92話 武辺者の女家臣、家族がわざわざやってきた・4
――風の音も、獣の気配もない。ただただ、闇が深い。
その中で弓兵たちが矢をつがえ、工兵が肩に乗せた筒の角度を微調整している。魔砲――火薬の代わりに魔素で弾を飛ばし、着弾・炸裂させる、非殺傷性の投射器だ。
レニエは弦のきしむ音に耳を澄ませ、息を潜めながら崖下の野営地を見下ろした。確認できた山賊は十四。洞穴の前に焚き火を囲み、酒を煽りつつ獣肉を焼いている。どうやら街道で“狩り”がうまく行ったのだろうか、油断があった。
(今だ――)
銅鑼の合図とともに、魔砲が火を噴いた。
次の瞬間、真夜中の森に爆音が轟いた。洞窟の前で宴会を打つ山賊たちめがけて弾がさく裂したのだ。赤橙色の閃光とともに、辛み成分を詰め込んだ赤白い煙が洞穴前を覆う。目を刺すような霧に山賊たちは悲鳴を上げて転げ回った。
「眼が、がぁっ……!」
「けほっ、けほっ!」
「敵襲、敵襲!」
続いて、崖上から一斉に矢が降り注ぐ。狙いは焚き火、大鍋、篝火――炎を吹き飛ばし、夜目を狂わせ、大軍で総攻撃したかのように思わせる陽動射撃だ。
「突撃!」
スルホンの怒号が空気を裂いた。槍を構えた突撃部隊が、一斉に崖を駆け下る。カリンの部隊は背後の森へ回り込み、洞穴の出口を封じにかかる。
地を蹴る足音、鎧の擦れる音、混乱する山賊のうめき声。
「無力化優先! 山賊相手とはいえ殺すな! 捕えろ!」
スルホンの号令に応え、防護マスクを付けた兵たちが長槍片手に洞穴前に拡がった煙の中へと突入する。
レニエはそれを見届けながら静かに短弓を下ろした。矢筒の中にはまだ五本残っている。戦いは始まったばかりだ。
*
煙に包まれた洞穴前で、怒号と呻き声が交錯する。
山賊の一人が剣を抜いて振りかぶったが、煙を吸い込み視界を奪われた状態では本来の力など発揮出来ない。数人がかりの兵たちに囲まれ、槍の柄で脇腹を殴られ地に転がった。別の男は洞穴へ逃げ込もうとするも、森を回り込んだカリン隊が背後から急襲する。
「逃がすな! 間合いを詰めろ、投げろ!」
スルホンの指示が飛ぶ。投げ縄や網が宙を舞い、山賊たちの腕や脚を絡め取っていく。
「ちくしょう、何者だこいつら……っ!」
怯んだ山賊の一人が岩陰に隠れようとしたが、そこへ兵士が駆け込み、足を払って地面に押さえつける。
「捕えました!」
「次、右側! 三人いる!」
兵たちは殺傷を避けるよう訓練された動きで、次々に相手を押し倒し、引き倒し、組倒して制圧していく。槍の穂先は外されており、まるで訓練用のそれで相手を無力化する。スルホンの「不殺制圧命令」は徹底されていた。
「待ってくれ、俺たちは……元農民だ……っ」
地に伏した山賊が涙交じりに叫ぶが誰も足を止めなかった。情けをかけるには遅すぎたのだ。一人また一人と拘束されていき、洞穴から飛び出した最後の三人が、背後に回ったカリンの部隊に長剣で威嚇され、観念して手を挙げた。
「剣を捨てて両手を挙げろ!」
カリンの声は冷静だったが、凍てつくような威圧を含んでいた。出陣式ではあまりの緊張で蒼白になっていたのに比べたら、今の表情は勇壮であった
すべてが終わったと知れた時、ようやく煙が晴れてきた。
肩で息をする兵士たちの間を縫って、スルホンがゆっくりと前に出る。そして一人、捕縛されていた山賊の頭目らしき男の前に立つ。
「……詳しい話はポルフィリ領主館で訊く。こやつら14人、引っ立てい!」
その声に誰もがひとつ大きく息を吐いた。山賊討伐作戦は終了したのだった。
*
それからしばらく経って野営地から少し離れた林道。
砲撃を終えて拠点制圧を確認したオーリキュラ率いる工兵女隊十名が、本陣へ戻ろうとしていた。その時だった。
「前方、何かいます!」
仲間の声に、殿を守っていたオーリキュラが先頭に駆け出す。次の瞬間、茂みから飛び出してきた影が三つ――否、四つ。夜目に慣れた視界に、鋼色の刃がぎらりと光る。
「全員散開! 抜剣しろ、敵だッ!」
