99話 武辺者の侍従、サロンに行く
招待状の指定に従い、私たちは学院の制服姿でサロンに向かう事にした。
メンバーは、ミニヨ様、エルゼリア様、リーディア、そして私――セーニャ。ちなみに私たち従者には学生用とは意匠が少し違う従者用制服が用意されている。ただ、私もリーディアも着る機会がない。学院生活では私たち従者は、着慣れたメイド服に腕章を付けているのが普通だ。むしろ、きちんと従者用制服を着ているのは、シュラウディア様のような“本物の侍従”くらいかもしれない。……ちなみに、あの従者制服、見た目はきっちりしてるけど、ガーターにナイフを仕込むにはちょっと不便なのよね。抜きにくい。
ちなみに私は、ユリカ様のお付きとして何度かサロンに同行したことはあるが、自分が招かれる側になるのは初めてだ。ましてやサロンという場に出たことすらないミニヨ様は、明らかに顔がこわばっていた。「大丈夫ですよ、ミニヨ」とエルゼリア様が姉のようにそっと声をかける。彼女は子爵令嬢なのでこういった場数経験があるのかもしれない。そのやり取りを見て少しだけ空気がほぐれた。
私たちはリーディアの招待状に書かれていた追伸についても話し合った。王族開催のサロンに手作りケーキなんか持ち込んでいいのだろうか、と。もし事故が起きれば国際問題は必至だろうし、きっとミニヨ様やエルゼリア様は退学……いや、除籍となるかもしれない。それよりも素人が作る不格好なものを持って行って喜ぶのだろうか、と。
話し合っても答えは出なかった。こうなったら追伸を真に受けて、手土産として四人でチーズケーキを焼いた。味の調整はミニヨ様とエルゼリア様。焼きと包みは私とリーディアの担当。いくつか作った中で一番見た目がまともなのを持っていく事にした。“招待状のおねだり返し”として、心を込めて仕上げたつもりだった。もちろん食品事故防止のため細心の注意を払って。──とか言いながら、結局みんなでわいわい楽しく作っちゃったんだけどね。
*
安息日当日。拝星宗のエルゼリア様とリーディアが礼拝を済ませてからミニヨ様と私が住む寮へやってきた。そしてミニヨ様用の姿見を使って四人で何度も制服の着こなしを確認してから、小さな箱馬車を呼んでラヴィーナ様が住んでる寮へと向かった。歩いていけば十分もかからないぐらいの距離だけど、せっかくサロンにお呼ばれしたのだから、少々見栄を張って馬車を呼んだのだった。
見栄張ってちょっと良い箱馬車呼んだはずなのに、ヴィンターガルテン家の馬車に比べたら乗り心地がひどかった。これに長いあいだ乗ってたら痔になるか腰が壊れるかもしれない。
ラヴィーナ様お住まいの寮に着いたのだが、これはもう寮ではない。大邸宅でもない。小さな宮殿だった。『さすが王族だな』と雑な感想が頭をよぎった。箱馬車の会社が先触れを出してくれていたおかげで、城門と思わせるほどの壮大な門をくぐり、大理石で出来ているであろう荘厳な玄関で降ろされた。
「今日はお越し頂きありがとうございます」
出迎えてくれたのは従者用制服姿のシュラウディア様だった。ただ、履いているタイツもさりげなく使っている髪留めもどう見ても普通の品だ。しかもピアスに至っては近所の雑貨屋で売っていたそれである。私たちはせっかくお呼ばれしたのだからと絹のタイツや俸禄を貯めて買った髪留めをして張り切ったのだが、ちょっと張り切りすぎたかなと後悔したぐらいだ。
「では、我が主人がお待ちですのでこちらへどうぞ」
そう言って、まるで学校の廊下のようなところを歩き進んだ先に樫材の大きな扉の前で止められた。
「ここから先、ラヴィーナ様のサロンです。そのため申し訳ありませんがボディチェックのご協力を願えますか?」
そう言うとどこからともなくメイドたちが現れて私たちの身体をまさぐりだした。普段ガーターに下げてるナイフは外してきてるので止められなかったが、チーズケーキを取り分ける用のケーキサーバーは没収されてしまった。
「ラヴィーナ様の我儘をお聞き頂きありがとうございます。ケーキはこちらでサーブしますので預かりますね。──ではようこそ、ラヴィーナ様のサロンへ」
サロンの扉が開いた時、思わず足が止まった。ラヴィーナ様が制服姿で、少しぎこちない笑みを浮かべて立っていたのだ。新品おろしたての制服を着ているせいか、なんだかぎこちなさを積み増しているようだった。
「よ、ようこそ私の“花園”へ!」
