98話 武辺者の侍従、招待状を貰う
午後の陽はステンドグラス越しに色を変え、読書室の床に蒼と碧の淡い模様を落としていた。
その部屋に静かに佇む少女がひとり。
ラヴィーナ・パルミエ。
かつて幼い頃には、誰もが「未来の薔薇になる」と口を揃えた王族の娘だ。その彼女の視線は本の活字ではなく、向かいの机に座る二人の少女へと注がれていた。
ミニヨ・ヴィンターガルテンとエルゼリア・ラミルフォード。出身国も家柄も、性格も髪の色も違う。 それなのにあんなふうに自然に笑い合っている、まるで昔からの友達のように。そして二人の従者たちも、共に仲睦まじく振る舞う様子は見ていて思わず羨ましくなる。
──本来なら、私もあのように学生生活を謳歌できるはずだったのに。ラヴィーナは心の中で小さく呟いた。
本来なら母国の貴族女子学校に進み礼節を学ぶはずだった。幼い頃から仲の良かった友人たちと同じ制服に袖を通し、礼儀と舞踏を学び、詩の課題で笑い合う──そんな未来、疑いもせずに信じていた。
けれど、「おまえは、ヴィオシュラ女学院へ行きなさい」と父の命令はあまりにも一方的であっさりだった。理由も説明もない、ただ“将来のためだ”とだけ。
──けれど、その“将来”が誰のものなのかは父は語ってくれなかった。
貴族の子女のなかにはヴィオシュラ女学院への進学を羨む者もいるだろう。女子の花形学問である錬金学を学び、国際的な人脈を得る──そんな夢を抱く者もいる。だが、ラヴィーナにとってそれは希望ではなく“遠ざけられた現実”だった。
友も、言葉のなまりも、習慣も──すべて生まれ故郷に置いてきたもの。その喪失感のなか、この学院で彼女に話しかけてくる者は決まって“目的を持つ者たち”ばかりだった。
うわべの笑顔とちらつく欲望をぶら下げて彼女の隣に座ろうとする。──王族としての私を利用するために。継承順位が高くないとしても肩書きだけでも十分な“資源”なのだろう。
だがあの二人は違った。
ヴィンターガルテン家は地方の武官貴族、ラミルフォード家は文官系の政務家の出。しかもどちらも他国の貴族。この学院の社交序列では特筆すべき立場とはいえず高位貴族家でもない。どちらかというとむしろ地味な家柄だろう。それなのに一緒にいるときのふたりは誇り高く楽しげだった。虚勢ではなく自然体のまま。そして勉強にも真摯だし、特定の派閥に与する様子もない。
──そして何より忘れられない事があったのだ。
ラヴィーナは、本を静かに閉じた。
「……シュラウディア」
控えていた若い侍女がすぐ一歩前へ出る。
「はい、お嬢様」
「次の安息日の予定は?」
「礼拝のあとは、空いております」
ラヴィーナは一拍置いて息を吐くと、読んでいた本に桜花の栞を挟みそっと机に置いた。
「茶会を開きましょう。招待状を……ヴィンターガルテンとラミルフォード、そして従者にも。そして追伸に“あれ”を書いておいて欲しいわ」
シュラウディアはわずかに目を瞬きながらもすぐ頷いた。
「かしこまりました」
少女の指先が机に置かれた本の縁をそっとなぞる。そして誰にともなくかすかに囁いた。
「あの方たちとお近づきになれるかしら──」
※
講義の合間、私――セーニャ・マリノヴァとリーディアは、従者専用の控室で静かに待機していた。少し前から、その待機時間を使ってふたりで編み物をしている。久しぶりにかぎ針を手に取り、初心者のリーディアに編み方や編み図の読み方を教えるのが密かな楽しみになっていた。こうした余暇が許されるのも、ミニヨ様やリーディアのご主人であるエルゼリア様のご理解あってこそだ。
……えっと、じつは先日、思い切って文官長に手編みのカーディガンを贈ってしまった。
