94話 武辺者、パジャマパーティをする
時間はちょっと巻き戻って、春先の話です。
ルチェッタの隣はいつの間にか、私──エイヴァではなく“あの子”に変わっていた。
教室の窓際の前から三番目、そこがルチェッタの席。私の席はその斜め後ろ。ちょっと顔を上げるとルチェッタ、その隣には銀糸のような髪の少女――イオシスの姿が見える。
このイオシス、冬の終わりぐらいにやってきた少女だ。無口で話しかけてもニコニコしているだけ。時々ルチェッタと耳打ちしてるのは見ていて、なんだかイラッとする。
母親の話だと、キュリクス北部のコーラル村近くの子らしい。事情があってアニリィ様が身請けする事になり、今はルチェッタと三人一緒で暮らしているとも聞いたのだ。――それについても、さらにイライラ。
今日の授業は山野の危険な草花についてだった。
最近キュリクス西の森でいくつかの毒花が発見された。中には命にかかわるもの、失明の恐れがあるものもあったので、見つけても決して触らずに領主館や創薬ギルドに届け出て欲しいと言われている。それについての授業だった。
先生が黒板に「マルグレセリ」の資料を広げて見せた。夏頃に森の中で密集して咲く、白色の五弁の花だ。ただ、食用の「ミズセリ」と見た目がよく似ており、同定できない場合は触ったり食べたりしないよう言われている。
「このマルグレセリの花は、どこに咲きますか?」
先生の問いかけにルチェッタが手を挙げて元気に答える。「えっと、沼地や湿地などの水はけがいい場所ですって、前に教わりました!」
「正解です。じゃあ、その隣の……イオシスさん。マルグレセリは、なにいろの花ですか?」
クラスが静かになった。イオシスは少し戸惑ったように目を伏せてから、小さな声で答える。
「ええと、……スピタク、いろ」
その発音が少し変だったからか、誰かがくすっと笑った。そして小さなざわめきと笑いが起きる。男子のひとりが、わざとらしい口調で真似をする一瞬、間が空いた。
「スピ……タク?」 「何語だ?」 「何色だ?」
小さなざわめきと笑いが起きる。男子のひとりが、わざとらしい口調で真似をする。
「スピッタク~、いろ、はな~!」
クスクスという笑いが広がった。私はその声に腹が立った、けど、口には出さなかった。ただルチェッタが、机をがたんと鳴らして立ち上がったのだ。
「そこの男子ぃ! イオシスの失敗は笑わないで言ってるでしょ! 彼女は頑張ってるの!」
声が教室に響く。先生すら一瞬言葉を失うくらい、言葉を失うほどの強い声だった。イオシスは小さく首をすくめるようにして座っていたけれど、それでもちらりとルチェッタの顔を見ては目を瞬かせていた。イオシスに何かあればルチェッタはいつも彼女を守っていた。それもまた、イラっとくる。
休み時間。いつものように私は教室の隅で友達とおしゃべりしていた。けれど話半分でしか聞いてない。むしろ気になるのは窓際のふたりの姿。ルチェッタが何か言って、イオシスがふにゃっと笑う。しかもセンヴェリア語ではなく、イオシスがたまにぽろっと漏らす謎の言葉でだ。その言葉、例えば先ほどの『スピタク』だってそうだが、何語か判らない。というのもこの大陸では共通語としてセンヴェリア語が使われており、ほとんどの人間はこの言語で意思疎通ができる。一部の遊牧民や山岳部の部族などが独自の言語を話しているとは聞くが、彼らも「花嫁市場」や家畜売買といった商習慣の場ではセンヴェリア語を優先的に使うよう教育されると聞いている。つまり、センヴェリア語を苦手とする子どもというのは、あまり見かけない。
