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89話 武辺者の女家臣、家族がわざわざやってきた・1

 キュリクスよりはるか北、冬でも雪が解けぬ高峰として知られるテイデ山嶺。その北斜面には、切り立った岩壁と濃密な原生林に包まれた土地が広がっている。


 その樹林帯は、地元民の間で『シュヴァル』と呼ばれていた。名の由来には諸説あるが、多くはこの地が“野生の精霊が騎る地”とされていた伝承にちなむという。


 そして、そのシュヴァル一帯を代々治めてきたのが、在郷貴族のポルフィリ家である。彼らの居館は森の入り口、いくつもの流れが合流する丘の上に建てられていた。


 その屋敷の一室──領主の執務室では、今、妙な静けさと重たさが空気を満たしていた。


 伝統ある在郷貴族らしく、重厚な調度品に囲まれた空間には、巨大なタペストリーに家紋が織り込まれている。大きな楠の木の下に佇む耳長の女性──エルフを象った紋は、森とともに歩む家系の誇りを表していた。壁には同じ意匠があしらわれた盾飾りと、厳格な表情の歴代当主たちの肖像画が並ぶ。


 しかし、そうした格式に満ちた部屋の中心、楕円形の木製テーブルを囲んだ三人の姿には、まるで緊張感がなかった。


 酒を飲んで歓談しているわけでもない。  穏やかな家族の語らいとも少し違う。


 どちらかといえば、身内の面倒事について頭を抱えている──そんな空気であった。


「……で、妹アニリィの件なんだけど」


 最初に口を開いたのは、このポルフィリ家の長女セレンだった。白銀の刺繍が施されたドレスに身を包み、顎に手を当ててつまらなそうに言い放つ。整った顔つきに綺麗な肌だが貴族の娘にしては若干の違和感があった。背がとても高いのだ。


「そろそろ誰かの嫁にでも行ってもらわないと、あのままじゃ一生“酔いどれの野犬”よ?」


 セレンの耳に届くのは、武辺者の側で槍働きする立身出世の話ではない。破天荒に生き、領主に叱られ、酒を飲む。キュリクスでついたあだ名が『酔いどれ女勇者』だ。ポルフィリ家に連なる者の二つ名としてはあまりにも不名誉である。


「いやいやいや、アニリィが結婚って……あいつ、結婚が嫌で家出たんだぞ?」


 反論したのはその兄カリン。髭を撫でながら苦笑し、傍らに置かれた木製マグを片手で揺らす。


「俺はもう諦めてる。家名のことより、あいつが好きに生きてりゃそれでいいと思ってるよ」


 カリンにとって妹アニリィは可愛くて仕方のない末妹だった。年齢も離れているし、兄カリンの言いつけには『判ってますわ、お兄しゃま』と素直に返事をしていたので、むしろ年齢が近く我儘放題の妹セレンなんかよりも大事にしたいのだ。出来れば結婚もせずに自分の近くに居てくれたらとまで思っている程のシスコンである。


 しかし自分よりもアニリィに愛情が向いてる事に気付いているセレンにとっては気分のいいものではない。だからカリンの言うことに真っ向から反対する。


「それで済めばいいけどね。現に“好きに生きてる”結果が、あの異国まがいの辺境の地で酒と槍と寝落ちの日々じゃない。しかも、キュリクス近くの在郷の準男爵家のアンガルウ家の娘を育ててるっていうじゃない!」


「え! 俺に姪っ子が出来たのか! 是非とも我が家で育てよう!」


 セレンの目が冷たく光る。口調は優雅でも、その中身は剣より鋭い。


「違うわよ! むしろそんな『コブ付き』だったら嫁の貰い手に苦労するって話をしてるの! あと、何よりあの子が“家族”である限り、ポルフィリ家の面子にも関わるの。放浪者の妹なんて、私の義父母は快く思ってないのよ」


 それを聞いて、三人目──父ポルフォは眉根を寄せ、肩をすくめた。


「まあな……。だが、あいつはこの家を出奔してしまっているし、極力家族名を名乗らない様にしてるとも聞いている。だからアニリィは戻ってこない。それにあのヴァルトア殿のもとで自由にやっているのなら、無理に引き戻す必要もあるまい」


 ポルフォは末娘アニリィの行く末を強く思って結婚を推したのだ。王国軍士官として働く娘に無理やり結婚させようと見合いをさせた結果、「それならこの家を出ます」と言って見合いをぶち壊し、そして帰ってこなくなったのだ。何度も謝罪の手紙は書いてみたのだが梨の礫となっている。