いや、ほんと、今思い返してもどうかしてたと思う。だっていきなり手編みよ? こんな自己満足の押しつけ、重すぎるに決まってるって、頭ではわかってたのに。それでも毎週の報告書を書くたびに「ちゃんと食べてるかな」「今週は徹夜してないといいな」って、そんなことばかり考えてしまって……。結局、一目一目に想いを込めて、週末の報告書にそっと忍ばせちゃった。
かぎ針を握りながら、「……やっぱり重いよね」って何度もため息をついたけれど、それでも手は止まらなかった。迷惑だったかもしれないけれど、ほんの少しでもあの人が温かいと感じてくれたなら。
そんなことを考えていたら、隣のリーディア・ブランブルが声をかけてきた。先ほどから編み図をじっと見つめて手が止まっていたから、そろそろかな、とは思ってたけど。
「セーニャ、ここのスイカみたいな編み目記号は何ですの?」
「これは長々編み六目の玉編み目です。ほら、斜線が二本あるから長々編み。で、一つの目から六本筋が出てるから、こうして……未完成の長々編みを六目作って、一気にすっと引き抜くと、こういう模様になるんですよ」
「へぇ! ――で、セーニャ。文官長様から、お返事は?」
……やっぱり訊いてきた。興味津々な顔してるし。
リーディアには送ったって話してたけど、返事はまだ来てない。うぅ、やっぱり迷惑だったんじゃ……と、ただいま絶賛後悔中である。
そんな時、終業の鐘が鳴った。リーディアはちょっと残念そうな顔をしたけれど、私は心の中で鐘に感謝した。追及から逃げられた。……まぁ、話すこと、あんまりないんだけど。
他の従者たちは次々に立ち上がって主のもとへ向かっていく。さっきまで大声で喋ってた方や、娯楽小説に夢中だった方、ぐーぐー昼寝してた方まで、皆そそくさと控室を後にした。
私たちのご主人は授業のあとは先生に質問することが多く、いつも教室を最後に出てくる。そのため慌てずここから出なくても主を待たせる心配はない。私とリーディアはかぎ針をしまい、毛糸を整えていつも通りの手順で立ち上がった――そのときだった。
「マリノヴァ様、ブランブル様。少々、よろしいでしょうか」
不意にかけられた声に私たちは驚いて顔を上げた。
そこに立っていたのはラヴィーナ・パルミエ様付きの侍女、シュラウディア・ルコックだった。真紅の髪をきちんと束ねた彼女は、いつも毅然としていて隙がない。だけど私語を交わしたことなんて今まで一度もない。そんな方から突然声を掛けられたのだから驚きもする。
リーディアがすぐに一歩前に出て小さく頭を下げた。
「はい、何か御用でしょうか」
控えめながらも丁寧な所作だった。さすがだなぁ……と、内心思っていたら、シュラウディアは静かに一礼するとバッグに手を突っ込んだ。
「こちら──次の安息日の午後、サロンを開きますのでその招待状です。主従お揃いでお越しください」
取り出されたのはリボンが飾られた上品な封筒が二通ずつだった。エルゼリア様とリーディア、それからミニヨ様と私に宛てたもの。
私は思わずリーディアの顔を見る。彼女も私を見返してきた。言葉が出てこない。
従者にまで招待状を? それも、王族のサロンに?
リーディアは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにいつもの調子で微笑んだ。
「ありがたく拝受いたします。主君にもすぐお渡しいたしますね」
彼女の言葉にシュラウディアは静かに一礼し、それ以上なにも言わずに去っていった。
残された私は手元の封筒を見つめたまま――どうにも心の落ち着きどころが見つからなかった。
……これ、ほんとうに、私たちが行っていいの?