上擦った声でそういうと、部屋いっぱいに生けられた花の真ん中の円卓を勧められた。そこにはチョコレート色の趣味の良い名前札が置かれており、私やリーディアの名前まで書かれていた。メイドたちが椅子を引いてくれたので、私たちはおずおずと腰掛けた。そしてお茶を入れて出してくれた。
私の本職はメイドだ。だが軍属として主人の護衛も兼ねているために“武闘メイド”なんて言われているが。そのため月に数度は「礼法教練」として接客応対訓練を受けるし、メイド隊の階級序列も三位なので後輩たちの指導もする。
──だが、オリゴ隊長の下でメイドをやってる身から言わせて欲しい。この家のメイドの練度が低すぎる。私がミニヨ様の従者としてキュリクス領主館を離れる頃、メイド隊の新兵だったプリスカさんやロゼットさんよりも練度が低く、あまりの雑な仕事ぶりに違和感を覚えたくらいだ。リーディアの顔を見た時も、ラミルフォード家のメイドである彼女の目から見て「あれ?」って声が聞こえた気がしたぐらいだ。
その最たる例はお茶の淹れ方。その味たるや……本当にひどかった。きっとお湯で余熱もしないポットにぐらぐら煮立ったお湯を入れてから茶葉を放り込み、乱暴にかき混ぜたのだろう。これでは味も香りもしない、苦みと蘞味が出てきてしまう。──こんな淹れ方をしたらマイリス副長から「このぉ〜、ポンちゃん!」とお叱りを頂いてしまう。
他にも言い出したらきりがない。行き届いてない掃除、お皿やカトラリーの雑な並べ方もだ。
それにサロンと聞いてたから、ラヴィーナ様のご友人やご家族、貴族が来てるかと思ったのだが、招かれたのは私たちだけだった。円卓でラヴィーナ様にもてなされる私たちだが、今まで話した事もない相手にどうやって『楽しいお茶会』にすべきなのか。ラヴィーナ様が無口なのか、それともどういう話を振っていいのか、ミニヨ様もエルゼリア様も悩んでいるだろう。ただただ静かに、シュラウディア様の軽やかなピアノの音だけがサロン内に響き渡るのだった。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。
シュラウディア様のピアノもレパートリーの枯渇からか古典曲から最近の俗な曲に変わった時だった。エルゼリア様が「これ、この前の旅芸人の舞台の曲ですよね」と漏らす。
そう言えば二か月ぐらい前に広場で行われた演劇の舞台でこんな曲があったなぁと思い出す。ちなみに劇のあらすじは、父親が勝手に決めた男との結婚に反対し、娘と恋仲の男が森の中へ駆け落ちする。婚約者の男と、その男に恋心を持つ女が森の中へ探しに行くという話だった。いたずら好きの森の妖精パックのいたずらで、二組の男女の恋心が交じり合うって愉快な話だった。嫁入り前の女四人がげらげら笑い過ぎて周りが若干引いてたのは、今思い出すとちょっとだけ恥ずかしい。
その劇中歌がピアノで奏でられたのだ。
「え、エルゼリア……様も、その、劇、観られた、ですか?」
エルゼリア様の言葉を聞いて、初めてラヴィーナ様の表情が輝いたのだ。エルゼリア様は静かに、「えぇ」と一言間を置いてから続ける。
「あ、はい。この四人で、広場でやってた旅芸人一座の演劇を観に行ったんですよ。ねぇミニヨ」
「えぇ。その代わり四人揃っての席は随分と後ろのB席しか取れませんでした。おかげで、前に大きな木や照明機器があったんです。だけど観てて楽しかったです。──ラヴィーナ様もご覧になられたんですか?」
「あ、はい! 舞台や演劇は好き、なの、で……」
話が続かない。
私たちも話の輪に入って盛り上げた方がいいのか、それとも見守っていたほうがいいのか、少し悩む。だって私は従者だ、主人の話にしゃしゃり出るのはいささか礼を欠いている。それはピアノを弾いてるシュラウディア様も同じなのだろう、先ほどからリズムが早くなったり遅くなったり。そして話が続かないため、またもラヴィーナ様の表情が少しずつ曇り始めた。
「あの、もし嫌じゃなければ、次、何か旅芸人一座が来たら、一緒に参りませんか?」
エルゼリア様の言葉を聞いて、ラヴィーナ様の表情がぱぁっと輝く。
「えぇ、是非! 再来週、広場にビルビディア王立歌劇団の舞台が来るので一緒に行きませんか?」
まさかのお誘いだった。ミニヨ様もエルゼリア様も笑顔で「えぇ、是非に」と応えていた。
「ビルビディアの王立歌劇団でしたら、ローレライのお話が好きですわ」
「えー! エルゼリア様は悲劇がお好きですの?」
「どちらかといえば悲劇が多いかも? 結ばれない二人がその恋に苦しむって話とか。――ミニヨはどちらかというと恋愛モノが好きよね?」
