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90話 武辺者の女家臣、家族がわざわざやってきた・2

 昼下がりのキュリクス領主館に、初夏の陽射しを浴びて一騎の馬が戻ってきた。


 騎乗していたのは武官アニリィ・ポルフィリ。肩や背中にはうっすら埃をかぶったマントを羽織り、馬の鞍袋には野外調査用の器材がぎっしり詰まっている。街道沿いの物見やぐらとミスリル鉱の視察の帰りである。


「ふぅー……やっと帰ってきたわ」


 馬を下り、手綱を当直の衛兵に預けて荷を背負い直したそのとき、声が響く。


「アニリィ様っ、おかえりなさいませっ!」


 跳ねるように駆けてきたのはメイドのロゼットだった。しかしいつもの楽しそうな声でなく、どちらかというと叫び声に近かったので、いつもとは違う出迎え方にアニリィは表情を少し硬くした。


「ん、当直じゃないロゼットちゃんがお出迎えってことは……なにか面倒なことでも起きてる?」


「えぇそうなんです! ちょうど良いタイミングなんですっ!」


「その“ちょうど良い”って言い方、ろくな意味じゃないよね」


 眉をひそめながらも、アニリィはマントを払い、館内へと歩を進めていった。


 ※


「──なぁ、誰が“酔いどれ妹”だって?」


 応接室に響いたのは、低く抑えた怒気のこもった声。


 館に戻って早々、姉セレンと再会したアニリィだったが、開口一番で「ようやく帰ってきたわね、酔いどれ妹」と言われたのだ。しかもアニリィにとって、よく見知った顔の予期せぬ来客。その客からの暴言に腹も立つ。しかも続けざまにこう言ったのだ。


「かわいい妹の婿探しに来たのよ? 少しは感謝なさい」


 ──沈黙。


「何を言ってやがるんだこの姉貴はああああああああああああっ!!!」


 応接室の天井が震えるほどの大声だった。カップを置く音も、クラーレの眼鏡を押し上げる仕草もすべてが止まった。きっと上階で呑気にチェスを打ってるスルホンもびっくりしただろう。


「待て待て待て!? あたしが何でポルフィリ家を出奔したと思ってるのよ! “結婚したくない”って一心で飛び出したんだぞ!? 今さら連れ戻して誰と結婚させるつもりだ!?」


「それを見極めに来たのよ。ほら、資料も作ってもらってるし?」


 あっさりした態度で茶を飲むセレンに、クラーレとプリスカが「関わりたくない顔」をしてそっと離れた。


「おまけに、なんであんたが私の将来勝手に決めてるんだよっ!」


「妹の幸せを願って何が悪いのよ!」


「ぜってぇそんなこと思ってないでしょ! どうせ嫁ぎ先のフルヴァン家から『妹のアニリィちゃん、はやく結婚させたら?』ってせっつかれただけでしょ?」


 セレンの表情が固まった、どうやら図星らしい。震える手でティーカップを持つと静かにお茶を啜り一息つけた。その様子を見ていたクラーレもプリスカも、そしてアニリィと共にやってきたロゼットも、同じ事を思っていた。


『やっぱ姉妹って似るのね』


 というのも、アニリィも図星を突かれると途端に狼狽し、落ち着こうとしてお茶を飲む癖がある。しかも普段は立たない小指を立ててカップを掴み、震える手で飲む姿までまるで同じなのだ。加えて、顔立ちや背の高さも似通っており、並んでいれば他人とは到底思えない。口喧嘩をしながらも似た者同士。まさしく“姉妹”だった。


「あのね、女の幸せは結婚よ? そろそろ落ち着いて身を固める時期が来たと──


「そういうお姉ぇこそ結婚したくせに実家ばっか帰ってきてるってカリン兄様が手紙で愚痴ってたわよ!」


「ポルフィリ家のほうがご飯美味しいんだからしょうがないでしょ!」


「それなら食事代払ってけ! 『セレンが来ると食糧庫の心配をせねば』ってカリン兄様から愚痴られるってどんだけ食べてるのよ!」


「この身体を維持するなら三人前は食べたいわよ!」


 あまりのしょうもない姉妹喧嘩に、クラーレは茶を飲みながら応接室に置かれた雑誌を読み始めた。プリスカは、セレンたちのために用意した茶菓子を食べ始めているし、ロゼットに至っては先ほどから『空気か置物』になってるレニエと世間話までし始める始末。つまりこの姉妹喧嘩に関わる気がないって態度を示したのだ。


「……とにかく! この話を続けるなら帰って! 婿なんて要らない!」


「まあ、どうせそう言うと思ったわよ」


 セレンがひょいと懐から一通の封書を取り出した。


「ほら、父上からよ。読んでおきなさい」


 封を開くと、丁寧な筆致でこう書かれていた。


『アニリィへ。


 そちらで元気に過ごしていると聞いて安心している。何か困ったことがあれば遠慮なく言ってくるように。最近、水源の調子が芳しくないらしい。調査をしようにも、金無ェんだわ。それはさておき。お前が自分らしくいられる場所であれば、それが一番だ。