※
シュラウディア様が去ってすぐ、私たちは控室で忘れ物の確認を済ませてから廊下へ出た。ちょうどその時、ミニヨ様たちが教室から出てこられたので、
「ミニヨ様、エルゼリア様、お話があります」
と声をかけ、いつもの木陰のベンチへと向かった。
周囲をひととおり見回して、誰も立ち聞きしていないことを確認してから先ほどの出来事──シュラウディア様から招待状を受け取ったことをお伝えする。二人は最初こそ半信半疑だったが、封筒をちらりと見せるとミニヨ様が真っ先に言われた。
「学校で中身を開けるわけにもいかないわ、すぐ寮へ戻りましょう」
今日はもう授業がなかったため、私たちはそのままミニヨ様のお部屋へ向かうことにした。ちなみに学校とエルゼリア様の寮の中間ぐらいに私たちが住む寮があるのだ。二人が立ち寄るにはちょうどいい――そのかわり、ミニヨ様の掃除は気合い入れないといけませんが。
部屋に入り、いつもの客用椅子をエルゼリア様たちに勧めた。そして改めてエルゼリア様とミニヨ様に招待状をお渡しすると、お二人は静かに封を切られた。その中身はごく簡素な文面だった。
『お茶会をしますので、是非ともサロンへお越しください』
……それだけだった。
「そもそも、お茶会を開くサロンってどこでしょう?」とリーディアが問いかける。
「確かラヴィーナ様は、この寮から二ブロック先に住んでたはずよ」とエルゼリア様が答えた。二ブロック先ってことは、まるでお屋敷みたいな寮だ。少なくとも私たちが住んでる寮よりも大きい。
「私たち、お茶会に誘われるようなことしたっけ? そもそもラヴィーナ様と話したことすらないのに」
とミニヨ様が首を傾げる。確かに四人ともラヴィーナ様と親しく話したことなど一度もない。
「正直……近づくなオーラ、すごいよね。入学直後なんて――」
エルゼリア様が語るラヴィーナ様の印象は「おっかない人」だったそうだ。入学当初、王族らしいと知った何人かの生徒が話しかけたものの、冷たい視線を送るだけで言葉すら返してこなかったという。もちろん社交界には“目上に声をかけるのは無礼”という慣習もあるけれど、それを学校にまで持ち込むとは……と、彼女は困惑したらしい。
「私は……まったく話したこともないけど、怖いというより“すごい雰囲気”の人って感じかな」
とミニヨ様。続けて、「“気を抜けない”人……ずっと何かを考えてるような顔してるよね」とも評していた。
「それってラヴィーナ様のお付きの方も、同じですよね」
リーディアの言葉に私は静かに頷いた。確かに従者控室でも誰も寄せつけない雰囲気がある。話しかけても「勤務中です」ときっぱり断る彼女は主従揃って孤高を貫く人、という印象を受けていた。
「てか、私たち……何かやらかしたんじゃないの?」
ミニヨ様の呟きに誰もが一瞬黙り込む。とはいえリーディアも私もシュラウディア様やそのご主人に対して無礼を働いた記憶などない。ミニヨ様たちも身に覚えはないようであった。
「そうだ、セーニャさんたちの招待状も開けてみたら?」
エルゼリア様の一言で、私とリーディアは自分たちの招待状を開封する。封蝋がついた手紙なんて、文官長以外からは初めてもらうかも。いつもの癖でガーターからナイフを抜くとミニヨ様から「ナイフを抜く時は一言いいなさい」と窘められてしまった。
中の文面はおおむね同じだったが、私の便箋には一言、追伸が添えられていた。
『主従共々、普段の制服姿でお越しください』
これは……なかなか気の利いた心遣いだと感心してしまった。制服姿を指定するということは、“服がないから行けません”という逃げ道を封じたということだ。
「制服指定って、むしろこっちが気を使わないようにしてくれたのでは?」
とエルゼリア様が言えば、
「むしろ気を使いますよ」
とリーディアが笑う。私も同じ感想だ。制服で行くならきれいに洗ってアイロンをかけ、ほつれも直しておかねばならない。……オリゴ隊長に仕込まれた私には当然のことだけれど、それでも気が引き締まる思いだ。
――“いつも通りのことをやればいい。無理をするから人は失敗する”
オリゴ隊長の言葉が心の中に静かに響く。
「ねぇ……もしかして、だけど」
リーディアの便箋にも追伸があり、それを読んだエルゼリア様が眉をひそめた。
『──あの時のチーズケーキの味が忘れられません』
「まさか……」
と、ミニヨ様が小さくつぶやいた。
私も同じ考えに辿り着いてしまう。
──このお茶会、もしかしてラヴィーナ様なりの“おねだり”なのでは……?
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