09話 武辺者の家臣、酒場で卓を囲む
(トマファ視点)
村はずれにある『雪兎亭』へようやくたどり着いた。アニリィさんが木扉を静かに開けるとからんからんと小鐘が鳴る。
「あらいらっしゃい。よくこの店、見つけられたわね」
割烹着姿の女将が奥から出てきて笑顔でそう言う。
アニリィさんもそうだがこの女将も女性にしては非常に背が高い。
丈は短めだがスカート裾が少し広くて袖がすごく小さい黒のワンピースに白亜麻の腰エプロンを巻いた民族衣装姿だったから、女将の異様な手足の長さが見てとれる。ワンピースの肩口から胸元には草木を模した刺繍が、それに似たデザインの入れ墨が左二の腕にも施されていた。
「えぇ、村中走り回って探しましたわ。村長や警吏に尋ねましたもの」
「あら、エレナったら相変わらずね―――寒かったでしょ、奥へどうぞ」
僕の目に映る雪兎亭はただの小さな一軒家だ。入口には申し訳程度の看板がぶら下がっていたがこれを僕とアニリィさんで探せって難しい話だと思う。しかも村人に聞いてもそんな店は知らないし聞いたことがないという。例え僕らがこの村の関係者であっても雪兎亭って屋号だけで探すのは無理だろう。結局村長の元を訪ね営業許可一覧から住所を割り出して警吏に案内してもらったのだ。
アニリィさんに車椅子を押してもらい店内に入る。店は思っていたよりもこぢんまりとしており、五人座ればいっぱいになるカウンターに二人の男性が座って静かに盃を酌み交わしていた。カウンターテーブルに仄かに写り込む燭台を見ながら僕らは女将に案内され店の奥へと歩みを進める。店内を突っ切った先に重々しそうな木扉があり、女将は静かにそれを開けて部屋の中へ声を掛ける。
「エレナちゃん、お連れ様が来たわよ」
「ようこそ同胞、遅かったね! いらっしゃい」
「―――エレナちゃん、あんた店に来いって言うなら場所ぐらい丁寧に教えてあげなさいよ」
「へいへい」
ほぼ生返事に女将は苦笑いを浮かべると、「ゆっくりとお寛ぎ下さい」と木扉の前でそう言うので僕らは個室へ入る。そこにはまた手足が長い女性と小柄でがっちりした身体つきの男が酒を酌み交わしていた。そして『エレナちゃん』と呼ばれた、目の前で赤い顔をして盃を持つ女性の耳に僕は目が行ったのだ。酒気がまわってるのか赤くなってるが、とても長い特徴的な耳だった。耳だけでなく異様に長い手足、そして透き通る程に白く整った肌をした女性はよく聞くおとぎ話のエルフそのものだった。彼女も女将と同じようなワンピースを着ており、女将とは違った草花の刺繍と入れ墨が施されていた。
彼女は盃を片手にテーブルから身を乗り出して僕を舐めるように見つめ、手にしてた盃を僕に突き出した。
「―――へぇ、これが同胞のボスかぁ。よろしくぅ兄ちゃん! エレナちゃんよ、見ての通りエルフだけどね」
「あのねぇエレナ、これでも私の方がトマファ君よりセンパイ家臣なのよ!」
「見えない! 雰囲気からしてこの兄ちゃんのほうが上司オーラ出てるし、アンタからは三下臭しかしないわよ!」
「なによそれひどい! ―――さて今夜はぐいっと飲むわよ! 駆けつけ三杯一つ!」
僕が止める間もなく何のためらいもなくアニリィさんは滑り込むように椅子に座るとエレナさんが差し出した酒を手にし一気に流し込んだ。僕が止める間はなかった。アニリィさんはふぅと溜息をつくとテーブルに置かれたデキャンタを手酌で注ぎ、再び喉を鳴らして酒を飲み干した。
唖然とした表情で見つめる僕に「おい兄ちゃん」とエレナさんの横にいる男性が声を掛け、僕に新しい盃を手渡してデキャンタを見せつけた。僕は盃を差し出すと男性が静かに注ぐ。左二の腕にはエレナさんと同じ草花を模した入れ墨が彫られている。
「ところで兄ちゃんや。ウチのカミさんから聞いたんだが兄ちゃんがこの地の代官になんのか? ―――あぁすまね。俺はこのエレナの夫モルススだ」
