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95話 武辺者、初夏の主神祭の企画をする

 キュリクスでは初夏の頃に長い雨が降る時期がある。

 人々は「長雨の季節」と呼び、その雨にうんざりしつつも降らなければそれは寂しいと思うようである。


 そんな長雨の季節が終わりを告げるような朝が来た。陽は高く、青い空には白い綿菓子を薄くちぎったかのような雲がいくつか浮かぶ。だが、開け放たれた窓から差し込む光や爽やかな風とは裏腹に、領主館の評定室には妙な緊張感が漂っていた。


 長机を囲むのは、領主ヴァルトア・ヴィンターガルテンを筆頭に、武官、文官、そして一部の使用人たち。週明け恒例の評定である。帳簿が並び、議題の札が卓上に置かれているが――今朝の空気は、なにかが違った。


「……ところでさぁ」


 沈黙を破ったのはユリカだった。槍の達人にしてヴァルトアの妻であり、今日も鮮やかな藍色の上着に身を包み、堂々たる姿で椅子に座っている。


「ノックスさん。あんた最近、館で見ないわよね。ちゃんと仕事してんの?」


 その声に、やや遅れて一人の男が立ち上がった。


 細身で背は高い。テールコートを着こなし、年齢不詳の顔立ちは常に薄く笑みを浮かべている。どこから現れたのか評定室の壁際にいつの間にか立っていたのだ。


「ご心配をおかけして恐縮です、奥方。わたくしノックス、現在は“領主館市民サービス出張所”に常駐しております」


「なにそれ」


 ユリカが眉をひそめるのと同時に、トマファが補足するように言った。


「中央市場の一角に作ったんです。住民票の発行、納税証明や年金相談、転居届けの受付などキュリクス市民の利便性を考慮した出張窓口です。意外と好評で」


「はぁ……じゃあ、ちゃんと働いてたのね」


「ええ、おかげさまで。先週も“スケルトンのホネ先生”から年金の受給資格についてご相談がありまして。八百年前の帳簿を掘り出すのに骨が折れました」


「それ、洒落……?」


 アニリィが呆れとも困惑ともつかない声を出す。


 ウタリがぼそりと「この領って、たまに常識が狂うよね」と呟き、クラーレがため息まじりに「私はもう慣れました」と続ける。


 ヴァルトアは、目を細めてノックスを見やった。


「……市民サービスか。君の父上のジェルス殿もエラールで屋敷を守りながらやってる、サービスセンターか。評価は悪くないらしいな」


「恐れ入ります。市井に混じることで政策や税制、祭りや行事に対する市民の生の声も拾いやすくなりまして。本日はその一つをご報告に参上した次第です」


「ほう?」


 ノックスは一歩進み、恭しく頭を下げた。


「間もなく“夏の主神祭"が近づいております。例年通り領主館主催の催事が行われるかと存じますが――今年はどのような企画をなさるのか、各位のお知恵を頂ければと」


 静まりかえる室内。ユリカが腕を組み、ヴァルトアが背もたれに寄りかかる。


 夏の主神祭とは、太陽を主神と考える月信教や聖心教徒、拝星宗徒にとっては重要なお祭りである。特に陽が長くなる夏至に太陽を祭るその日は、その年一番のお祭り騒ぎだろう。その次が冬至に行われる聖夜祭、そして春と秋の祭りと続くのだ。


「主神祭、ですか……」


 トマファが口を開く。夏の気配は思ったよりもすぐそこにあった。


 *


 主神祭の話題が上がった途端、評定室の空気がどこかざわつき始めた。

 書類の山と堅苦しい議題から一転、誰もが急に饒舌になるのは毎年恒例である。


「まずは、やはり“ガチョウレース”でしょう!」


 張りのある声で手を挙げたのは、ステアリン。眉を跳ね上げ、どこか誇らしげに言い切った。


「却下よ」


 隣で即答したのはオリゴだった。机の上のペンも止めず、顔すら上げない冷たい声。


「えっ、まだ理由も……」


「前回の騒動、忘れたとは言わせないわよ。会場のゴールポール前で卑猥なことを叫んで官憲にしょっ引かれたの、次で四度目になるわよ? しかも前回は女性器を叫んでたって話じゃない。――少しは慎みを覚えない」


「……はい……」


 ステアリンの声は小さくなっていた。結局彼女は軽犯罪法違反として刑が確定し科料を受け、懲戒処分も受けたのだ。それを今もほじくり返すオリゴもそうだが、ステアリンは懲りていないようだ。ヴァルトアが小さく咳払いするも次の声がすぐにかぶさった。