「また一緒にいるね、あのふたり」
友達の一人が言った、そしてもう一人が続ける。 「っていうか、エイヴァの“お相手”、完全に取られちゃったわね」と。
「仕方ないわ。イオシス嬢は領主ヴァルトア卿の命でアニリィ様がお預かりしてる、さる高貴なお方と聞いているわ――無礼を働きすぎると、教室の児童全員がアルカ島に放り込まれますわよ?」
「あの男子どもは、とっととアルカ島に放り込んで欲しいわ。あいつら、マジうざいし」
友達の一人がそう言うが、それは同意。なんだか見ていて恥ずかしいというか。声を上げれば増長するし、マジでクラスを男女で分けて欲しい。――ただ、領主軍の兵の子は違う。クソガキの悪ふざけに一切関わろうとしない。ちなみに私の周りで話している友達も領主軍の子が多い。だけどただひたすらに、ルチェッタの横にいるイオシスの存在が私の胸の奥に小さく突き刺さる。
そのあと男子が「森の子と貴族の娘は何語で話してんですかー?」とか言ってまたからかっていた。ついに堪忍袋の緒が切れたのか、ルチェッタが掃除用具入れから箒を取り出して振り回して始めたので、みんなで止めた。これがこの学校での日常。今はイオシスって異物のせいで距離が開いた私とルチェッタ。
放課後。
廊下でルチェッタとイオシスが並んで歩いてくる。私は廊下の端に寄って、無言ですれ違おうとするその時、「ねぇ、エイヴァ」と声を掛けられた。
顔を上げると、ルチェッタが笑っていた。久しぶりに見た笑顔かもしれない。
「ねぇねぇ、久々にウチこない?」
唐突な誘いに目を見開いた私に、ルチェッタは続ける。「アニリィ様が夕べ、言ってたのよ。『最近エイヴァ、遊びに来ないね』って。なんかちょっと寂しそうだったよ」
私は口を半開きにしたまま返事ができなかった。でも次の瞬間には被っていた帽子のつばをぎゅっと掴んで、そっぽを向いた。
「……べつに。行ってあげてもいいけど」
その頬は、ほんのり赤かったと思う。
「じゃあ泊まりにくる? 最近エイヴァとしっかり話せてなかったし、イオシスについてもきちんと紹介したいから」
この時、私はどんな顔をしてたのだろうか? うん、たぶん、すごくうれしかったって気持ちが、そのまま顔に出たんていたのだと思う。
*
夕暮れ。
私は一度家に戻って着替えと小さな旅行鞄を持って領主館へ向かった。受付で名前を告げると案内役のメイドがやってきてすぐに通される。今日の案内役は安眠館の娘、ロゼットさんだった。ちょっと前まで『ロゼ姉さん』と呼んで一緒に遊んでた人が、今では領主館の武闘メイドになっているのが私の人生のちょっとしたバグだと思っている。
「エイちゃん久しぶりだね。鞄、持とうか?」
「いえ、大丈夫です――ロゼ姉さんは元気そうですね」
「この領主館で働いてると毎日が楽しいわよ。エイちゃんも初等学校を出たら……どぉ?」
「あはは、ちょっと、考えます」
初等学校を出たらきっと礼節学校へ行くんだと思う、いや、行かされるって言ったほうが正解かな。ルチェッタはどうするんだろ? 貴族の娘なんだから礼節学校なんだろうな。じゃあイオシスは? 聞いてもいいもんなのかな。階段を上がるあいだ、私はずっと鞄の取っ手を握りしめて考えていた。
宿舎棟の二階の一角。扉の前に立ちロゼットさんがノックする。ノックの音に返ってきたのはルチェッタの明るい声だった。 「はーい、どうぞー!」