「いえ、この村の代官は今までと変わりなくコーラル村長がする予定です ―――ヴァルトア卿旗下で末席を汚させていただいておりますトマファ・フォーレンです」
「ほぉ、領主様の赴任挨拶と村の視察ってとこか」
「えぇ。それに僕ら北の樹林帯についても視察ができないかと思って」
「視察とな。ほぉ、それはどしてさ?」
僕も酒をひとくち飲む、香ばしくて深いコク味の黒エールだ。そしてモルススの名を聞いて昼過ぎにテイデ教会の宗主からそんな名前が出てきたのをはたと思い出す。
「ひょっとしてモルススさん、テイデ教の宗主様から惑いの森を案内するようにって聞いていますか?」
「あぁ。明日案内を頼めるかと聞かれたんだが、兄ちゃん達の事だったか―――案内するのは構わんが、視察って事は色々調べたりしたいんだろ? 惑いの森についての本格調査は無理だぞ」
「それって惑いの森にエルフと炭焼き職人たちが住む秘密の集落があるから、ですよね?」
僕の一言にモルススさんは噎せて飲んでいた酒を少し零す、そして目を白黒させると一瞬だけ僕から目を逸らした。僕はハンカチを渡すがモルススさんはふんと鼻を一つ鳴らして僕の顔を見つつ再び盃を傾けた。
「またまた、兄ちゃんも面白い冗談が好きだな」
「そのように推理したら物事がすっきりしたのですよ―――長期間、惑いの森に入っている人たちですからきっと村人や歴代領主ですら知らない何らかの秘密があると思ってたんです」
「ほぉ。そこからどうして秘密の集落があると?」
「この村の図書館にいる司書さんが、炭焼き職人の話で興味深いヒントを零していたんですよ」
人里離れた森に籠っているのにどうやって嫁探しをするのだろうか、いや森に籠って嫁探しなんかできるわけがない。それなのに年頃の若い炭焼き職人は惑いの森に長い期間籠っているのに村の外から嫁を貰うと司書は言う。
それならむしろこう考えた方がすっきりするのではないか。
「惑いの森」は誰も住まないところだと思わせておいてエルフと人間が隠れ住んでおり、しかしずっと籠っていると不審がられるからときどき妻子を連れてコーラル村に帰ってくるのだと。僕はそれをモルススさんに伝えると一つ溜息をついた。
「あぁそうだ、兄ちゃんの推察通りだ。この惑いの森は正しくはヴェッサの森って言うんだが、エレナの実家のヴァザーリャ家、女将の実家アンティム家、それにニアシヴィリ家のそれぞれが治める集落があって、俺の生家も実はヴァザーニャ家の集落内にある。他の炭焼き共も三家どちらかの集落に実家があるんだよ。この入れ墨もどの家がルーツかって示す目印なんだ」
「ではその三家と炭焼き職人との関係って親戚関係って事ですよね?」
「そうだ。確か2,000年ぐらい前にこの三家がヴェッサの森に住み始めてな―――」
モルススさんの話ではこうらしい。
エルフ三家は古くは遠く北方の地に住んでいたらしい。転機となったのが第一次人魔大戦の後に慮量を安堵されこの地に移り住んできたという。それは雪兎亭に着く前にアリニィさんが図書館でエレナさんから聞いた話と合致する。その頃はテイデ山北部の樹林帯にもいくつかのエルフ集落があったため年ごろになると他のエルフ集落へ嫁に行き夫を貰うっていう交流はあったという。
しかし時代が下るにつれ婚姻させようにも数代遡れば同一人物にぶちあたるという事態が起きてきた、つまり血族婚の恐れだ。エルフの世界でも近親交配はタブーとされておりこのままでは婚姻相手が不足するのは避けられない。対策として遠く離れた他に住むエルフとの婚姻も模索するようになったそうだが、なにせ交流がなければ探すのも骨が折れるだろう。なおテイデ北のシュヴァルのエルフも同じ課題にぶちあたり、ヴェッサとの婚姻だけでなくその地を統治する在郷貴族と婚姻を重ねて血脈を残しているそうだ。
