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91話 武辺者の女家臣、家族がわざわざやってきた・3

 ポルフィリ領ダーリル村郊外。

 人口50人程度の小さな村近くの丘に、三家連合の仮設野営地が設営されていた。


 広めの幕舎の内部には、ヴィンターガルテン家から派遣された工兵隊や衛生隊の報告書が並び、中央の机には手書きの測量地図が広げられている。今回も斥候隊が辺りを確認しつつ工兵隊が測量し、なるべく正確な地図を書き上げたのだ。その地図の上には兵科を模した駒が並び、斥候ルートと水源の地形が視覚的に整理されている。


 その幕舎の中、スルホンは腕を組んで黙考していた。彼の隣ではウタリが机に両手を付いて地図に目を通している。ポルフィリ家代表としてやってきた嫡男カリンは手持ち無沙汰に椅子に腰かけ、志願兵としてやってきたセレンの義弟レニエ・フルヴァンは壁際で静かに帳面に何かを書き留めていた。


 外ではキュリクスの衛生看護隊が工兵隊と共に給水場を設営中であり、槍を持ったポルフィリ兵がやや所在なさげにそれを見守っていた。


 そんな静寂を破るように、幕舎の入り口から斥候隊の二人が駆け込んできた。


「報告、失礼いたします!」


 泥と汗で顔を黒くした若い隊員は、荒い呼吸のまま敬礼し、続けた。


「水源地背後の段丘の陰にある洞窟で野営跡と複数の人影──少なくとも十名、多くて二十名ほどと見られる集団が潜伏している模様」


 幕舎内に緊張が走る。ウタリが即座に口を開いた。


「装備と行動パターン、そしてポイントは?」


「装備はバラバラで統一性がありません。ですが洞窟前に見張りを二人立てています。その洞窟前には竈が二つに大鍋一つ。山賊か、それに準ずる無頼集団と見られます」


「──これまで、そんな人数の気配に気付かなかったのか」


 スルホンの問いに、カリンが立ち上がって深く頭を下げた。


「申し訳ありません。近隣の村では家畜などの窃盗被害が上がっているとは聞いておりましたが、大した被害ではなかったですし、加えて我が方の監視網が山側には及んでおらず……完全に見落としておりました」


 その声には明確な悔恨と、自責の念がにじんでいた。


「……水源修理どころの話ではなくなったな」


 ウタリは机の上に広げられている地図に敵拠点の兵科駒を置いた。山を一つ隔てたところに細い街道が走っており、そこを狩場にしているのかもしれない。それを見てスルホンは渋く呟き、敵拠点の駒に指を置く。


「放っておけばいずれ村が喰われるぞ。さてどうするか……」


 静寂の中、レニエが静かに口を開いた。


「討伐でしょう。今も見過ごせば彼らは水を奪うどころか近隣の村や行商人たちを本気で襲いますよ」


 その声は控えめながら芯があり、幕舎にいた者たち全員の耳に届いた。


 ウタリが小さく頷きカリンも「……同意します」と言葉を重ねた。


「では──これより臨戦態勢とする!」


 スルホンが決意を込めて宣言し、全員が軽く背筋を正した。


「斥候は敵拠点の監視と補給線の再確認。衛生看護隊は負傷者搬送の手筈も整えろ。ウタリ殿、部隊配置案をまとめてくれ、午後一番に軍議を開く」


「御意」


 ウタリは即座に地図に向き直り、駒の並びを整えながら兵の動きを組み直していく。


「フルヴァン家の幕にも伝えておきます」


 レニエがすっと幕舎の外へ駆ける。その足取りは迷いがあるようには見えなかった。そして幕舎を出たレニエは一度空を見上げ、曇天の向こうに揺れる陽を捉えようとするように目を細めた。