「失礼します、申し受けておりましたお客様をお連れしました」
洗練された動きで中に入り、一礼するロゼットさん。その後について中に入った瞬間、私は思わず声を上げてしまった。
「……ねぇ、ルチェッタの部屋ってこんなに広かったっけ?」
壁際には新しい棚と学習机が二つ。奥にはふたつのベッド、窓際には広縁まで付いていた。そして部屋は以前よりも倍近く広げられていた。ただ、プライベートが保てるようにベッドの周りだけ天井からカーテンが設置されていたのだ。
「ん? あぁ、アニリィ様が『部屋の壁、ぶち抜くか!』って言って、文字通りぶっ壊した」
ルチェッタはけろりと言った。確かに部屋の間仕切りとなってた跡が部屋の隅に残っていた。だから広い部屋には廊下へと繋がる扉が二つ付いてるのか。
「相変わらず、やることが無茶苦茶な人ね……」
思わず呆れたように呟くと、奥にいたイオシスがふにゃっと笑った。
「アニリィ様、すごい。……壁どん!」
両手を広げて身振りで“どん”を表現するイオシスに私はついつい笑ってしまった。ていうか、壁をどーんと壊したいと言いたいのだろうが、それじゃ別の意味だよ。――やっぱり、ちょっと変な子。でもきっと、悪い子じゃないと思う。そんなことを思いながら私は鞄を棚の脇に置いた。
夕食は、ロゼットさんが部屋までわざわざ持って来てくれたのはキチュチと呼ばれる魚の蒸し焼き、山菜と豆のスープ、それとパンとチーズだった。ちなみにこの魚、ナマズらしい。え、そんなもん食べられるのって思ったけど、ロバスティアやルツェル、エラールなど海に面してないところではよく食べられるらしい。
素朴だけどよく味の染みた料理で、イオシスが「おいしい」と繰り返していたのが印象的だった。確かに領主館の食事は美味しいと思う。我が家の夕飯も美味しいと思うけど、さすがに貴族家の食事は洗練されてると思う。
食事を終え、片付けを終えてシャワーを浴びてきたあと、ロゼットさんが部屋に簡易ベッドとリネンを運び込んでくれた。ベッドの脚をぱちんと固定しながらにやにやしつつ言う。
「これ、オリゴ様からパジャマパーティの差し入れですって。――キンキンに冷やしてあるわよ」
そう言ってコルク栓が施された瓶を三本、シャンパングラスと共にサイドボードの上に並べてくれた。よく冷えているのか瓶は汗まみれだった。
「お酒みたいだけど安心して、酒精はゼロよ。ラズベリーのシロップに炭酸を添加してちょっと甘くて苦みがある、大人な味ってやつよ。ほら、最近開発された“生ビールサーバー”の応用で作った、試作品なんだってさ」
瓶のラベルには『カラント・ワイン』と書かれていたが、大きく『試作品』と書かれている。ロゼットは肩をすくめると、最後に笑って言った。
「ま、でもおねしょだけはやめてね」
「私たちはもう8歳よ! レディに対して失礼よ、もう!」
と、ルチェッタがすかさず言い返す。ロゼットは「はいはい」と言いながら手をひらひら振って笑いながら部屋を出ていった。確かに失礼だと思う。ロゼットさんだっておねしょがなかなか治らな……なにもないです。
その後、三人で栓を抜くとその炭酸ジュースを分け合いながら布団の上に車座になる。爽やかな泡が舌をくすぐってどこか気持ちまで浮かぶようだった。瓶を空けるごとに私たちはちょっとずつ気が緩んでいく。一緒に持って来てくれたイモ揚げも無くなり、三本目が空になった頃には部屋の空気もふわっとほどけていた。――もうすこし飲みたいかな?