つまりエルフ人口は何も手を打たなければ確実に減っていく。そこで三家のエルフ達が目を付けたのがヴェッサに分け入ってくる炭焼き職人だったという。彼らが定期的に山に入って間伐や植林を行い、管理することでヴェッサは荒廃することはない。それに男手は炭を焼くために長く山に籠る仕事柄、近親婚による絶滅は回避したいエルフにとっては捨て置けない存在だったという。
「それだと不思議に思うところがあるのですが、質問しても?」
「あぁいいぜ。―――トマファ殿、お前さんも飲め」
「ありがとうございます。それならどうして『惑いの森』って話が出来上がったんでしょう? そしてエルフも他の血を求めるのでしたら別に炭焼き職人だけでなく、猟師や村人でもよかったでしょうに」
これもモルススさんが言うには、やみくもに人々をヴェッサに寄せ付けないためのブラフが働きすぎた結果、惑いの森って話だけが独り歩きしていったという。
エルフと炭焼き職人が通婚するようになった当時、ヴェッサとコーラル村との二重生活を誤魔化すために、それにエルフから自分たちのことを知られたくないと言われ、炭焼きの先祖たちはヴェッサを『惑いの森』としてあれこれ吹聴したそうだ。ヴェッサに毎日分け入ってるのに迷子になってしまい数日後にようやく出てこれただの、随分昔に行方不明になった何某が突然現れただの、どこででも聞くようなおとぎ話を村人に触れまわったという。
しかし嘘っぱちも数十年単位で吹聴し続けたら村人は勝手に恐れ戦くようになり今では山に分け入るどころかの話題にすら拒絶反応を示すようになったという。
ではなぜ炭焼き職人だけと通婚するようにあったかというと、良からぬ考えを抱く助兵衛を排除するためだったそうだ。確かに言われてみればそうだ、空想物語で見聞きするエルフと甘い新婚生活を書きなぐったであろう三文小説は枚挙にいとまがないし数人のエルフたちを侍らせての色淫三昧の物語だなんて食傷気味だ。
「じゃあ何度も王権が変わったのに開発されなかったのは……?」
「それはさっきも言った通り村人は誰も近づこうとせん。んで俺ら炭焼きが協力しなけりゃ開発命令が出てても官吏はなにも出来ねぇ、ヴェッサで迷子になるだろうよ。『ヴェッサへの開発や干渉は行わない』って炭焼き職人たちとエルフ三家とで取決めもあるしな。それに領主様だってこんな田舎、直接統治する気もないから村人や炭焼き共は協力しない。んで仮に開発出来たところでこんな田舎、誰が入植するんだ? 闇雲に圃場作っても誰も世話しなきゃすぐに森に戻っちまうぞ。それにもしエルフたちに開発の話を持ち出してもメリットが無きゃ良い顔するわけがないしな。あと、俺ら炭焼きにとってもエルフの三家は親戚だ、俺らもメリット無きゃ良い顔出来ねぇ」
「それでもヴェッサに夢をみる子どもも出てきそうに思えるのですが」
「冒険心溢れたガキが森に入ってくるなんてよくある話だ。でも棘に刺さると眠くなる野草がヴェッサにあってな、それを食らってぐーすか寝てるガキを誰かが見つけりゃ俺らが放り出す。そうやって惑いの森の話を補完してるんだ―――あとコーラル村の習慣なんだが、標高も高くて寒いトコだから夏場でない限り男女ともにニット帽被ってても誰も何も思わねぇ。ほら、俺が今被っているこれだ。だからこれ被っているとエルフの耳がバレるって事も無い」
「じゃあ仮にこの村でエルフってバレたらどうなるんです?」
「バレねぇよう俺ら炭焼きは村人と接点を持たんよう生きてんだ。ほら、この店や俺らが住んでる北地区って村から少し離れてるから村人も用が無きゃここらへんには来ん。それに村人は炭焼きの事なんか惑いの森に入ってゆく変な連中としか思ってない。それでも夏場は用心するぞ。なにせコラール村だって夏は暑い、ニット帽なんか被ってたらおかしいだろ? だから夏場は家族みんなでヴェッサに籠るんだよ。だけどたまにカミさんだけ家に戻し、住んでるように取り繕うが」