「――まぁ、ね」
ミニヨ様は顔を真っ赤にして俯く。昔からミニヨ様は恋物語を好んで読まれるのは知っている。ちなみに一番好きな話は、恋人がポケットサイズになり、常に胸ポケットにいれて生活するって話だったはずだ。
「それでしたらわたくしは、退屈な王宮から逃げ出した王女様が新聞記者と一日限りの恋に落ちるって話が好きですわ!」
「それ知ってます! 街のあちこちを二人でめぐってアイスクリームを食べてって話ですよね!」
「そうそう! 最後の、王女は他人のように奥の間へと消えていき、新聞記者が舞台中央でピンが当たって緞帳がおりてくあのシーン! ミニヨ様、ほかにはどんな話が?」
「――初恋は林檎の木の下で、って話が好きです。今まで何気なく会ってた娘が年ごろになって髪を結った姿を見て、少年が恋をするって話!」
「……ミニヨ様って案外かわいいところがあるんですね!」
「案外ってちょっとひどい!」
「ミニヨってねぇ、ロマンチストなところもあるから!」
よかった。話に弾みがついたようで、三人はあれこれと演劇の話に花を咲かせていた。これは良い流れだと感じてリーディアを見ると、彼女も「ほっ」としたように小さく頷き返してくる。
しばらくして、メイドたちが立派な銀のケーキスタンドを運んできた。……が、なぜか中身は空っぽだった。
そこへ、シュラウディア様が一枚のお皿を手に現れる。――その上には、まさか、私たちが焼いたチーズケーキが載っていた。
「これ……」
ラヴィーナ様は一瞬目を見開き、すぐに微笑んだ。
「ありがとう、シュラウディア。こちらでいただくわ」
そう言ってフォークを手に取り、一口。
「……うん。美味しい。すごく、美味しいわ」
その表情があまりにも幸せそうで、私たちまで照れてしまう。本当に食べたかったんだな、と思うと、作る直前まで迷っていた自分たちが少し可笑しくなる。
「実は、私たちも焼いてみたんです。お口に合えばいいのですが――」
そう言ってラヴィーナ様が合図すると、メイドが新たにお盆を運んでくる。載っていたのは、丁寧に六等分にされたブルーベリーパイ。あの課題で彼女が提出していたものと、まったく同じ見た目だ。
網目状のパイ生地は艶やかに焼き上げられ、表面の香ばしい焦げ目に、手慣れた技術の跡がうかがえる。
「シュラウディアと一緒に焼いたの。よければ、一緒に召し上がって」
一口かじった瞬間、思わず私は目を見開いた。……なにこれ、驚くほど美味しい。外はさくりと香ばしく、中はしっとり。ブルーベリーの酸味と甘さが、本当に絶妙なバランスだった。
「それで……その……」
ラヴィーナ様は少しだけ照れたように、言いにくそうに言葉を継ぐ。
「チーズケーキのレシピ、もらえないかしら? ――ビルビディア歌劇団の次回公演、チケット、私が全部用意するから!」
あまりにも豪快なおねだりに、私たちは揃ってぽかんとしてしまった。あのチケット代は、普通に買えば私たちの生活費が軽く吹き飛ぶ額だ。しばらくは、質素を通り越して“ひもじい”生活になってしまうかもしれない。
「……あの、よかったら」
ミニヨ様がそっとカバンからノートを取り出す。
「これ、私たちが試作した記録です。……ラヴィーナ様、よければお使いください。チケット代は……その、みんなで割り勘にしませんか?」
「ありがとう、ミニヨ様。……いいえ、ミニヨさん」
その呼びかけの響きに、部屋の空気が――ほんの少し、やわらかく変わった気がした。
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・作者註――元ネタ
☆二か月前に見たという劇。→『真夏の夜の夢』(シェイクスピア)
そういえば、ベルセルクに出てくるパックってエルフなのね。
☆ローレライ→ハインリヒ・ハイネの詩だったり、映画だったり。
☆結ばれない二人が(略)→ロミジュリ系。
個人的には『アイーダ』が好きかな? 次点で『ウェイストサイド物語』。
映画ならL.ディカプリオの『ロミオ♰ジュリエット』も良いね。
☆王女と新聞記者→ローマの休日
あの映画を見てベスパ欲しくなり、16歳になってすぐに普通二輪取った。
で、結局、スズキのヴェルデ乗ってた。
☆恋人がポケットサイズになり(略)→南くんの恋人
高橋由美子版が好き。
☆初恋は林檎の木の下→島崎藤村の詩集『若菜集』より『初恋』
小さい頃からめちゃくちゃ好きでして。




