤子。見た目はとっても可愛い……の、だ、が。
「な~、もう俺ミルクばっかで飽きた。酒ねえの?」
その口調はとてつもなく可愛くない。外見とのギャップがひどすぎて、口を縫い付けてやりたいくらいだ。
「これは……本当に珍妙な現象ですねえ」
アラスが不思議そうに赤子を覗き込む。
私より知識量が多そうな15歳に、質問した。
「ねえ、生後三ヶ月でお話する赤ん坊なんて、聞いたことないんだけれど。すっごい天才ってことかしら?」
「さあどうでしょう。そういったことは専門家に聞かないと。メリッサ様には弟君が数名おられますけれど、経験ないですか?」
「あるわけないでしょ。実の弟がこんな口調でしゃべってきたら、口にレモンをつっ込むわ」
「なぜレモン」
「酸っぱくて話せなくなるかなと」
「レモン持ってきましょうか?」
「ぜひ」
「待って待って、お願い待って。口が悪いのは謝るから、待ってくださいお願いしゃす」
「あ?」
「お願いします」
私とアラスの会話に、青ざめた赤子がお願いしてくる。その口調も悪いから、アラスが睨めば言い直してきた。そうよね、アラスに口答えできる人なんていないわよね。
「それで? お前は一体何者だ?」
それまで黙って聞いていた旦那様が、ようやく口を開いて腕の中の赤ん坊に問いかける。
赤ん坊はよくぞ聞いてくれたとばかりに、嬉しそうに笑って言った。
「俺さ、前世の記憶持ちなんだ!」と。
「前世?」
「そうそう! なんか俺、車にひかれて死んじゃったみたいなんだ。でも目を覚ましたら、こんな赤ん坊になって見知らぬ家にいるんだもんよ、いやあビックリしたわ!」
「車……馬車か? それは気の毒に」
「いや、馬はいなくてエンジンで走る車……まあいいわ。あのさ、ここってどこなの?」
「ここは我がフォンディス公爵家の屋敷だ」
「いや、国」
問われるままに旦那様が国名を答える。すると赤ん坊は深々とため息をついて「聞いたこともねえや」と呟いた。
「ひょっとして、俺ってば異世界転生した?」
「どうやらそのようだな」
赤ん坊の呟きに、なんの驚きもなく旦那様が頷く。私もアラスも、ああそうなんだって反応。
それを不思議そうに赤ん坊が見てくる。
「なんで驚かないんだ? 嘘だと思ってる?」
「いや」
言って、旦那さまは首を横に振った。「よくあることだ」と言葉を続ける。
「この世界には、不思議なことに異世界からの転生者が大勢いるのだ。私の知り合いにも数名いるが……とはいえ、稀有な存在ではある。まさか身内に転生者が現れるとはな」
そう、この世界で異世界の記憶もちなんて、珍しいが珍しくない。
多くはないが、それなりにいるのだ。私の周囲には一人もいなかったから、ちょっと驚いたけどねえ。
「そっかあ、キミ、転生者なんだね。何歳で死んじゃったの?」
「18歳だよ」
「それは……可哀想に」
18歳なんて、人生が一番楽しいときではないか。無茶なこと、冒険なことができる年齢。
「ま、しょうがねえや。真夜中に腹減ったからって、買い物に出たのが運の尽きってな。あれ絶対居眠り運転だぜ」
「諦めがいいね」
「人間に転生できたんならなんでもいいよ。しかも異世界だもんなあ。いやあ異世界転生って本当にあるのな、感動!」
そう言って二ッと笑う赤ん坊は、ちょっと可愛い。
現実を受け入れるなんて強い子だなと思って、私は赤ん坊を覗き込んだ。頭上では顔を赤らめる旦那様の気配があるが、気にすまい。
「あなた、なんて名前なの?」
「ん? 名前? う~ん、それが思い出せないんだよなあ……」
「そっか。完全に覚えてるってわけじゃないのね」
「なあ、あんたも転生者なのか?」
「私? どうして?」
「さっき、ハジメちゃんって……」
「あ~なんとなく浮かんだのよ。中には前世の記憶がほとんどない転生者もいるから、私もそうなのかもしれないね」
「そっかあ。もし転生者なら、その発想が出る時点で俺と同じ国出身だな。もっと思い出してくれよ、色々話したい」
会話の内容だけ聞けば、もうそれは同年代同士の会話。前世18歳で亡くなった彼と、現在18歳の私だから当然といえばそうなんだけど。
視界の片隅には、複雑そうな顔で私達を見つめる旦那様の顔が見えた。
「で、あんたが俺の母親なのか?」
「え、違うよ」
「そうか、そりゃ良かった」
私が母親だと不満なの?
と、ちょっぴり悲しくなった私の腕を、クイと赤子が引いた。
何かと顔を近づける私に、赤ん坊は「こんな美人が俺の母親だったら残念だからな! 大きくなったら嫁さんにしてやる!」と囁いた。
「落とすぞ」
直後、氷のような声音で脅す旦那様に、赤ん坊は口を閉じて目も閉じて「ぐ~」と寝るフリをするのであった。
旦那様、おとなげないですよ。