「……こんなことになるとは思ってなかったが、この機をものにしないと」


 レニエは元々参陣する予定は無かった。というより実家の部屋住み四男坊の彼にとってこれがラストチャンスだった。上に男が三人も居るのだから家を継ぐ機会は無い。しかも20代だ、このまま部屋住みを続けていれば時期に家から放り出されるだろう。それなら何か手柄の一つでも立てれば箔の一つとなって他家への仕官話に繋がるかもしれない、そう思ってポルフィリ家からフルヴァン家への参陣要請が来た時にこれ幸いと供回り二人だけを連れて合流させてもらったのだ。


「活躍できる場ができて、良かった」


 呟いた声に応じるように、背後からさらりとした声が届いた。


「理由はどうあれ、使える者なら歓迎します」


 振り返るとそこには地図の写しを持ったウタリがいた。彼女の顔に笑みはないが、彼を見るそのまなざしは冷たくはなかった。


「……精一杯、役に立ちます」


 そう答えたレニエの声には、どこか晴れやかな響きがあった。


 *


 午後、ダーリル村の仮設野営地では再び幕舎に軍議の面々が集まっていた。地図の上には新たに更新された測量線が記され、その上でウタリが駒を並べていく。


「斥候によれば、盗賊はこの窪地の影にある洞に潜伏している模様。丘を挟んで左翼と右翼で展開。まず左翼の弓隊が撹乱を仕掛け、右翼の工兵が魔砲で陽動し、そして正面の槍隊が突入。地形図から見てここらへんに脱出口があると推定してこちらに伏兵を置きます。各隊の交信は旗と火花信号で統一」


 冷静かつ簡潔な語り口だった。静まり返る幕舎内で定跡とも言える配置について説明する。


「配置案に異議がなければ、各部隊に配置につい──」


「待てい!」


 怒声が響いた。フルヴァン家から派遣されてきた中年の武官が、机を叩いて立ち上がる。


「女が、軍議で指図だと? ――ふざけるな。これは我がフルヴァン家に対する侮辱か!」


 幕舎内に重苦しい空気が流れた。スルホンはその武官を鋭く見据えるが口は開かなかった。カリンは実戦経験が無くおろおろし始める。ウタリは無表情のまま、駒を置いた指をゆっくりと引いた。


「……ではあなたが指揮を執ると仮定して、この地形でどう配置しますか? フルヴァン家の武官として禄を食ってるのならどう動かすか、後学のためお聞かせ願いますか?」


 武官は口を開いたが、答えが出てこない。


 ウタリはさらに続ける。


「フルヴァン家は子爵位ですが、ヴァルトア卿のヴィンターガルテン家も同じ子爵位です。……しかも貴殿も私も爵位は持っておりません。侮辱もなにも、私は軍議で戦術を語っているのですよ?」


 その時、スルホンが静かに立ち上がると口を開いた。


「その通りだ。このウタリ殿、セレン夫人やカリン殿の妹君であるアニリィの王国軍時代の上官だ。それに盗賊団討伐の指揮した経験もある。お前のような口だけ武官とは格が違う――それともなんだ? ヴィンターガルテン家に喧嘩でも売ってるのか?」


