5、幸せ家族?
「ふええええ~~~~~ん!」
大きな公爵邸屋敷内に、赤子の泣き声がこだまする。
ついで、大人がバタバタと走り回る足音がする。
「え、またなの!? ねえミラ、ミルクもオムツも済んだわよねえ? だとしたら今度はなにかしら?」
「ええっとお……すみません、わかりません! メリッサ様、弟三人お育てになったんでしょう? 経験でわからないんですか!?」
「いやだって、私の弟は主に母が育てたから……」
「チッ、使えねえ!」
「今舌打ちした!?」
カマキリ探しの旅がお預けになってから、私付きのメイド、ミラの機嫌はずっと悪い。それこそ赤ん坊を迎えることが決定してから実際にやってくるまでの間、そして今もずっと!
「ごめんてミラ、カマキリ探しはまた今度、ね?」
「そう言ってるうちに、冬が来ます。教会の子供たちに持って行くって約束したのに……」
「でもあの子達、そんなにカマキリ欲しくなさそうだったわよ?」
思い出されるは、孤児院を併設する街の教会。
その教会で子どもたちの面倒を見ているのは、ミラの恋人である男性だ。神父様やシスターもいるけれど、労働力として雇われているのだ。
その延長で、ミラも何かと手伝っている。それを私も手伝っている。
で、最後に会ったとき、ミラの熱量に対して子供らのカマキリに対する熱量低かった気がするんよね。
──という脱線は、今はいい。
今するべきは、泣きじゃくる赤ん坊の世話!
「うーん、わからない。となれば、これよね!」
そう言って、私はおもむろに赤ん坊を抱っこした。途端に泣き止む赤ちゃん。赤子には悪いが、涙目がなんとも可愛らしい。
「あーらら、これは絶対抱きぐせがついちゃいましたね。メリッサ様が甘やかすからですよ」
「いいじゃない。いっぱい甘えたらいいのよ」
そう言って赤ん坊に頬ずりすれば、途端にご機嫌にキャッキャキャッキャと笑い出す。うはあ、たまらん!
赤ん坊が我が家にやってきて早一ヶ月。ミラはブツブツと呪いのように『カマキリ』と言い続けているが、そのじつ赤ん坊をとても可愛がっている。もちろん私も。
そして。
「二人とも、大丈夫かい?」
「あらクラウド様。お仕事は大丈夫なのですか?」
ひょっこり部屋に顔を覗かせたのは、この屋敷の主人である私の旦那様。
彼もまた、赤ん坊を溺愛する一人だ。
「今ちょうど休憩に入ったところだよ。どれ、僕の可愛い息子はまたぐずってるのかな?」
そう言って赤ん坊を覗き込めば、また笑う赤ん坊、ニヤける旦那様。
はたから見れば、私達はとても幸せな親子なのだろうな。……実際は、赤ん坊は甥になるのだけれど。
息子と呼ぶも、まだ正式な養子の手続きはしていない。もしかしたらラウルド様の気持ちが変わるかもしれないからね。
ラウルド様が新転地の生活に慣れたら、またじっくり考えてもらおうとなっている。
「そういえば旦那様、この子の名前、早く決めてくださいませ」
「う~ん、それがなかなか良いのが思いつかなくてねえ」
「もうすぐ産まれて三ヶ月なんですよ」
「そうだね。メリッサも考えてくれる?」
「じゃあデキルドで」
「なにそれ」
「クラウド・ラウルド・デキルド……よくありません? デキルコでもいいです」
「訂正。キミは考えなくていい、俺が考える」
「なぜ」
納得いかんが、まあいい。
腕の中では赤ん坊が「あーあ、うーう」と可愛い声を出して手を伸ばしてくる。
「はあい、なんでちゅか? ママはここでちゅよ~」
「ぶふっ」
すっかり母親ヅラで赤ん坊に答えたら、背後で変な音が聞こえた。振り返ればそこは血の海。
クラウド様の顔が血まみれスプラッタ。
「恐っ!」
「め、メリッサがママ……可愛すぎて破壊力がヤバイ」
ヤバイのはお前だ。
と言ったのは私じゃないよ、私のそばでボソッとミラが言ったのだ。まあ私も思ったが。
赤ん坊が来てから、うちの旦那様の壊れっぷりが半端ないんだよなあ。
ことあるごとに、「赤ん坊を抱くメリッサ……尊い!」とか「俺はなんて幸せ者なんだ」とか言ったり。
挙げ句に「弟よ、安らかに……子供は幸せにするから」などと勝手に弟を亡きものにしている。
弟君、すっごい元気だし。昨日も手紙来たし、毎日来てるし。こっちも毎日返事書くの大変だからアラスにお願いしたら舌打ちされたし。ミラといいアラスといい、うちの使用人、自由度高いな。
とか思っていたら、「仕事さぼんな! 鼻血出してんな!」と叫ぶ執事に旦那様は引っ張られていった。お気の毒。
賑やかさは、けれど赤子が起きてるときだけの一瞬のもの。
スヤスヤと眠れば訪れる静けさ。
「お洗濯してきますね」
そう言ってミラが部屋を出れば、途端にノンビリした空気が流れた。
ベビーベッドを覗き込めば、安心しきった様子で赤子が眠る。
その横には先ほどまで咥えていたはずのおしゃぶり。泣いたから落ちちゃったのね。
「可愛いなあ」
言って、私もソファに身を預けた。
赤ん坊は私とミラで育てることにしたので、乳母はいない。夜泣きは頻繁ではないけれど、それでもちょっと寝不足。
気づけば私は眠ってしまっていた。
そよそよと風が心地良い。
「……い」
だから眠りは思いのほか深い。
「……おい」
そんな私に誰かが声をかける。
「おい、起きろ!」