咄嗟の叫びとともに、工兵たちは背負っていたリュックや魔砲具を投げ捨て、腰から下げていたダガーを抜く。だが相手の動きは早かった。男が斧を振り下ろし、ダガーごと一気に叩き潰す。
手斧に叩きつけられたダガーは持ちこたえられるはずもなく、軽い金属音を立てて、鈍色の鉄片が宙を舞った。次いで男たちは、手斧を振り回しながら工兵たちを追い回し始める。
「き、きゃあああっ!」
悲鳴。工兵たちは必死にダガーで応戦するが、力任せに振るわれる手斧には分が悪い。しかも手慣れた動きに、皆が驚き戸惑っていた。
(違う――こいつら、ただの山賊じゃない)
オーリキュラは直感で悟った。洞穴で捕えた頭目は、副官か、あるいはただの図体の大きい男。だが今ここにいる男――冷静に指示を飛ばしているその者こそ、本物の首魁だ。
「時間がない。この女兵隊を蹴散らして退路を確保するぞ」
頭目が静かに命じる。男たちは迷いもなく前へと躍り出た。
オーリキュラは、皆と違いメイスを手にしていたが、手斧使いには少々力不足だ。せめて短槍か長剣を持ってきていれば――そう後悔しながらも、彼女は躍りかかった。
*
何合打ち合っただろうか。すでに左肩は上がらず、目も霞む。オーリキュラは『工兵隊の女傑』と呼ばれていた。この十人の隊もまた、武勇に秀でたベテラン女兵揃いだ。しかし、その人数差をもってしても、男たちの圧倒的な膂力には敵わなかった。
仲間の一人が腹を蹴られて倒れ、別の一人は脇腹を切られながらも相手の足にしがみついていた。さらにもう一人は、仲間を庇って肩口を斬られている。
(駄目だ。このままでは……全滅する)
勝機はない。頭目の余裕ある表情がそれを物語っていた。
こうなれば全員で捨て身の突撃――そう覚悟して、オーリキュラがメイスを構えたその時。
「伏せろッ!」
鋭い声が森を裂く。次の瞬間、空を切って飛んできた矢が頭目の右肩を正確に貫いた。さらに子分たちの太ももや腹にも矢が突き刺さる。
「間に合った! このまま押し込めましょう!」
本陣と工兵隊との連絡係を務めていたレニエだった。彼は崖を駆け下りながら次の矢をつがえ、供回りの二人はすでに二の矢を構えている。
その声に、工兵たちの士気が一気に跳ね上がった。
オーリキュラはメイスを両手で握り直す。すでに左手の感覚はなかったが、右手だけで振りぬいた。相対する頭目の左膝に打ち込まれたその一撃が決定打となり、ついに武器を手放した。残る山賊たちも武器を手放して膝をつく。
「では全員、王国法に従って拘束します」
工兵たちは腰から下げていた紐で山賊たちを縛り上げる。その背後では、レニエと供回りが長剣を突きつけ、睨みを利かせていた。そして手の空いた隊員が空に向けて赤い信号弾を二発、間隔を空けて撃ち上げた、救援要請の合図だ。本陣から白い返信弾が上がる。重傷者が三人、捕虜を連れての帰還は難しいとの判断だった。
「レニエ殿、助太刀、感謝します」
「それよりオーリキュラ嬢、まずは怪我の手当てを」
そう言って、レニエはリュックから三角巾を引っ張り出す。オーリキュラは、その場にすとんと腰を下ろした。周囲でも、他の負傷者たちが次々と座り込む。
まずレニエは、オーリキュラの手当てに取りかかった。左肩から胸のあたりにかけて、戦闘服が血に染まっていた。服を脱がせると胸や肌が露わになるが、レニエはまったく動じる様子もなく滅菌ガーゼと包帯で丁寧に傷を塞ぎ、三角巾を取り出した。
「痛んだら、ごめんね」
そう言いながら、首の後ろで三角巾の端を結び、左腕を輪に通して吊り上げる。そして自身の軍服の上着を、そっと羽織らせる。
オーリキュラとレニエの視線が、静かに重なった。
「……戻ろう。本陣に報告しないとね」
レニエの声に、オーリキュラは無言で頷く。
「歩けますか?」
「……ごめんなさい。緊張の糸が切れたみたいで足腰に力が入りません」
「さすがに背負って帰るわけにもいきませんし、救援を待ちましょう。他にも応急処置が必要な方は、こちらへ。包帯とガーゼはありますから」
レニエはそう言って、負傷者だけでなく、捕らえた山賊たちにも分け隔てなく声をかけ、手当ての準備を進めていったのだった。
*