「そうですか」
モルススさんの話を聞いているとエルフ嫁の偽装工作がものすごく雑だ、察しの良い人ならふとした事で気付くかもしれない。しかしヴェッサの森を畏怖の対象としている村人と炭焼き職人との接点が薄すぎるのが功奏しているのだろう。しかもこんな山間いの片田舎だ。領主の直接統治はされず村長が代官を続けてきたこの地だからこそ僕らにはそのような話が耳に入ってくることもなかったのだろう。
「ちなみに兄ちゃん以外にこの村の秘密を知っているのは、モルポ商会の商会主アンドレさんだけだ」
「モルポ商会ってコーラル木炭をキュリクスで専売している村の小さな商会ですよね」
「あぁ、秘密を洩らさないって条件で木炭を卸してやってるからな。そのかわり注文を取りまとめて俺らにこれだけ生産してくれと指示はくれるし、生活物資の用達はすべてモルポ商会に任せている。お互い持ちつ持たれつの関係だ。しかもモルポ商会の一家もテイデ教徒だしな―――ま、兄ちゃんもわざわざキュリクス下りしてこんなド田舎に来たんだ。明日は登山道だけでも拝んでけや」
「それでしたらエルフの御三家にも領主着任の挨拶をしたいのですが」
「それは連中らに聞いてみんとダメだわ、俺からは何も言えん―――まぁ飲め飲め、今日は炭を卸したから金はあるぞ」
「それでしたら領収書を切っていただければ交際費として落とせますんで」
「若いモンは年寄りから黙って奢られとけ。しかも若いモンが軽々しく年寄に向かって交際費飲みが出来るぞって言うな、領主様含めて品がないと思われるぞ―――飲め飲め」
そう言ってモルススさんはデキャンタを傾け盃に注ぎ、僕もデキャンタを持って返杯する。手にしたデキャンタからは木のぬくもりが感じられる一品だった。丁寧に一つ一つ鑿を振るい、そのあと丁寧に磨き削っていったのだろう。荒々しさと素朴さが手になじむ。そして表面処理のせいで独特の艶を纏っているだけでなくこれが木地の腐食を防いでいるのだろうか。
「ところでモルススさん、どうしてこの村とっておきの秘密を僕にぺらぺら話すんです? 僕がキュリクスに戻ってヴァルトア卿に漏らして一軍率いて調査するかもしれないのに」
「ん? 阿呆な官吏ならそうするかもだが、兄ちゃんならそれが下策って判っているだろ? 調査で持ち兵を大量に失えばこの村での面目も無くすって事もな。察しが悪そうな兄ちゃんならこんな話せんし、笑い捨てて終わりさ」
モルススはガハハと豪快に笑うとデキャンタのお酒を盃に注ぎ、ぐいっと煽った。そのタイミングを計ったかのごとく「失礼します」と木扉の向こうから鈴を転がすような声がすると静かに横開きした。恭しく個室に入った女将は手にした木製のお皿をテーブルに置く。春の山菜色鮮やかな食材が湯気を立てて木皿を彩っていた。バターに青臭さが混じった春の香りが個室に充満する。
「失礼します、木茸と猪のベーコン炒めと若芽のバター焼きです」
「同胞、これだよこれ! さっき言ってたヴェッサの春料理なんだぞ」
「へぇ、美味しそうね。男どもも難しい話ばっかしてないで、さっそく頂きましょうよ!」
真っ先にエレナさんとアニリィさんが手を伸ばし頬張った。僕の地元でも春先は山菜をよく食べるのでこの鮮やかな蒼色と山菜独特の青臭さを嗅ぐと春が来たんだなと感じる。そしてエレナさんが取り皿に盛ると僕とモルススさんの前にそっと置いた。さらにアニリィさんは僕の盃に酒を注いだ。彼女の目は完全にとろんとしている、酔ってるな。
「木茸は秋口のキノコなんですが塩に漬けて一冬寝かすと美味しさがぐっと増すんです。ヴェッサのありふれたキノコ料理なんですがトマファ様やアニリィ様のお口にあいますでしょうか」
「えぇすごくおいしいわよ。トマファ君はどぉ?」
「非常においしいです。僕の地元も春先は山菜はよく食べるんですよ、やっぱりこの時期は山菜料理ですよね。アニリィさんの地元でもこの時期は食べません?」