「諦めてはいけませんわ!」


 セレンがピシャリとテーブルを叩いた。


「この家に戻る気はない。それならあの土地でちゃんと“落ち着かせる”の。婚姻という形でね」


 父と兄が一瞬たじろぐ中、彼女は立ち上がり、扉の方へと歩を進める。


「というわけで、私が動くわ。キュリクスという土地にも興味があるし、なんなら適齢の男子を一人、連れて行ってあげる」


「……誰を?」とカリンがぼそりと呟く。


 その瞬間、扉が開いた。  淡い青のマントを羽織った青年が、控えめに姿を現す。


「お呼びでしょうか、義姉上」


「ええ、レニエ。あんたにとっても悪くない話よ」


 セレンの笑みに、父と兄は同時に嫌な予感を覚えた。


「……また面倒を押しつけられたな」 「……水源の修復すら済んでないってのに……」


 誰にも届かぬ小言が、古い屋敷の梁に吸い込まれていった。


 *


 朝霧のなかを抜けて、ゆっくりと一台の大きな馬車が領主館の門前にたどり着いた。御者が足台を置き、箱馬車の扉を引くとまずはひときわ大きな影が姿を現す。


「……ふむ。まあ、田舎のわりには整ってるわね」


 声の主はセレン・フルヴァン(旧姓・ポルフィリ)。白銀のフリルに身を包み、背筋をしゃんと伸ばしたまま周囲の風景を見渡した。ちなみにセレンやアニリィだけでなく、ポルフィリ家の者は背が高い者が多い。特にこのセレン、街で背が高いと言われる男性よりも背が高いのだ。そのため・。馬車も一般的なものより一回り大きく作られているのだ。


 そのセレンのあとを控えめに追いかけるようにして、淡い青のマントを羽織った小柄な青年が降りてくる。セレンと比べたら小柄に見えるが、実際はヴァルトアやスルホンよりも背が高い青年だ。レニエ・フルヴァン。在郷貴族フルヴァン家の四男坊、セレンの夫に連なる家柄である。


「ご到着、お待ちしておりました」


 先触れを受け、門前で頭を下げて出迎えたのはクラーレ。背後には、メイドのプリスカが元気よく手を振っていた。


「セレン・フルヴァン様とレニエ・フルヴァン様ですねー! ようこそキュリクスへ!」


 セレンは出迎えた二人を見て涼しげに微笑んで頷いた。


「ええ。あなたが案内してくれるのかしら?」


「はい、領主ヴァルトアより接待役を申しつかっております」


 そう応えたクラーレだったが、セレンの様子を一瞥して眉をひくりと動かした。──これはただの物見遊山ではないと察したのだ。というのもこのポルフィリ家。というのも、ポルフィリ家が武官アニリィの実家であることは知っていたが、彼女に直接連絡するのではなく領主ヴァルトアに直接『領内視察』を打診してきたのだ。しかもポルフィリ家の名代として、嫁に行った姉を引っ張り出してきたし、その婚家の親戚筋を連れてきたのだ。おまけに、書状には「何を視察したいのか」といった具体的な記述すらなく、ただ「視察したい」としか書かれていなかったのだ。


 ちょうどその時、領主館から一人の女性士官が通りかかる。鋭い目元、黒髪を後ろで束ねた小柄な軍人、工兵隊隊長オーリキュラである。


「失礼します」


 敬礼ひとつ、淡々と通り過ぎようとしたその瞬間――。


 レニエはふと振り返った。視線が彼女の背に引き寄せられる。


(……綺麗なひとだ)


 言葉ではなく、ただ心に浮かんだ感嘆。それだけだったが、後に彼の進路を決定づける出会いだった。


 *


「セレン様、キュリクスのお茶はいかがでしょうか?」


 応接間で静かにお茶を啜るセレン達にクラーレは声を掛けた。ポルフィリ領でも銘品の噂は届いているようで、ヴェッサの森で作られた木製ティーセットをまじまじと見ながら「これ欲しいわね」とレニエと小声で呟いていた。


 貴族との会話は腹の探り合いだ。これはよく聞く話なのだが、目の前に座る女はアニリィの実姉である。ざっくばらんとした彼女の姉に腹芸は必要なのか。クラーレは考え倦ねいていた。さすがに客人の前でプリスカとあれこれ作戦会議するわけにもいかず、とにかく観察だけは続ける事にした。


「ところでクラーレさん」


「は、はい!」


 突然声を掛けられたせいで、返事が裏返る。それを見てプリスカがくすりと笑みを漏らした。


「ということで、婿候補をリストアップなさい」


「え、私の?」


「なんで私がキュリクスに来てまであなたの婿の面倒見なきゃいけないのよ! 私の妹アニリィのよ!」


 理不尽に叱られたクラーレは思わず「はよ帰れ!」と言いたくなったが、かろうじて飲み込んだのだった。


 *


 領主館の応接間。半分ふて腐れているクラーレが資料を開くと、隣でプリスカが前のめりになって身を乗り出す。


「筋肉枠! 知性枠! 年下枠! エキゾチック枠! もうワクワクですよねっ!」


 二人が覗き込んでいるのは『キュリクス領主館人物帳』である。ヴァルトア配下の文武官だけでなく末端兵士やギルド関係者の経歴書が掲載されている、クラーレが取り扱える数少ない重要機密資料だ。当たり前だが一般公開はされていない、部外秘だ。