「詩の朗読会なんてどうです? 学生や主婦の詩の発表、情操教育にもなりますし」


 クラーレがやや誇らしげに提案する。


「なんか(かて)ぇな。もっと剣を振るうようなもんがいいだろ、剣舞奉納とか」


 スルホンが腕を組んで低く言えば、


「どっちもやればよくない?」とアニリィが加勢する。


「酒飲みながら詩を吟じながら剣舞! 風情あるよ? あとお酒の早飲み大会も……」


「酒の早飲みは絶対ダメだ」


 今度はヴァルトアが即答した。「酒の早飲みイッキ飲みなんて、どんな事故が起きるか判らん。それどころか参加者が死亡事故ともなれば改易だぞ。――主神祭どころじゃない」


「ちぇー」


 と、そこで手を挙げたのはユリカだった。


「なら、もっと男たちがガチでぶつかるやつ、見たいわねぇ。勇壮なやつ。例えば……」


「“ぱんつレスリング”など、いかがでしょうか」


 しれっと挙手しながら発言したのは、最近文官補助として採用された家臣のレニエだった。


「は?」


 一瞬、評定室が静まり返る。


「ええと、私の故郷フルヴァンでは冬の祭りで定番なんですよ、“ぱんつレスリング”。ガチムチの男たちが全身に軽くオイルを塗って白いぱんつ一丁で組み合い、互いの“神聖なる布”を死守するのです。あと、冬の祭りなので見物客にはイモ汁が振る舞われるんですよ!」


「歪みねぇな」とスルホンが唸る。


「やりましょう!!」


 ウタリが勢いよく立ち上がった。いつも静かな表情の彼女が紅潮しつつ拳を突き上げて続けた。


「いいじゃん、男たちがぱんつを巡って争う! 主神もモッコr――いや、にっこりだよ!」


「そうよね! 暑い日に熱い男たちが布ぱんつを奪い合うなんて、それこそ祭りだと思うのよ!」


 ユリカも熱く主張する。こういうお祭り騒ぎが好きなのは皆んな知っていたが、喰いつき方が異常である。ただ、不思議と女性家臣が妙にやる気だったってところだ。逆に男性陣は静かなものだ。


「いま、こんなフライヤー、簡単に描いてみましたけどどうでしょう!」


 クラーレが議事録をまとめるノートにかるいデッサンを示した。勇壮な男たちが組み合う様はまさに猛々しい。『血沸き、肉躍る、ぱんつと誇りを賭けた闘い』というキャプション。文字のフォントはなぜか毛筆体で書かれていた。この短時間で書き上げ、細かいディティールにまでこだわるとはクラーレもなかなかの猛者である。


「悪くないわね。これに競技名を入れたらそのまま使えるわね」


 オリゴが良く描けているフライヤーの下書きに、「ここら辺に競技名ね」と円を描く。そのフライヤーに手を伸ばし、アニリィが何かを書き込んだ。


「じゃ、競技名はこれで決まりっしょ!」




 書かれたのは


(おとこ)・汁・祭』


 ――であった。




 しん……


 空気が凍る。


「却下」


 スルホンが低く言った。


「なんか卑猥、いや、卑猥だろ。狙い過ぎだよ!」


 ヴァルトアも眉間に皺を寄せながら何度も頷いていた。トマファやノックスも視線を横に流す。


「ええ〜?」


 アニリィが口をとがらせる。


「あの、その――、風紀を乱すような事をやるのはどうかと思います」


 トマファがなんとか考えあぐねたセリフを吐き出した。その言葉を聞いて男性家臣はすべて神妙な顔つきで頷く。


「え? 漢汁祭よ? 漢と漢のぶつかり合い、そしてイモ汁の振舞い、それのどこが卑猥だったりするの!」


「アニリィっち、その……」隣に座るクラーレが、そっと耳打ちする。アニリィの顔がみるみるうちに真っ赤になっていった。


「レスリング大会、良いかなと思ったんだけど、その競技名が先走りしちゃうわねぇ。――特に汁」


「ユリカ、やめなさい」


 結局、あれこれと案は出ては却下を繰り返した挙句、決まったのは『ちびっこ剣術大会』だった。街中にはさまざまな剣術流派があるが、その垣根を超えた統一ルールで、安全に行う競技大会とすることにした。


 使用武器は統一木剣、防具は義務。さらに有効打の箇所もルールも定めるなど、決めることは多かったが、文武官たちの調整により各流派は奮って参加を申し出てくれた。これもきっと、アニリィとレオナが各流派を回って説明したという働きによるものだろう。