 ──父より』


 アニリィは黙って読み、しばらくその紙を見つめていた。


「……ねぇ姉さん」


「何よ」


「村の水源の調子が芳しくないって」


「らしいわね」


「直そうにもお金無いんだって」


「みたいね」


 アニリィは溜息をついた。しかもかなり大きめの、深い深い溜息を。


「姉さん、私に結婚推し進めるのは構わないけど、持参金ってどうするつもりなの?」


「はぁ? 軍属なんだからあんた、預金ぐらい唸るほど持ってるでしょ?」


「えぇ、月末は唸るほどよ。──ぶっちゃけ残高ゼロ、たまにマイナスよ」


「そ、そんな訳、ないでしょ?」


 セレンはそう漏らすがアニリィの金遣いについて思い当たる節があるため目が少し泳ぐ。


「俸禄もらったら先月の酒代払って、今月の飲み代で消えて──月末にはもうバイトよ。薬草採りとか日雇い力仕事とかさ。貯金? あるわけないでしょ」


 過去にも何度も似たようなことがあったが、アニリィという女には“貯める”という発想が本当にないのだ。豪快に飲んで笑って翌朝後悔、を繰り返すのが日常だ。


 そう呟くと、セレンもわずかに視線を落とし、茶を啜った。


「……うん、なんとなく判ってたけどさ。ほんっと、昔から変わってないわね……。貯金の“ち”の字もないんだもの」


 セレンは呆れと苦笑をない交ぜにしながら、クラーレに視線を送った。

「クラーレさん、そういうことで」


「承知しました」


 クラーレが深々と頭を下げた。


 ──こうして、“アニリィの婿探し”は正式に中止となった。


 ※


 その日の夜。訓練帰りのオーリキュラは領主館屋外の井戸で顔を洗っていた。


 そこへ、控えめな足音とともに現れたのはレニエだった。


「夜分に失礼」


「いえ。客人、水、使います?」


「……少しだけ」


 手を浸した水は冷たく、レニエは静かに目を細めた。


「貴女はヴァルトア卿の元で長く?」


「えぇ、はい。中等学校の測量科を出てからこちらで禄を食ってます」


「好きですか、キュリクス」


「ええ。……とても」


 レニエは黙って彼女を見つめた。その目には、どこか遠い憧れのようなものが宿っていた。


(……やっぱり、僕が来たのは、義妹殿のためじゃなかったのかもしれないな)


 そう思いながら、井戸から離れたあとも、レニエの頬はほんのりと赤らんでいた。


 ※


 セレン・フルヴァンがキュリクスを発ったのは、アニリィとの邂逅、そして大喧嘩、そしてそしての達観から二日後のことだった。


「じゃ、あたしは戻るわ。あんたの結婚話は振り出しに戻ったし、キュリクスの街も楽しめたし、それ含めて父上や兄様に報告しないとね」


 そう言いながら大型の箱馬車を背に、領主館の門で振り返る。


「──ま、次に会う時は嫁入りのこと、もう少し前向きに検討なさいね? 花の命は思ってるほど長くはないわよ」


「そっちこそ、義理の兄様に『早く姪っ子の顔が見たい』って言っといてよね」


 苦笑しながら送り出すアニリィに、セレンはひときわ高いヒールの音を響かせて馬車に乗り込んだ。その後姿を、クラーレとプリスカがアニリィの横で見送る。


「……あの姉妹、すぐに口喧嘩おっ始めるくせになんだかんだで仲良いですよね」


「ね。でもはたから見てたら胃がもたれるわ」


 そんなやりとりを残して、セレンの一行はキュリクスを後にした。


  ※


 数日後。


 ヴァルトア・ヴィンターガルテンの執務室に、一通の手紙が届けられた。丁寧な封筒に銀糸の意匠が凝らされた便箋。そして「楠の木に耳長女」の封蝋がなされた手紙の送り主は、アニリィの父にしてポルフィリ家の当主・ポルフォだ。


『キュリクス領主ヴァルトア卿へ


 先日は不躾な娘、セレンの滞在について温かく迎えていただき誠に感謝いたします。


 さて、当地ポルフィリ領において、水源の枯渇および湧水の変調が続いており、村々の営農に支障をきたしております。技師も尽力いたしましたが根本的解決に至らず、私どもとしても誠に忸怩たる思いでおります。


 つきましては、もし可能であれば、貴領にてお力添えを賜りたく思います。娘アニリィの実家を救う一助、とお考えいただければ幸甚に存じます。


 ──ポルフォ・ポルフィリ拝』


 封を読み終えたヴァルトアは、机に手紙を置くと、穏やかに息を吐いた。


「ふむ……まさか、本当に助けを求めてくるとはな」


「面目を保ちつつ援助を要請する、なかなかの文面ですな」


 隣に控えていたトマファが眼鏡を押し上げながら口を開く。セレンが来訪する以前から、トマファはすでにポルフィリ家の財務状況と、周辺領主との関係性を独自に調査していた。 その中で判明したのは、目を覆うばかりの財政悪化である。──数年前に起きた大雨災害での復興事業が領地経営を圧迫していたのだ。それなら寄親貴族からの支援を頼れば良かったのだろうが、その寄親も領地経営での失政が相次いでおり、ポルフィリ家を手助け出来る事が出来なくなっていたのだ。つまりポルフィリ家は実質的な後ろ盾を失っている状態である。


「ちなみに、ポルフィリ家の寄親貴族──確かクレメル伯家ですが、こちらは遠くない未来に破綻します」


「……つまり、この期に及んで恩を売れ、と


「そうです。いっそのことヴァルトア卿の傘下に引き込むほうが、今後の経済発展の取っ掛かりには堅実な一手かと」


 ヴァルトアは、うーむと腕を組んだ。


「なんかどさくさ紛れの火事場泥棒みたいだな」


「ポルフィリ家はシュヴァルの森を領する名家です。王宮から下手な介入される前に先手を打つという意味もございます」


「うむ、なら判った。ではスルホン、一隊の手配を」


「もちろん。それなら工兵隊にやらせましょう。地盤調査、測量、衛生隊、それと──ポルフィリ家だけでなくフルヴァン家にも声を掛けてみてはいかがでしょう? うまく行けばセレン夫人の名も挙がるでしょうから」


「……うむ、妙案だな」


 そして、静かに命令が下った。


「ポルフィリ家に、ヴィンターガルテンの名を届けてやろう」

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