「私の故郷ってここよりまだ北にあるから、まだ山菜の時期じゃないわ。むしろこの時期は晩秋に作った腸詰肉の大処分祭りをやってるわよ。焼いたりスープに放り込んだりで毎食出てきてるからもうお腹いっぱいって思うの。でも秋になると豚を潰して腸詰肉を作らないと冬を越せないからね―――女将、酒のお代わりをお願い」
「はーい、直ぐにお持ちするわ。―――トマファ様。エルフの渡りがもし必要なら私の実家を頼ってください。父がアンティム家の当主をしているので何か興味を惹く話を持っていけば耳は傾けてくれるかと思いますよ」
女将はそう言うと静かに個室を出て行った。そうだよな、彼らが興味を抱くようなメリットを提示しないと調査なんか出来ないだろう。僕はテーブルに並んでいる料理や酒杯を眺め考えていると、「トマファ君も飲みなさいよ」と今度はエレナさんが盃に酒を注いだ。しかし酔って手許がおぼつかなかったのか、酒は盃から溢れテーブルに零れた。
「あらトマファ君ごめんねぇ。エレナちゃん粗相しちゃったー、あはは」
「いぇーい、そ・そ・う! そ・そ・う!」
「アニリィさん、安酒場の合コンじゃないんですよ―――いえいえ大丈夫ですよ。ところでこの店で使われている盃や食器ってすごく素敵ですよね」
料理が乗る皿や盃も荒々しく削ってから丁寧に磨いているようで木目と協調しており、表面はぬらぬらと光を拡散していた。質素純朴だが表面の艶やかな加工に思わず目がいってしまう。キュリクスでも木製食器をよく使うがもっと粗野で雑だ。陶製食器は賓客をもてなす時にしか使われない。
「これ? アンティム家の男性陣ってこういう木製食器を作るのが好きな人が多くてね。よく『良いのが出来たから置いてくよ』って女将の親父っさんとかが私ん家とかに配り歩くから、気が付いたら家じゅう木製食器だらけになっちゃってさ。マジで売るほどあんのよ」
「へぇ、それならキュリクスで売ってみれば? それこさ売るほどあるんならさぁ」
「それですよアニリィさん!」
エレナさんが何気に説明した売るほどある食器について、アニリィさんが間髪入れずにぼそりと言う。僕はそれを聞いてエルフ三家に提示できるメリットに気付き思わず声を出してしまった。ぼんやりと盃を傾けていたアニリィさんがびっくりして酒を吹き、あちこち飛び散った。―――優秀な人なんだけど酒飲ますととたんにポンコツになるんだよなぁこの人。
「アンティム家が作った木製食器を丁寧に梱包して希少性謳ってキュリクスで販売するってヴェッサにとって一つのメリットじゃありませんか? 現金で対価を渡されても持て余すでしょうから欲してるもの、例えばこの木製食器を作る際の工具とか食料と交換だったら喜ばれるのではないでしょうか? どう思いますエレナさん」
「うーん、食器販売についてはアンティム家が決める事だから私は何とも言えない。あぁでも、あの親父っさんって甘味が大好物なのよ。対価にそれを出すのもありかもね。ねぇモルー、私ら結婚した時ってあの家に何をお土産に持って行ったっけ?」
「あぁ、確かフレップジャムだったな。―――フレップってコーラル村でよく成る果物でな、足が早いから採れたらジャムにするんだ。それをパンに塗ったり煮込み料理に使ったりするんだよ。アンティム家の連中は夏場になると氷室から出した氷を薄く削ったものを、冬場は雪や氷の上にフレップジャムを乗せて食うのが好きなんだ」
「そ、そうなんですね。―――ちょっと城に戻ってヴァルトア卿と作戦を練り出直してきたいので登山道の案内って一週間後に延期って駄目でしょうか?」