 なおこの評定にレオナは参加していない。というのも評定の間へ行くつもりが館内で迷子になってしまい、結局厨房でイモの皮むきをしてたのだ。方向音痴は相変わらずである。


 *


 その日の午後。


 ヴァルトアの指示により、「ちびっこ剣術大会」の統一ルールの策定が正式に始動した。任されたのは領主軍剣技教官のグレイヴと、武官アニリィの二人であった。


 グレイヴと言えば、キュリクスへ赴任する際にヴァルトアが引き抜いた中等学院の教官の一人である。つまりマイリスの夫で数学教師のテンフィ、測量士で物理学教師のオキサミルとは同僚だった男である。あと、混雑日の酔虎亭で元気よく給仕しているアルセスの夫でもある。また、身分を偽って出国申請に来たソーテルヌの性別を、あっさりと見破ったのも彼である。



 評定室を離れた二人は練兵所横の兵舎の一室、グレイヴの教官室に小さな卓を囲んで向かい合っていた。壁には年代物の竹刀や木剣、短槍や長剣などがずらりと並び、開け放たれた戸口からは風が土と草の香りを運んでくる。


「相変わらず静かだよね、ここ」


 アニリィが軽く笑って言うと、グレイヴは静かにうなずく。


「剣に向き合うには、静けさも必要だ。騒ぎは心を濁らせる」


「……たまに思うけど、グレイヴ殿って“剣の求道者”って感じだよね」


 冗談まじりの言葉に、グレイヴは微かに唇をゆるめた。


「否定はしない。剣技は心を育てるものだ。戦うことは破壊することや、ましてや殺す事ではない。己を知り、相手を知るための術だ」


 その言葉に、アニリィも自然と真面目な顔になる。


「……前々から思ってたけど、そういうの嫌いじゃないよ」


「ふふ、アニリィ殿に褒めて頂くと剣士冥利に尽きるな――また、手合わせ願いたい」


「いいよ、私も稽古付けてもらいたい。あと、私の預かってる子にも」


「あぁ。ルチェッタ嬢か」


「子どもに剣を教えるって、結構、難しいのよ。やはりグレイヴ殿がいいのかなって」


「だがお嬢はアニリィ殿を慕っている。お主の剣技の秘伝を教えてやればいいさ――さて、仕事をしようじゃないか」


 グレイヴは頷くと立ち上がり、壁にかかる小型の木剣を数本手に取ると、ゆっくりと卓に置いた。


「まず、初等学校の低学年ならこのサイズ、高学年はこのサイズが良いな。どの流派も体格に合わせてこのサイズに寄せたものを使っている」


「フィオライゼ長剣術だけは小さい子でも長剣型を使うよね」


「あぁ。……だが、剣の長さを統一せねば不公平が出る。もしフィオライゼ流が文句をいうなら、彼らが主催した剣技会をやればいい」


 グレイヴは静かにそう言うと樫で出来た木剣の統一規格が決まった。指定規格の木剣は市販品で多く出回っている。もし用意できないのであれば領主軍のを貸し出してやればいい。


「安全を期して有効打は面・籠手は“当て”のみ、胴は“払う”のみの三箇所に限定する。首元の突きや足打ちは危険すぎる。誤って喉や膝に当たれば後を引くしな」


「納得。じゃあさ、木剣を落としたら?」


「一本としよう。さすがに徒手空拳で戦うわけにもいかんだろう」


 一部の剣術流派では剣を落としても、相手を引き倒すか蹴り倒すかすれば一本と見なすところもある。そういう流儀やルールに慣れてない流派にとっては危険が過ぎるだろうし、きちんとルール化しなければ乱闘騒ぎとなってしまう。


「だよねー。そうなると、防具は……」


「だいたいの剣術流派で使っている、頭部、肩、喉元、胴、籠手を守る防具で良いだろう。無いなら領主軍で使っている防具を貸してやってもいい。――ただ、軍の防具はちと重いんだよな」


「あれ、わざと重くしてますからね。防具の使用は絶対として、用意できない流派への貸出規定はクラーレっちやマイリスさんあたりが調整するでしょ」


「あぁ、そうだな――有効打の判定をどうするか、模擬戦しつつ確認してみないか?」


「待ってました! じゃあ木剣、借りますね?」


 二人は教官室を出ると、そのまま兵舎前の広場へと足を運んだ。手には、それぞれ木剣。無言のままふっと構えをとる。片や低く、片や高めに。――互いの呼吸を測るように、間合いが静かに詰まっていく。


