16、誘拐犯を追いかけろ
なぜ中庭に出てしまったのかと後悔しても遅い。
アーサーの誕生日パーティーには大勢の招待客が来てくれた。場は大いに盛り上がり、さすがに空気を読んで1歳児しているアーサーも、楽しそうに笑っていた。
だというのに、少し外の空気をと考えたのが間違いだった。
突然音もなく忍び寄る影。「あ」とアーサーが言ったと同時、腕の中が急に軽くなりアーサーが奪われた。
伸ばした手はけして届くことはなく、不安そうに私を見つめる目が闇に消えていった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで……ごめんなさい、旦那様、ラウルド様!」
「メリッサ落ち着け。キミのせいじゃない。賊の侵入を許した俺のせいだ」
パニックになって涙ながらに謝罪する私の背を、旦那様が優しくさすってくれる。それで私の涙が止まることはないけれど、それでも幾分落ち着いた。
「今、ラウルドが追いかけている」
「見つかるでしょうか」
「分からんが、ダメだった時は私が行く」
「旦那様が?」
「ああ。今宵は……だろ?」
そう言って、彼が空を見上げると同時。
ザザッと草木をかき分ける音がして、私は慌てて音のほうを見た。
しかし現れた複数の警備の者に、その先頭にいながら私達に向かってきた人物……ラウルド様の腕は空っぽだった。
「見失いました。かなり手練れのようで、僕でも付いていくことは不可能です」
ラウルド様は剣技の才もあり、身体能力も非常にすぐれている。そんな彼が追いつけないなんて……。
「私が、あの手を離さなければ……」
「いえ、義姉上のせいではありません。誰だって不意打ちに対応できるわけないのですから」
「ですが……」
言って、私は涙に濡れた顔を上げた。その先にあるラウルド様の目は、本当に私を責める色は宿っていない。
それがまた私に涙させる。
情けない、情けない、なんと情けない!
いつもふざけてばかりでも、いざとなれば守ってみせると思っていた。本気でそう思っていた。
小憎たらしくも、可愛い我が子のような甥。
「あの子の温もりが、香りが、まだ腕の中にあるというのに……だというのに、私の指先はどんどん冷たくなっていくのです。香りが薄らいでいくのです。不安そうなあの目だけが、こびりついて離れない……!」
「メリッサ落ち着け」
放っておいたら、私はどんどん自分を責めたことだろう。罰を受ける覚悟もある。
だがそんな私の震える体を、旦那さまは優しく抱きしめてくださった。
「大丈夫だ。言ったろう? 俺が行くと」
「ですが……!」
「私に任せろ」
そう言って、旦那様は私の額に優しく口づけを落とす。
それからまぶたに。
頬に。
そして──唇に。
変化が起こるのは、その瞬間。
* アーサー視点 *
ああしくった、やっちまった、失敗した。
後悔の言葉は色々浮かぶも、だからって何ができるわけでもない。
こんな非力で小さな体……1歳児にできることなんて、ほとんどない。
今俺は謎の黒装束の男に抱かれて移動している。これが可愛くていい匂いのする女の子だったら大喜びなのだが、なんにも嬉しくない、ゴツゴツした体が痛いむさい男ときてる。
誕生日パーティーでは、色々な女性に可愛い可愛いと抱っこされて至福の時を過ごしてたってのに、まさかの誘拐とか。
これ、俺どうなるんだろう?
公爵の息子と勘違いされたのなら、身代金の請求か?
殺すつもりならその場でやってるだろうから、やっぱり誘拐の線が濃厚かなあ。
やけに冷静なのは、危害を加えられる可能性が今のところないから。この後のことは知らんが。
男はやがてどこぞに止めていた馬車に乗り込み、馬車はすごい勢いで走り出した。
こりゃ公爵領を出るかもしれないな。
(一体どこに──)
チラリと目を向ければ、馬車内には複数の男がいるのが見て取れた。
「よし、成功だ。このまま主のとこまで届けるぞ」
俺が1歳だから油断しての会話だろう。
なるほど、やはりこいつらは雇われか。黒幕は別にいるのなら、正体をじっくり見てやろうではないか。
できれば、妖艶な美女とかがいいなあ。
なんて考えてることを知ったら、絶対あの恐い伯父が睨み付けてくるんだろうな。
でも今、俺のそばにあの人はいない。
大好きなメリッサも。
実の父親も。
誰もいないことがこんなにも不安になるなんて。
思っていたより俺は、あそこでの生活を楽しんでいたんだな。
平和な公爵家での日々を思い出して、こっそり笑みを浮かべる。