 その一言に、カリンがわずかに驚いた顔を見せ、レニエは目を伏せて頷いた。


「……不愉快だ。こちとらセレン夫人に命じられてしぶしぶ来てやったんだぞ! それが、行ったら行ったで他家に顎で使われ、しかも女の布陣に従えと? やってられっか!」


 フルヴァン家の武官は「帰る」と捨て台詞を残して幕舎を出ていった。荒々しく地面を蹴る革靴の音が響いた。


「──本当に申し訳ありません。あの者の発言は、我がフルヴァン家としての見識ではありません」


 立ち上がったレニエが深く頭を下げた。


「レニエ殿、気に病むな。むしろやる気無いのに無駄飯食って参陣してる厄介者よりも、さっさと帰ってくれた方が助かるさ」


 スルホンの言葉にウタリも無言で頷いた。レニエは席に戻ると、手元の地図に目を落としながら静かに拳を握った。


「──こういう時、自分が何もできないのが悔しいです。たかだか供回り二人しか連れて来れなかったですし」


 その声は小さくて消え入りそうだった。しかし彼の正面に立つウタリが地図を指しながら呟いた。


「あなたはまだ動ける。前線に立たなくとも一隊を支える杭になって欲しい」


 その言葉に、レニエは黙って小さく頷いた。


 ※


 初夏の湿った風が吹き込む領主館の執務室で、アニリィ・ポルフィリは窓枠に腰掛けていた。暑いとはいえ女性軍服の上着を脱いでタンクトップ一枚、靴下のまま足をぷらぷらさせて完全に不貞腐れていた。その窓枠近くの梁からぶら下がっているアルラウネのカミラーが陽に当たりながら、「また始まったわ」と呟いていた。



「行きたかったぁ~~~~!」


 遊園地に連れていってもらえなかった子どもよろしく、声に出して足をバタバタし始めたのだ。窓から突き出た足、丈の短いスカート。外で誰かが見ていれば何事だはしたないと思うだろう。しかし彼女はそんな事も気にせずに不満を露わにしていたのだ。


 愛剣の手入れも済ませた、装備も確認した、出撃準備は完璧だったのに。


「なんで私だけ置いてかれるわけ!? あたしの出番じゃないの!? ねぇオリゴさーん!」


「あなたはポルフィリ家の当事者であり、かつ外交上の顔でもあるのです。もし現地で負傷でもしたら――ポルフィリ家からガン詰めされて面倒になります。そもそもあなた、出兵したら実家に顔を出せるの? 総指揮のカリン様に合わせる顔、あるの?」


 メイド長オリゴが紅茶を啜りながら、涼しい顔で答える。論理的すぎる正論が逆に腹立たしい。


「それは……そうだけど……兄さまはともかく、お父様やお母様には会いづらい……」


 アニリィが悶絶していると、椅子で書類を読みながら腕を組んでいたヴァルトアが、ふと遠くを見るような目で呟いた。


「ところでなぁ……俺、最近出番なくね? 働いてないっていうか、空気じゃね? みんな優秀すぎてさ」


 ヴァルトアは肩をすくめた。すると執務室の扉からプリスカがふらりと現れてにこにこと告げた。


「それにしてもヴァルトア様、最近ちょっとお腹……いや、ほんの少し……太りましたよね?」


「ぐっ……」


 領主の肩がズシリと落ちた。アニリィが「だよね」とさらに足をバタバタさせる。


「プリスカ。一応ここは領主の執務室よ? ふらりと遊びに来るところじゃないわよ」


 そう言ってオリゴはプリスカを窘めるのだが、その執務室のソファに座って優雅に紅茶を啜るメイド長というのも、滑稽である。


「あぁそうだった! ポルフィリ領に派兵してるウタリ様から急報が届いてます」


 プリスカが紙束を机に置くとそのままスルリとオリゴの隣へ座る。気付けば紅茶の菓子皿に手が伸びていた。先ほどまで窓枠で不貞腐れていたアニリィだったが、オリゴの隣に座るともたらされた書状に飛びついて勝手に開いた。


「どれどれ……“盗賊と見られる集団と遭遇、今後戦闘の可能性あり”……てすって!? うわっ、超面白そう!! やっぱ行こう!」

「戦闘だと! 今からでも馬で駆れば!」


 アニリィとヴァルトアがほぼ同時に立ち上がり、声を上げる。


「ふたりとも、静かになさい」


 オリゴがカップを静かに置くと人差指でバッテンを作る。視線は柔らかいが、動きには容赦がない。その次の瞬間、廊下の向こうから軽やかな足音が近づいてくる。


「ねぇ、斥候隊からの報告書届いたけど、えっ、山賊相手に戦闘? どこどこ!? ボクも行くぅ!」


 メリーナが黒のスポーツブラに軍服上衣を肩に掛けた状態で飛び込んできた。手には木製靴ベラ、背中には斥候隊として最低限の装備が詰まったリュックを背負っている。というより、暑いからってその恰好で館内を闊歩するのはどうかと思う。