「ねぇプリスカちゃん、どこにワクワク要素があるのよ」


「だって想像してみてくださいよ! ヴァルトア様の家臣で何人もいる『珍獣枠』の一つがついに結婚ですよ!?」


 珍獣枠って言うが、プリスカ自身はそこに含まれているのだろうか? そんなこと思いながら、『面白い人・それなりに知性がある・独身』という無茶ぶりに近い希望を元に提案していく。ちなみに余談だが、合コンなどで女性が言う『面白い人』は、ストライクゾーンが広そうに見えて実はものすごく狭い。トークのチョイスを一つミスっただけでつまんねーヤツ扱いされるから、『好きなタイプは面白い人』っていう女には気を付けろ。


「まずはやっぱりトマファ君――あぁダメね」


「うん、この方は紹介できません」


 資料として出したが、クラーレとプリスカはすぐに引っ込めた。


「え? なかなかの美青年じゃない、ちょっと見せなさいよ!」


 セレンは、クラーレが引っ込めようとした資料をひっつかむと経歴などを読んだ。


「領主館文官長!? しかも2〇歳!? 若ッ! 学歴はヴィオシュラ学院中退かぁ。――この子で良いわ、今すぐ連れてきなさい!」


「ダメです」「絶対いや!」


 クラーレもプリスカも涙目になりながら頑強に反発する。あまりの必死さにセレンも納得してしまった。


「――あぁ、なるほどなるほど。うんうん、なんかごめんね」


 セレンはクラーレにトマファの経歴書をそっと返した。


「じゃあ次!」


 プリスカがすっと出した経歴書は――ノーム爺。


「――あのねぇ。なにが悲しくて妹がジジイと結婚せにゃならんのよ」


「えー!? 今はボルジアちゃんとマキャベリちゃんが居るから、アニリィ様が増えても大丈夫ですよ!」


「ちょっと待ちなさい、この猫メイド! アニリィ含めてポルフィリ家は全員が月信教徒なのよ! 『二号さん』どころか三号さんなんて認められるわけないでしょ!」


「あの、セレン様。ボルジアとマキャベリは、牛です」


 クラーレが疲れた声で突っ込みを入れる。


「私の妹は牛と同列かよ――ダメよ! 次ぃ!」


 クラーレが出したのは、錬金術ギルドの元ギルド長、レオダムだった。


「だからジジイはいいって! もっと若いの出しなさいよ!」


 経歴書も読まずペイッと投げ返されてセレンは次を要求した。


「若いの、ですかぁ――ヴァルトア様の配下って若い男はとっとと結婚してるんですよねぇ」


 そう言いながらクラーレが言う。「だいたい、クリ〇マスケーキと女性の婚姻年齢を同列に語る人っていますけど、これ、男性も同じだと思うんですよね。良い男ほどさっさと売れていくか先約が付いてるか、ですもの――三十過ぎて結婚もしてない、しかも童てぃ……」


「クラーレさん、それ以上は辞めなさい。オーバーキルどころか死体蹴りよ」


 セレンが静かに窘めた。


「あ、一人いた。――創薬ギルドのアルディさん!」


 クラーレがそう言って経歴書を差し出した。


「んー、見た目はかわいらしいし、最終学歴は――はぁ!? 王立創薬大学院卒!? 創薬師と錬金術師の資格持ち!? 超絶エリートじゃない! 今すぐ連れてきなさい!」


 セレンは大興奮だ。しかしプリスカが申し訳なさそうに声を出す。


「あの、アルディさんって恋人居るんですよ――ほら、金属加工ギルドのクラメラさん」


「え!? あのべらんめぇ口調の受付嬢?」


「そうなんですよ。西区の住民なら意外と有名な話なんですよ――ちなみにアルディさんの前になると、クラメラさんって猫みたいに大人しくなるんですよ!」


「へぇー、あの『研究オタク』にもそんな色っぽい話があるんだねぇ」


「――あのぉ、雑談してないでそろそろ次を紹介してよ」


 その後、あれやこれやと提案してみたが、実は恋人が居たりセレンのお眼鏡に適わなかったりと却下され続けた。


「ねぇ。あんたらがあれこれ言うから決まらないのよ、それ見せなさいよ!」


 結局セレンが人物帳を見て選び始める。


「ねぇ、このソーテルヌってのはどぉ? ミステリアスで美形じゃない」


「あ、それ――女性です。しかもレオナさんのと差し替えるの忘れてた」


「え!? 嘘!?」


 次の頁にレオナの経歴書を見てセレンは納得した。ちなみにソーテルヌもレオナも経歴は『初等学校修了』とだけ書かれている。


「じゃあ次、このウタリってのはどう? クールな見た目でしかも武官! アニリィにちょうどいいでしょ?」


「あ、彼女も女性です」


「なんでこんなにイケメンが女性なの!?」


「それは我々の責任ではありません」


 セレンは静かに資料を閉じると口を開いた。


「……ねぇ、一つ聞いていい?」


 クラーレは伏目勝ちにセレンを見るとこういった。


「はい。――ヴァルトア様の配下、いい男が壊滅的に居ないんです」

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