僕の突然の申し出にエレナさんもモルススさんも少し驚いた表情を見せていた。「一週間後なら大丈夫だ、別に構わないよ」とモルススさん言うのでそれならばと僕らは明朝キュリクスへ帰ることにした。「何よ、どういう作戦が思いついたのよ」と、エレナさんが興味を引いたのか面白そうな顔を浮かべて訊くので僕は女将やエレナさん夫妻にこのような内容とそれを聞いた正直な感想を手紙に記してほしいとお願いした。
「アンティム家だけでなくヴァザーリャ家やニアシヴィリ家にもメリットを享受して互いに発展するための土壌づくりをしたいので、お手紙を一つ記して頂けませんか」
「なんか面白そうね」「ニアシヴィリ家には私が書きますわ」「わかったぜ」
―――とこんな話をしていた頃にはアニリィさんは酔いつぶれて眠っていた。我が家で預かりますよと女将が言ってくれたがここでアンティム家に変な借りを作りたくないと思った僕は、
「ご迷惑はお掛けできませんので、これ、連れて帰ります」
と、お伝えした。しかし残念ながら僕一人で彼女を連れて帰る手段が無い。結局エレナさん夫妻が僕の考えを察して手助けを買って出てくれたので無事に宿屋に連れ帰ることが出来た。宿屋に着いてベッドに放り投げられてもアニリィさんは大口開けてぐぅぐう寝息を立てていたが。アニリィさんを背負って運んでくれたモルススさんには充分にお礼を申し伝えると、「俺のカミさんも酒弱いくせによぉ飲み潰れて背負って帰るから、慣れてるっちゅうもんよ」と言い、エレナさんがアニリィさんの上衣を脱がして毛布を掛けると二人は帰っていった。
このまま自室に戻って僕も休もうかなと思ったがアニリィさんが夜中に吐き戻して窒息死されても困るので夜が明けるまで彼女の部屋で様子を見る事にした。酩酊者が睡眠中に自身の吐瀉物で窒息死なんてよくある話だ。しかしながら気持ちよくぐうぐう寝息を立ててるアニリィさんを見ていても面白くはないし、熟睡してる女性にいたずらする性質も僕には持ち合わせていない。せっかくなので彼女が図書館で手にしていた『人魔大戦からみる魔王ニヴィエルの戦略 ―ラングリスの戦い』を読んで暇をつぶすことにした。幼い頃に読んでた架空戦記物だ。しかし今更になってこれを読むと文章の節々に戦術や用兵術の種が撒き散らされている。ページが進むにつれ内容を思い出すが読むのに夢中になってゆく。
気が付けば窓の外からひよどりの鳴く声が聞こえ、カーテンの隙間からは朱色の陽が射し込んできた。久しぶりに完徹してしまったな、僕はカーテンを隅に払うと窓を開ける。霊峰テイデの気まぐれか村中が靄に包まれ、まるで幻想世界と思えるような世界が目に映る。そして清涼な空気が部屋に流れ込んだ。キュリクスに比べ山地コーラルの空気はすごく心地よい。
「寒いよぉ、窓閉めて」
もぞもぞと毛布をかき集める仕草をするアニリィさんを見て、僕はふふと笑みを漏らすと窓を閉めた。月信教の寺院から夜と朝の境の鐘が鳴ったので僕は自室に戻ることにした。もう大丈夫かな。
昼過ぎにアニリィさんが青い顔して僕の客室に来た。どう見ても二日酔いのそれだ。「頭がガンガンする、気持ち悪い」とぼやきまくる彼女に「お酒は飲まないって約束でしたよね」と言うと「うへへ」と笑ってごまかされた。しかし彼女と話しているだけで既に酒臭い。こんな状態で二輪馬車の手綱を握らせるわけにはいかないので安全を期してもう一泊する事にした。
「えぇー、大丈夫だって、もう帰ろうよ。頭ガンガンするけどこういうときにとっておきの治し方、知ってるから」
「へぇ、どんな方法で?」
「飲むの、ぐいっと、一杯、お酒を!」
アニリィさんそれ迎え酒だ、絶対にやっちゃいけない。それならばとオリゴさんから預かっていた小瓶をもう一本アニリィさんに渡し、飲んで静かに寝ててくださいとお願いした。
「連泊するなら今夜も雪兎亭行こうよ!」
―――それ本気で言ってます? 僕は唖然とするしかなかった。
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