 次の瞬間、パン、と木剣が交差する乾いた音が響いた。続く二合、三合。打ち合いは短く鋭く、そして一撃ごとに互いの目がわずかに笑う。すぐに斬り込まず、寸前で止めては「今のは入った」「いや、それは浅いな」と、冗談めかしたやり取りが交わされる。だが、その動きは冗談どころではない速さだった。


 ちょうど訓練を終えて休憩していた兵士たちが、ふと視線を向ける。最初は雑談の片手間に。それがいつしか誰も言葉を発せず、見入っていた。ただの試技。けれど息づかいが伝わる距離で剣が交わされる様は、それだけで一つの“演武”のようだった。


 呼吸の合間に交わされる木剣の一撃は、鋭く美しい。火花を散らすような応酬が続き、打突のたびに乾いた音が練兵所に響いた。真剣勝負のようでありながら、どこか余裕すら漂っていた。


「で、審判、どうする?」


 そんな打ち合いの最中、不意にアニリィが問うた。それがまるで昼下がりの井戸端会議の一言のように聞こえて、広場で見守っていた兵士たちはぽかんとした。だが次の瞬間――


「今はどこの流派にも属していない俺とお前さん。そして……ユリカ様。三人なら、偏りは避けられる」


 木剣を受け流しながら、グレイヴはごく自然に返していた。抑揚はほとんどなく、それがまた妙に現実感を欠いていた。


「それ、最強メンバーじゃん。子どもたち、震えちゃわないかな?」


 冗談まじりにそう返すアニリィの木剣が、寸前で止まる。その表情は笑っているが打突は鋭い。見守る兵士の一人が、思わずごくりと唾を飲み込んだ。グレイヴは静かに微笑んだ。唇よりも目だけがわずかに細められる。


「審判は剣士たちの打ち込んだ成果を敬意として判断する存在だ、震えることはないだろう。……まぁ、こちらも剣士たちに恥じぬ態度で臨まねばならん。それでも、審議や物言いがあれば監督やセコンドと話し合い、決を採る。二度三度と重ねていけば、自ずと洗練されていくはずだ」


 打ち合いながら、会話が続いている――しかも、妙に冷静で建設的な議論だ。何を見せられているのか兵士たちには判断がつかない。ただ、視線は二人の剣技に釘付けだった。


「いいねそれ!」アニリィがにかっと笑う。「ヴァルトア様に恥かかせるわけにはいかないしね」


 言葉と同時に、鋭く突き出された木剣がグレイヴの肩先で止まる。それはまるで剣士同士の会話がそのまま刃に変換されたような奇妙な情景だった。


 こうして決まった統一ルールは、後に「グレイヴ式交流試合基本制剣法」として記録され、長くキュリクスで開催されるちびっこ剣術大会の標準となっていくことになる。


 なおこのあと力強く打ち込む木剣を軽くいなすグレイヴ、そしてカウンターとばかりに突き出された木剣をアニリィは軽々と弾く。いつしか二人の打ち込みはさらに熱を帯び、ついには本気の稽古へと突入していた。


 その時、キュッと鋭い足音が砂地を擦る音が背後から迫ってきた。二人が振り向く間もなく――


「こらっ、あんたたち! 防具もつけずにバカやっちゃダメって何度言わせるのよ! めっ!」


 メリーナが腰に手を当て、剣術用の面を小脇に抱えながら仁王立ちしていた。


「はい……」「すんません姉さん……」


「ボクもまぜてよー!」


 防面を被り、なぜか靴ベラを持った少女が得意げに二人の前へと躍り出た。広場はたちまちちびっこ混ざりの稽古――、いや、バトルロワイヤルの会場と化した。こうして“ちびっこ大会”の前哨戦は、思いもよらぬ乱戦とともに幕を開けたのだった。


 なお、ユリカが来るまで誰も止められなかったという。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。


※作者註・

防具を付けずに剣技を行うなんて本当に危険ですから絶対にやめましょう♪


なお中の人、大学時代に面も付けず友人と型稽古してたら木刀の先が僕の目に直撃、眼球裂傷しました(笑)

(まぶたでなく、目ん玉ヤッチャッタ♡)


ぼろくそのチョンカスに教官に叱られました。

なお治療費は活動保険で賄われましたが、保険調査員から「モラハザっすよね?」と言われたのは、なつかしいですね。


ちなみに左目は乱視がきつくなった程度で済みました。

あと眉毛のあたりに傷がありますが、眉毛が太くてあまり気付かれません。


ご安全にぃッ☆

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