「ダメです!」

「ダメ!」

「山賊がかわいそうです!」


 ヴァルトア、オリゴ、プリスカの三人が同時に叫んでいた。


 その日の領主館には、出陣したくて仕方ない“大人たち”と、それを止める“大人の皮をかぶった常識人”が入り混じる、なんとも騒がしい午後が訪れていた。


「……ところで一つ聞いてもいいか? オリゴもアニリィも、なぜ当然のようにこの執務室でくつろいでいるんだ?」


「――そりゃあ、ねぇ」

冷房装置(クーラー)が付いてる部屋、ここだけですし」


 *


 陽が沈む直前。


 ダーリル村の郊外に設営された仮設野営地には緊張が満ちていた。隊列が整然と並び、暗がりの中で鎧の鳴る音が小さく響く、兵たちはそれぞれ静かに構えていた。するとスルホンが一段高い岩場に立ち、全軍に向けて声を上げる。


「これより、山賊討伐にあたる。奴らは退路も無く、死兵となって掛かってくるだろう。だが怯むな。訓練通りに、確実に拠点を制圧しろ」


 その時の彼の声音は、低いが全員に通るように響いた。


「そして、無用な死傷を避けるためにも──各自、冷静に任務を果たせ」


 兵たちは無言で頷くと、返事代わりに槍の石突で地を突いた。


 続いてカリン・ポルフィリが前に出る。緊張した面持ちで声を張ろうとしたが、噛んだ。


「我がポルフィリ家は……皆さんの支援に深く、感謝し……あ、えーと……とにかく、ありがとう!」


 ポルフィリ兵が思わず笑って「カリン様!」と声を上げるが、ヴィンターガルテン兵は総大将であるカリンに温かい拍手を送った。場にささやかな笑いが広がり、出陣前だというのに緊張を和らげた。


 一方、幕舎の隅でウタリがレニエに一本の長剣を差し出していた。


「後衛との連絡係として頼むわね。これ、予備の長剣。キュリクス製だから簡単に折れないわ」


 レニエはしばらくその剣を見つめ、黙って受け取る。


「背中は、守ってね」


 短く、しかし温かみのある言葉だった。


 ふと視線を感じてレニエが振り向くと、工兵隊隊長オーリキュラが遠くから彼を見ていた。受け取った鞘に入った長剣を腰から下げると、オーリキュラの元へゆっくりと駆ける。


「あ、オーリキュラ嬢……」


「レニエ・フルヴァン殿。連絡係、がんばってくださいね」


 オーリキュラは軽く微笑んだ。


「あぁ。──僕にもう少し力があれば、一番槍を付けたかったんですが」


 照れ笑いを浮かべながら、レニエは隊列の後方に向かって歩き出した。


 その頃には、フルヴァン家の武官とその部隊十名はレニエを残し、陣払いまで済ませてすでに帰国の途についていた。残された兵は誰一人いなかったが、誰も惜しむ声を上げなかった。


 そして、陽もすっかり暮れ、静寂の中でスルホンの声が再び響く。


「──進軍、始め」


 槍隊が林の中へと静かに踏み入り、段丘の上に弓隊が展開する。工兵隊は魔砲具を抱えて続き、その後方には本陣との連絡役として任じられたレニエと供回りの二人が続いていく。


 彼の参陣は本来の予定にはなかった。だがフルヴァン家本隊が途中で帰国したことにより思いがけず重要な任を受けることとなったのだ。彼の耳に聞こえてくるのは草を踏む音、鎧の微かなきしみ、そして胸の鼓動。レニエは深く息を吸い、手にした剣の柄を短く握り直して林の中へ分け入ってゆくのだった。

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