「エイヴァ、ここ」
少し赤い顔をしたイオシスがぽんぽんと自分の隣を叩く。どうやらもっと近くに来いという合図らしい。
「……別に、ここでいいけど」
そう言いつつ、私はそろそろと彼女の隣に移動した。そこはイオシスのベッドだった。それを見て「じゃあ私も横に座るわ」と、ルチェッタがイオシスの隣にちょこんと座る。
沈黙が少し流れて、それから私の口が自然と動いていた。
「……あのさルチェッタ、最近……あんた、ずっとイオシスとばっかり一緒にいるよね」
「えっ」
ルチェッタが目を丸くする。イオシスもこちらを見つめている。
「いや、別に怒ってるわけじゃないけど。なんていうか、ちょっと、寂しかった。……あんたが、あの子と一緒に笑ってるの、見ててさ」
言葉にしてみたら、思っていたよりもずっと本音がぽろぽろと出てくる。
「それに……この子、何者なの? センヴェリア語もあやしいし。きっとヴァルトア卿やアニリィ様が絡んでるから政治的な話が絡んでるんだろうけど、正直よくわかんないのよ」
ルチェッタはきょとんとした顔をしたが、一拍置いてから「きちんと紹介するんだった」と微笑みながら答えていた。
「彼女はテイデ山の麓に住んでるエルフ族よ。名前は“イオシス・ニアシヴィリ”。どうしても人間の世界に出たいと言ってやってきた子よ。カルトゥリ語っていう、エルフの言葉を使うのよ」
そう言って、ルチェッタがイオシスの頭巾に手を伸ばす。「いいよね」と問いかけると、イオシスはこくんと頷いた。するりと赤い頭巾が外される。そこから現れたのは長くしなやかな耳だった。月明かりのような銀髪の間から、ゆっくりと揺れている。
「……本当に、エルフだったんだ」
私は思わず見入ってしまった。イオシスは頭巾を膝の上で撫でながら、くすっと笑う。
「宗教の理由って言ってたけど……隠してたの、耳だったのね」
「うん。エルフって、昔は人間にいじめられたりしたこともあるらしいから……アニリィ様が“無理に見せなくていい”って」
「……エルフ語ってのも、本当にあるんだ」
「あるよ。私も少ししか分からないけど、教えてもらってる」
イオシスは、小さく「スピタク」と口にした。白、という意味なのは昼間の授業で知っている。
「じゃ、じゃあ、“わたしはエイヴァです”だったら?」
「イマニュイ・エイヴァ・エ」
その声は、とても穏やかで柔らかだった。
「イオシス、イマニュイ・エイヴァ・エ、よろしく」
するとイオシスはベッドから降りると床に膝を付いて右手で胸を触りながら「イオシス・エ」と応えてくれた。イオシスを見下ろすように座るルチェッタが「エルフ族は膝を付けて挨拶するのよ」と言うと、私も慌てて床に膝を付いた。
「ンラ・アニュニ・ごめんルチェッタ」
私は頭の上に「?」が浮かんだ。どうしてルチェッタに謝ったの? 二人でしばらくカルトゥリ語であれこれ話し合った結果、イオシスはずっと「ごめんルチェッタ」が名前だと思ってたらしい。ルチェッタもイオシスが「ごめんルチェッタ」と声を掛けるから、気を払ってると思ってたらしい。それが判ったとき、三人で爆笑してしまった。
(※73話参照:https://ncode.syosetu.com/n4895kc/73/)
「じゃ、私も“ごめんルチェッタ”って呼ぶわ」
「やめてよもぉ!」
「――ごめんルチェッタ」
「イオシス、そのごめんはどっちの意味よ?」
私たちが夜中にもかかわらずあまりにもげらげら笑うもんだから「うっさいわよ!」とロゼットさんに叱られた。そしていつの間にか私たちは簡易ベッドをイオシスのにくっつけて三人くっついてそのままごろりと横になっていた。
……そして目が覚めたら誰かがやらかしてた。誰か、何かは秘密。
*
翌朝早く、領主館の倉庫――。
帳簿と突き合わせながら、オリゴが眉をひそめていた。
「あら、試作品のラズベリーシロップが三本多いわね。そのかわり、酒精入りのほうが。……え、まさかあの子たちに!? ちょっとロゼット、来なさい!」
帳簿を握りしめたオリゴの声が領主館の静けさを破ったのだった。
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よろしくお願いします。
・作者註
「ラズベリーシロップ(Raspberry Cordial・ラズベリー水やいちご水とも)」
「カラント・ワイン(currant wine・スグリ酒)」
これでピンと来た方、くすりと笑えた方が居たらうれしいな。
ダイアナに飲ませて大パニックになった、アレです。
※詳しくはNHK・Eテレでやってる『アン・シャーリー』の第四話。
※作者註・2
『キンキンに冷えた』
最近カ〇ジにハマッてるのがバレバレですね。