キュリクス領主館執務室。
ポルフィリ領での山賊討伐から三日ほど経った、ある日の午前。厚手の帳簿を手元に置いたままトマファが淡々と報告を読み上げた。
「ダーリル村で確保された山賊らの取り調べが完了したとの報告がポルフィリ領から届いております。――崖上から逃走を図り工兵隊と交戦した四名はデル・トロ伯家を追放された元武官。突入班が洞穴で制圧した十四名は周辺の村から流れてきた農民と判明しました」
紙をめくる音が、室内にひとつ響く。
「また、我が方の損害ですが……工兵隊、負傷十名。うち重傷者三名。軽傷者七名。全員がオーリキュラ隊長の部下で、魔砲装備を抱えていた小隊でした」
「……うむ。なんとも痛ましいな」
ヴァルトアが椅子の背に身をあずけると、窓辺から風が帳を揺らした。
「嫁入り前のお嬢さんたちを前線に立たせて、この有様ではな……心が痛む。全員に手厚い見舞金と、治療と回復の支援を――」
「すでに手配しております。最も重傷だったオーリキュラ隊長は、左鎖骨と三角筋を損傷。全治三ヶ月から半年との診断です。しかし本人は、“今日からでも出られます”と申し出ております」
苦笑するトマファに、ヴァルトアも「らしいな」と小さく笑った。
「よろしい。アニリィに“無理せぬように”と釘を刺させよう。しばらくは療養させるとして……工兵隊の隊長代理は?」
「スルホン殿から報告がありました。メリーナ隊長に兼務させるとのことです。斥候隊の新兵訓練は今、ひと段落していますから」
「そうか、助かる」
そのとき、ウタリが声を上げた。
「ヴァルトア卿、トマファ殿。ひとつ、提案がございます」
「なんだ?」
「工兵隊が全滅しかけた折、救援に駆けつけたのはフルヴァン家の四男レニエ殿とその供回りでした。彼らが矢を放たなければ、隊長以下全滅してたでしょう。これは……恩に報いる時かと」
室内の空気がわずかに引き締まる。ヴァルトアは一拍ののち、静かに頷いた。
「ならば、こちらからキュリクスへ招こう。感謝を伝えるのは当然の務めだしな」
*
キュリクス領主館の応接室。
椅子に腰かけたレニエの前に整えられた銀盆とヴェッサの木製茶器が置かれていた。彼の横には供回りの二人──長身の衛士ルファスと丸顔の従者カディラも控えている。
車椅子のトマファを伴って入室したヴァルトアが一歩進み出ると、椅子から慌てて立ち上がるレニエと、その横で咄嗟に礼をとるルファス、カディラ。ヴァルトアは静かに一礼し座るように手で合図をすると、穏やかな笑みをたたえて口を開いた。
「このたびは、当家の隊長オーリキュラをはじめ、多くの部下たちを救ってくれて本当にありがとう」
レニエは立ち上がり、一礼する。「光栄に存じます」
すぐに、書状の束を抱えたトマファがレニエの前に出ると机の上にそれを広げた。
「こちらが恩賞目録でございます。金五十ラリ、土地の一筆、名誉状、他家への推薦状などをご用意いたしました」
「他にも必要なものがあれば、遠慮なく言ってくれたまえ」
ヴァルトアの声に、レニエは少し俯いてから、まっすぐ目を上げて答えた。
「それでしたら――ヴィンターガルテン家への仕官を希望します。自分はフルヴァン家の四男、部屋住みの立場にございます。仕官先も見つからず、商売をするにも元手も伝手もありません。でしたら、恩賞はすべて辞退いたしますので、供回りの二人も共に雇い入れていただけますでしょうか?」
しばしの沈黙。トマファがヴァルトアに目配せし、ヴァルトアはわずかに眉を上げて、穏やかな笑みを浮かべた。
「なるほど、相分かった。三人まとめて採用しよう、貴殿らのような勇者は我が領にこそ相応しい」
ルファスが不意に肩を震わせ、しかし姿勢は崩さない。カディラは感極まったように瞳を潤ませた。
ヴァルトアは小さく頷くと、トマファの方を向く。「手続きを進めてやってくれ」
「御意」
そして再び、レニエに目を戻す。
「ようこそキュリクスへ。我が家の一員として迎えよう」
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